激しい雨だった

 病院で検査の予約を入れていたので、朝の7時前に家を出た。駅に到着するまでに服や持ち物は雨に濡れていた。幸いなことに、5年以上も履いていなかった安い長靴がとってあったので、それを履いたおかげで靴下とジーンズの裾は被害が少なかった。だが、それほどの期間を放置していた安物が水たまりの中で壊れたら最悪だなと、ひやひやしながらの移動だった。

 昼過ぎに検査が終わり、帰ろうかと院内を見ると人がかなり少ない。間違えて夜間診察にでも来てしまったかのような静けさだったが、おそらくあの雨で通院をあきらめた人がいるのだろう。
 幸いなことに帰りのバス(始発)は土砂降りの中で待機してくれていたので、バス停で派手に濡れることもなく、家の近くまで移動できた。

 午後1時過ぎに帰宅し、食事をして、朝が早かったので1時間ほど仮眠をとって目を開けると、外には薄日が差していた。あれほどの雨が、嘘のように去っていた。

バウムクーヘン専用のご連絡フォーム

 関連サイトバウムの書や、日々バウムに掲載されているお店の近況や閉店情報、あるいはバウムのお店の開店情報、その他の情報提供やお問い合わせに、こちらのメールフォームをご利用ください。

 バウムクーヘン関連の専用フォームです。通常のメールで送信されたい方は baum@mikimaru.net までお願いします。

 バウム関係以外では、このメールフォームではなく、直接メールでお願いします → blog@mikimarulog.me

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 いただいた情報や画像は、バウムの書や、日々バウムに使わせていただきます。よろしくお願いいたします。

メールフォーム(設置検討中)

 バウムクーヘンの話題は本日現在pukiwikiで書いていて、問い合わせや連絡用のメールアドレスを記載しているものの、読者さんと思われる方から連絡メールが来たためしがない(笑)。バウム関係の連絡は、SNSのメッセンジャーや関連サイト経由など、メール以外の手段を使ってくださる方が大半だ。

 わたしの感覚だと、メールは何かと問題が少ない連絡手段なのだが(たとえばネットに接続しているIPではなく経由しているメールサーバの情報がヘッダに記載されるなど)——よくよく考えてみれば、ウェブサイトからメールフォームを利用することで接続IPが知られやすくなり、結果として居住地の類推がなされやすいと心配する人は、それほどいないものと思われる。
 より具体的に書くなら、よほど遠くの土地に住んでいてIPで国名が判断され「そこに住んでいる日本語話者は10人以内だから、いったい誰だろう〜」などと詮索されやすい事情でもないかぎり、接続IPでが知られやすくなっても問題に感じる人は、まずいないのだろう。

 メールフォームのほうが利用者に喜ばれるのであれば、設置しない手はない。

 だが、pukiwikiでシンプルに設置できるメールフォームをわたしは知らない。検索すればあるのかもしれないが、手探りで無理に同じページ内に設置するより、関連サイト上で動くような、シンプルなメールフォームを借りてきて設置するのがよいかもしれない。

 もしうまくいったら、このブログ用にもメールフォームを設置してみようか。

オネストビー停止の謎: いま流行りの「忖度」か?

 5月の1日ころと思われるが、大型連休中にシンガポールに本社のある買い物代行サービス「オネストビー」が、日本でのサービスを停止した。英語で検索したところその数日前からシンガポールでのサービスが止まったという話もあったようだ。だが日本では、個人のブログのレベルでさえ、この話題がほとんど聞かれない。

 オネストビーは、去年の秋くらいまではせいぜい「コストコの商品が買える」という点を宣伝文句にする買い物代行サービスでしかなかったが、このところスーパーのマルエツほか、伊勢丹、東急などの百貨店、ナショナル麻布、ディーンアンドデルーカなどの個性的な品揃えの店と、次々に提携していた。

 わたしはゴールデンウィークの直前に、夏には(日持ちの意味で)買いづらくなるコストコのクロワッサンを、いまのうちに買っておくか、やめておくかと迷ったのだ。けっきょくやめて、ゴールデンウィークももうすぐ終わるというころにサイトを見にいってサービス停止を知った。

 この件、誰も騒いでいない。ネットで一部の方がツイートしていた程度だ。ニュースにもまったく引っかからない。上述の各店らは必死に自サイトからオネストビーという言葉を消して回ったらしく、まったくそんな事実はなかったかのような状況を装っている。ただしオネストビーとそれらの店が提携したというプレスリリースはネット上で読むことができるので、わたしが幻を見ていたわけではない。

 サービスを止めるのは、ああ業績が悪かったのかと思えばそれでいい。だが有名デパートほか経済メディアなどによる、この「何もなかったかのようなとぼけぶり」は、いったいなんなのか。不思議である。

割り勘計算も便利になった

 6月にバウムクーヘンの集まりを開くことになったのだが、先ほど当日の割り勘について考えていて、便利な世の中になったものだと実感した。

 まずは準備段階で、パソコンで表計算のワークシートをつくっておく。現物の持ち込みをしてくれる人から聞きとって金額を入力する欄を用意し、残りの部分(部屋代や消耗品費など事前にわかっているもの)は入力しておく。そのワークシートをクラウドに載せておいて、当日になったら現地でスマホから入力。するとあらかじめ指定しておいた割合で各人の参加費用が計算される…という仕組みだ。
 これなら紙も鉛筆も要らないし、おそらく計算間違いもない。クラウド万歳である。

 わたしはAppleの表計算ソフトNumbersでワークシートをつくったが、もちろんExcelでもなんで、クラウドが使えるものであれば簡単である。

 さらに代金の精算方法は、現金、Amazonギフト券Eメールタイプ、PayPayの3種類を予定。小銭を持ち歩かない人にも安心だ。

 なぜにこんなことを実施のだいぶ前から考えてきたかというと、わたしはカネ勘定が苦手であるだけでなく悪筆で、当日になって人前で電卓をたたきながら紙に何かを書くと考えただけで、体が震えそうになるほどだ。だがこの方法なら、気が楽だ。

悲しい事件

 埼玉県の病院での事件 → 2019.05.15 朝日新聞 病院トイレで死産の胎児、清掃員が誤って流す

 胎児の心肺停止により入院中であった妊婦さんが、分娩の前に(←すでに死産であっただろうけれども記事には分娩のためとあった)トイレを使用したところ、そこで胎児が死産された。ところが、ご本人が待機していたあいだに、清掃係がトイレの水洗レバーを押してしまった、とのこと。

 これは、ほんとうに、つらい話だ。誰を責められるものでもないが、ご本人にしてみれば、生まれてくるはずだったお子さんが死産だったというだけでなく、思い出も形見もなくなってしまった。どれだけつらいことだろう。

 病院の清掃の方は、普段から一般的ではないもの(血液)などを見慣れてしまっているのかもしれず、とくに事前の注意や指示がなければ、事務的にレバーを引いてしまったのは、無理からぬことだったのかもしれない。

 こんな悲しい事件が、くり返されないことを、祈っている。

90年代に「フィオナの海」という映画があった

 実生活では人の顔をそれほど覚えるほうではないのだが(ただし声は覚える)、映画ではかなり年数が経っていても、見たことがある人を思い出す場合がある。

 今日はどこかのチャンネルで、以前から見たかった「ローズの秘密の頁」という作品を見つけたが、助演の看護師役の女優さんに見覚えがあった。「この顔の彫りの深さ、これはまさしく、フィオナの海に出ていた、アザラシの姫さまではないか」と、いてもたってもいられず、映画を見ながらその場で検索して確かめたところ、Susan Lynchさんで、当たりだった。

 フィオナの海(原題: The Secret of Roan Inish)というのは変わった映画で、アイルランドの海岸地域に住む少女フィオナの家の物語だ。乳幼児のころから数年も行方不明の弟が海に生きていると信じている彼女は、さまざまな海の生きものや伝説の存在セルキーを思い描く日々を過ごしている。そしてあるとき、ついにフィオナは…!?
(いや、これ、説明しようのない映画なので、雰囲気だけ想像してください ^^;)

 セルキー役の女優さんは、フィオナの想像の中でアザラシと戯れている場面での登場なので、別に台詞があったわけでもない。だがもう、アザラシまみれのそのインパクトといったら、忘れられないお姿であった。
 いまから見ると、最近の人気女優ブリット・マーリングに面立ちが似て感じる。

 ところで、今日見たローズの秘密の頁もまた、なかなかすごい話だった。事情により40年以上も精神病の施設に入れられていた女性が、施設が閉鎖になるために別の施設(または引取先があるならば誰かの家)に行かねばならなくなる。精神障害があるとされていた彼女は、誰も信じてくれない彼女なりの事実と、壊されて不完全になった記憶、熱い思いを、手持ちの聖書に細かく書きこんでいた。
 引き取り手のない彼女の様子を見るため、施設の閉鎖目前に依頼を受けてやってきた医師と、部屋担当の看護師に、彼女はようやく心を開いて昔語りをはじめる。それは、悲しくもすさまじい話だった——

 最後の最後、そこまで細かく描いてしまうのかという点は、好みの大きく分かれるところかもしれない。だがわたしは、あれくらいでよかった(それまでがあまりに悲惨だったのだから釣り合いがとれる)ように思う。

 医師役のエリック・バナ、主人公の運命を大きく左右することになった神父役のテオ・ジェームズ、若いころのローズを演じたルーニー・マーラ、どれも当たり役と思う。高齢になってからのローズを演じたのは、名優ヴァネッサ・レッドグレーヴ。

夢の暗示するもの

 このところ家の中で片付けもの作業が多く、少し疲れているのか、今朝はストーリー性のある夢を見たので、自分で少し解説を試みる。

(以下、夢である)

 福岡から大阪に行くバスに乗ったわたしを、家族が見送る。そのバスは、実は普通の路線バスとは異なり、ある団体の信者のような人たちが乗客の大半を占めていて、もしわたしが途中で強い意志を持って「嫌だ」と言わないかぎり、微生物のはいった目薬を差されて仲間にされてしまうことになっている。わたしは気が重いが、どうしたらいいのかわからずにいる。
 実は見送ってくれた家族は、その団体が関係している大学で(なにやらすごい講座があったらしくそれを学びたいあまりに)目薬を差してしまい、いまはときどき目が青い蛍光塗料のように光る人になってしまっている。ただわたしのことは自分で決めてほしいと思っているようで、バスを見送りながらも、無理強いはしなかった。そしてなぜかバスが発車する直前に、路上に前のめりに倒れて頭を打ったように見えたが、バスはそれにかまわず出発してしまい、わたしは家族がどうなったのかもわからないまま大阪に向かう。

 もう少しで大阪に到着というとき、車内がだんだんと雰囲気を変え、運転席近くには受付のような長テーブルが出て、信者がひとりひとり会費支払と目薬の申し込みをはじめた。暴力を振るわれているわけではないので、わたしはまだ嫌と言える立場だったが、もうすぐ順番がまわってきてしまう。そこで福岡にいるはずの家族に携帯で電話をする。
 頭を打ったことよりも、おそらくは目薬の影響だと思うが、ぼんやりとした受け答えをする家族に、最後だからとわたしは尋ねる——「わたしの順番がまわってくる。目薬をすべきか、断るべきか」と。
 そのときわたしの頭にあったのは、ほんとうは嫌だけれど、自分だけそれを拒否したら自分はひとりになる。それが幸せなのか、どうなのか。そのことだった。いつもならばわたしにわたしなりの道を行けと言うはずの人間は、もう目薬の影響でそれまでの考え方をしない人になっている。だから嫌だと言うかどうかを、決めるのはわたししかいない。

 どうしたら、いいのか。
 そして家族が、一瞬だけ電話口の向こうで正気に返ったようだった。ちょっと待ってとか、あのね、などを言いかけた。わたしは何かを期待した、だが通話は切れてしまった。

——そこで、夢から覚めた。

(以下、自分なりに感じたこと)

 おそらく「微生物のはいった目薬」は、現在の世の中への不満と不安だろうと思う。
 たとえばだが、いくらまじめに考えようとしても、福島の農産物やら食品添加物やら「数字が大丈夫であったとしても、誰かが嘘をついていたり、データをごまかしていたら意味がない」という疑念が出てくる。そして実際に、データを改竄したり都合のよい方向に誘導している事例が(労働問題、就労問題などの政府のデータも含めて)あとをたたない。何を信じたらいいのかわからないことが実際に増えてきているのだ。だが安易に陰謀論には流されたくない。ではどうする——そんなことを日々あれこれ考えている。
 この夢の中の、微生物のはいった目薬というのは「何かの色に染まってしまって、あとは自分で考えなくてもいい、全体でなんとかなっていくのだ」という諦めを含んだ暗示だ。わたしはそれを最後まで拒否したいと思いつつ、自分ひとりになるのが悲しい。それでずっと迷っている。

 目薬を差すとときどき目が青く蛍光塗料のように光るのは、1995年のアメリカ映画「光る眼」(原題: Village of the Damned)の記憶だろう。インターネットムービーデータベースから、予告動画を張っておく。

 街の人びとが一斉に6時間記憶を失い、女性らはなぜか妊娠していた。生まれた子供たちは眼が白く光るという話だ。
 最近の映画ではX-Menシリーズでストームの眼が白く光っていた。

 自分が自分の信じる道を進んでいいと、相手が正気ならば言ってくれるはずとわかっているのに、それでも相手に最後に聞こうとする自分が、なにやら悪い意味で日本人らしいような気がしてしまった。あの夢のような立場になったら、自分はどうするのだろう。

 正解がわかっていても決められない、決めたくないと考えた自分を、情けないと思うよりも、そんな悲しい選択をする事態にそもそも陥らないように、予防線を張っておかないといけないと感じた。

 そして、わたしはまた多くの不安を事前にシミュレーションして、不快な夢や悲しい夢を見ることだろう。だが実際にそれらが起こるよりも、夢でよかったと思える自分でありたい。

アルコールチェッカーだったのか…?

 昼間のことだが、近所の駐車場で車のドアが開く音がした。誰かが出かけるのかと思っていると、大きめな音量で女性の声が聞こえてきた———「お酒を飲んだら、運転はやめましょう」と。
 その音声のあと、車が走り出した様子はなかった。だがドアが開いた。降りたのかどうかわからないが、とにかく車はそのままだったように思う。

 あれは、運転前に息を吹きかけてアルコールチェックをしていたのだろうか。こちらは家の窓が開いていて、おそらく車のドライバーも(車内が暑くて)窓を開けていた可能性があり、それで音声が聞こえてきたのかもしれない。

 それとも、アルコールチェッカー以外に、あんなアナウンスがあるのだろうか。いったいなんだったのだろう。ちょっと興味がある。

(翌日、追記: ナビの声ではと、ご意見をいただいた。なるほど、そうなのかも)

都内で運転免許の自主返納が増えているらしい

 大型連休明けということもあるのかもしれないし、先日の池袋の事件の影響かもしれないが、免許返納が増えているようだ → 東京新聞 2019.05.10 免許の自主返納、都内で増加傾向 池袋事故が影響か

 自主返納というものは手続きが難しいらしいと、つい先日ネットで聞きかじったのだが、東京の場合は、こんな感じらしい → 警視庁: 運転免許証の自主返納の申請をする方(運転経歴証明書の交付は希望しない方)
 この情報によれば、本人申請の場合は運転免許試験場(都内3ヶ所)または免許更新センター(都内2ヶ所)または警察署に出向いて手続きし、代理人申請の場合は運転免許試験場(都内3ヶ所)のみ。
(数分後に追加: 本人申請の場合は警察署でもよいらしい。失礼)

 代理人申請用の委任状(見本)は、自分で印刷して使ってくださいと言わんばかりに上記サイトにPDFで掲載されているのだが、これはほんとうに見本なのか、あるいは参考にして自分なりの委任状を書いても受けとってもらえるのか。当日になって窓口でもめるのは不安だろうし、どうにかして印刷をするのかもしれない。

 いずれにせよ、返そうという段になって、これは面倒そうである。多くの人は高齢で外出が難しくなってきている事情から返納するのだろうし、中には「出かけていったその日の帰宅が不安」という切実な問題もあるだろう。車に頼ってきた人は電車などに乗り慣れない場合もある。そんな高齢者に、本人が出向いて手続きすることを原則とするのは、ちょっと不親切という気がする。

 せめて、公的機関のどこかの窓口で、本人が身分証明とともに返納の希望を告げたら、あとは書類などを郵送で送ってくるようなサービスがあったらいいのではないだろうか。