としまえん(あじさい祭り)

 毎年のように出かけている、としまえんのあじさい祭り。一度でいいから大部分が満開のときに立ち寄りたいのだが、毎年かならずどこかしらが「早すぎる」か「遅すぎる」。今年はいろいろあって今日まで行けなかったが、最後のほうのあじさいのトンネルは、完全に終わっていた。白と青が咲く歩道になった前半部分では、そこそこ咲いていた。そこはおそらく見頃をちょっと過ぎたくらいだろう。後半に向かうにつれ、花が終わりごろだった。

としまえん(あじさい祭り 2019)

 いつもなら、あじさい祭りのついでに隣の庭の湯か、あるいは練馬駅界隈で買い物をして帰ることが多いのだが、今回は別件の帰りだったためすでに4時を過ぎており、あじさいを見てすぐに帰ってきた。

 ところでこの写真の左下なのだが…平日で夕方だったためなのか乗り物がけっこうスカスカだったところ、このフライングパイレーツに関しては、目をこらしても「誰も乗っていない」気がしたため、撮影してしまった。誰もいなくても、動かすものなのか…それとも誰か乗っているのか?

 数日後にまた所用で練馬に行く。月曜は上野。週の後半も予定がはいっている。Suicaを使いまくっている気がする。自動チャージでなくてよかった(笑)。

堀切菖蒲園から、上野へ

 一度は出かけてみたいと思っていた、堀切菖蒲園。5月末に行こうかと思ったのだが、なかなか予定が立たず。それに6月のほうが(花の開きが)よいのではという話も聞いたので、そろそろと思っていたところだが、今日はこの1週間にしては珍しくからりと晴れたので、行ってみることに。

 JR高円寺駅から新小岩まで移動し、バスで堀切菖蒲園の近くまで。駅から歩くよりも少し距離が短くて済んだとは思うのだが、駅からならば歩きやすい道が整えられていたので、帰りはその道を歩いて駅に出た。

堀切菖蒲園 2019.06.13

 すぐ横に高速道路が走っているとは思えない、こぢんまりとした空間だった。すぐ脇には民家があり、少し歩けば学校も。葛飾区が運営しているようで入場料は無料だった。
 ゆっくり歩いても、あっというまに1周できるくらいの広さ。だがいたるところにベンチがあり、多くの場合は屋根もついていて、集団で花を見に来ていると思われる高齢者のみなさんが楽しそうにしていた。門の近くに模擬店の気配があったので、夜はもしかしたら賑わうのかもしれない。

 つい目で洋菓子店を追ってしまうのが癖なのだが、新小岩の北口すぐにあった洋菓子店「こいずみ」、そして少し歩いてバスが通る道(バス停の真横)にあった「バサラン」が、どちらも美味しそうだった。新小岩に出かけてそのまま帰ってくる用事が今後あるとは思えないので、ケーキ購入のチャンスはないと思うが、バス停からショーケースの中まで見えたバサランのシュークリームが、美味しそうだった。
 堀切菖蒲園近くのバス停(堀切二丁目)で降りて住宅街を「こっちに違いない」と適当に歩いていた目の前に、セラヴィ洋菓子店が現れた。住宅街の菓子屋さん。学校は近いけれど住宅街なので、学校に用がある人でないとなかなか気づかないかもしれない。菓子屋を3軒も見送ることになったのは、くやしいが、焼き菓子だけでも見てくればよかっただろうか…。

 さて、帰りは京成線で上野に出た。そこでの衝撃。上野の駅前にあり、嫌でも目にはいった「岡埜栄泉(おかのえいせん)」が消えていた。びっくりである。ビルの1階が店だったが、2階の窓近くまで大きく緑色の店名看板があった、あの店。豆大福の岡埜栄泉が…消滅。
 あわててその場でネットを検索したら、去年の秋くらいに、すでになくなっていたらしい。麻布のほうで店名を変えてお店を出したとも聞くが、いや、もう、ほんとに「あの岡埜栄泉がなくなった」というのは、あったと思っていた場所から西郷さんの銅像が移転していたとか、渋谷からハチ公が新宿に移転したとか、それくらいの驚きである。
 ん〜、これも時代か。わたしは、豆大福に関しては虎ノ門の岡埜栄泉ばかり好んでいた。上野も「たまには食べようか」くらいだった。もっと買っておけばよかった。

 それにしても、都内の岡埜栄泉は、だいぶ減ったなぁ。以前は、本家や分家の弟子筋などが店を開くときなどに、店名を名乗っていたのではないかと想像するが、新井薬師前駅にもあったほどだ。新井薬師前も、もうなくなってしまった。

 収穫としては、一度は食べたいと思っていた上野駅近く(ガード下)の蕎麦屋「つるや」で、いか天蕎麦を食べたこと。自販機のチケット制のためか、東京なのに1杯が430円。なかなかである。ただ、簡易椅子なので(気分としては立ち食い)、あまり長居はできない。

アヴェンジャーズを見に新宿まで

 上映時間が3時間強だというので、体力的につらいと持っていたアベンジャーズ/エンドゲームだが、今日は重い腰を上げて新宿のTOHOシネマズまで出かけてきた。

 正直なところ、動画配信まで待ってもよいと思っていた。だが昨今のSNS事情を考えてみたり、関連作のテレビCMなどがはじまったことで「これはもう、世の中がネタバレに向かって歩いている。動画配信になるまでに、あちこちでネタバレがあたりまえのようにはじまってからでは、見る価値が薄れてしまうかもしれない——そう思い、出かけてきた。

 おもしろいといえばおもしろいのかもしれないが、1か月半も上映しているほどに高レベルではない気がする。出演人数とメンツが豪華とは思うが、ネタバレを事前に耳に入れてしまう不安がなかったなら、わざわざ見にいくほどでもなかったかもしれない。

 映像としては普通。10年前ならば珍しかったかもしれないがこのところ映像の技術が上がり、たいていのことは可能になってしまった。そして話の流れとしても、おおむね妥当。見ながらだいたいの筋が予想可能なので、ドッキリはらはらということはない。

 最後のほうの、決戦のシーンでは、う〜む、これはあまりに「出しすぎ」かと。描き方の程度ではなくキャラクタの数という意味だ。そしてその場面に象徴される「こちら側(味方)と、あちら側(敵)」の分け方がきっぱりしていて、なにやら生々しいほどにアメリカらしい。もう少しおさえた描き方はなかったのだろうか。
 この思いは、たとえば、昼はウニ丼にするか、いくら丼がいいかと真剣に悩んでいたときに、店主がおまけして海鮮オールスターズを3段重ねで出してきた状況に近い。さあこまったぞ、まずくはないのだが、何もここまでしてくれなくても、と思うのだ。

 けなしてばかりいるが、面白いシーン(くすっと笑える系)もあったし、真田広之がいきなり出てきて数分で退場するし、見た人同士で語り合える内容はそこそこある。最後にあの人物がベンチに登場したとき、いい締めくくりだと感じた。

 だが全体を通せば、これまでのアベンジャーズ系列作品を「きれいにまとめてみた、どうだっ」と、どや顔で出されたような気がしてしまう。職人芸を誇示された気持ちしかなかった。

交付金を減らされないために費用をかける

 東京新聞の記事( 2019.06.10 → メタボ健診、低調なら交付金減 政府、国保で自治体対象に )を見ていて思ったのだが——

 自営業や無職の人らが加入する国民健康保険(国保)を巡り、政府は10日、特定健康診査(メタボ健診)の実施率が低いなど、病気予防や健康づくりを促す取り組みが遅れている自治体を対象に、交付金を減らす方針を固めた。

 交付金を減らされないために、自治体は「メタボ健診を受けませんか」といった働きかけをすることになる。何をするかと言えば、人を雇って(おそらくはどこかの企業または団体と契約して)電話をかけまくったり意識向上の書類を送ったりするのだろう。実際にわたしも身近な人たちから「区に委託されたらしい団体から健康診断のことで電話があった」と耳にしたことがある。

 カネで動かされてカネを使うという構図かと思う。なにやらむなしいが、悲しいかなオカミがまわす世の中の事例には、こんなカネの流れが多いようだ。
 だがここで肝心なのは、自治体が目標とすべきなのは、国に言われたとおりに市民のメタボ健診を増やすことではないはずだということ。最終的に、医療費のコストをおさえつつ、人びとに健康を維持してもらうことこそを狙いとすべきだろう。

 メタボ健診といっても国がデータを吸い上げてどこかの団体を経由し、ビッグデータとして何かに使うつもりがあってのことだ。そのデータを誰がどう使っていくかは、細部まで予定されているわけではないのだろう。もちろんその過程で医療関係とデータ処理の仕事は生まれるわけだが、低コストで市民に健康を維持してもらうという目標からは、直線距離で考えるとかなり遠い。

 なにやら無駄の多い世の中に思える。だが紆余曲折は最後には直線なのだろうか。なんとか、もう少しだけでも、すっきりスリムにできないものか。

夜の音が聞こえる

 何日くらい前からか、詳しくは覚えていない。だがおそらく半月くらいは経つと思う。宵っ張りのわたしが就寝時間(日付が変わって以降)に1階への階段を降りると、玄関近くのどこかから、夜の音が聞こえるようになった。

 なんの音か、その日から毎日ずっと考えている。
 家のどこか…壁の中をさらさらと水が流れる音のような気もするが、蛇口から水漏れはしていない。エアコンをつけている時間帯ならエアコンのパイプを流れる音かという気もするが、涼しくてエアコンを使っていない日にも聞こえる。
 隣家の植木が風にそよいで、葉がこすれる音を立てているのかとも思うが、木々がいつも決まった音を出すような具合に、都合よく風が吹くものだろうか。

 音のかもしだす雰囲気としては、かすかに、スーパーの袋の隅がこすれているような音にも近い。やはりどこからから微風がはいってきて、玄関近くの何かに当たって、音をたてているのかもしれない。

 付近の家が減って更地になり、建て直しなどが進んでいるため、風の流れが変わってきているのは事実だと思うが、就寝が近づいたような時間帯にだけ聞こえてくることが気になる。この界隈は、夜の9時を過ぎたあたりから、たとえば酔っ払いが大声でやってくれば遠くからでもわかるほど静かなのだ。もしや就寝前でなくとも聞こえているのに、わたしの耳があまりそれを認識していないということだろうか。

 この音が何月に気にならなくなるかで、原因がわかるのかもしれない。それまでは考えつづけようと思う。

2019年6月8日「バウムの会」

 どこにまとめを書こうかと思ったのだが、やはり、何年もずっとバウムクーヘンのことを書いていた、こちらのブログに。

 4月上旬にちょっと人生の転機を感じたわたしが、何か目新しいことをしてみようかと考えた。そこで、バウム好きのみなさんをお誘いして楽しくバウムを食べてみようかと。少しの準備期間ののちに決意し、4月下旬の段階から、中野駅近くの某所(貸し会議室)を3時間予約した。早期予約のためか、土曜日にしては、通常より安くしてもらえたようだ。

 企画当初は「当日の参加は8人以内か?」と予想したものの、直前に人数が増えた場合にそなえて、ぎりぎり15名まで可能という部屋にしておいた——だが、食べ物の撮影がらみのイベントでは、やはり「ぎりぎり15名」という部屋に8名前後がはいるのが、ちょうどよいらしい。今日は直前に参加が減って7人になってしまったものの、人数としてはちょうどよく使えた。ぎりぎりと言われていた15名の入室であれば、バウムをカットする場所も確保できなかったはずだ。

 次回は、12人くらいで集まりたい場合には、20名まで可の会議室を探したほうが、よいのだろうか。あるいはレンタル会議室でなく、飲食可となっているミニキッチン付きの部屋を、ぴったりの数で予約すればよいのかもしれない。

 閑話休題。

 こちらが、集まったバウム。わたしは気づいたらあまり写真を撮っていなかったので、集合写真で失礼する。
バウムの会(19/06/09)画像

 集まったバウムは…
○ パティスリーヒヤマ(ホール) – ピレネータイプ、文京区 前回の写真(Facebook)
○ デザート倶楽部(ホール) – シンプルなバウム、板橋区 10年前の写真
○ ウィーンの森「バッハ」(ホール) – 密度のあるバウム、島根県 前回の写真
(ちなみにこちらのお店は、形が違うバウム「コンチェルト」もあるが、形が違うだけなのか原材料が違うのかは、不明)
○ マッターホーン(ホール) – 入手困難になってきた有名バウム、目黒区 前回の写真
○ ムッティスクーヘン(ホール) – どっしり豪華なバウムトルテ、世田谷区 前回の写真
○ 柳月「年輪」(ホール) – チーズの風味があるバウム、北海道 前回の写真
○ リンデンバウム(ホール) – 神奈川県の老舗バウム 前回の写真
○ エリザベス(ホール) – 板状。通常は個別包装の小サイズ、今回は特注で長くしていただいた、岐阜県 参考写真
○ ヌーベルボワール(ホール) – かつて「ボワール」という名前だった岐阜県のお店 10年前の写真

○ バウムウントバウム(チョコ生地の個包装を、みなさんでシェア) – 兵庫県 参考写真
○ 千秋庵(個別包装、全員に1個ずつ) – 北海道 参考写真

 順番は、わたしが手配したものや、早くから話題に出ていたものから記載し、ホールが先。個別包装は最後。それ以上の意味はない。

 ヒヤマさんは、個人的に好きな店である。原材料などがまじめで、店内商品に手作り感があるし、店構えもそれとなくオシャレ。
 デザート倶楽部は、店舗に出かけたのは初めて。急いでいたのでバウムだけ買ってしまったが、冷蔵ケースのようなものには半生っぽい焼き菓子があったようだ。それに気づいていればもう少し買ったのだが、棚の後ろの、工場(こうば)のようになっている場所で実直そうに立っていた店主さんに話しかけてしまい、お会計も済んでしまったあとだったので、また次回に譲ろう。
 ウィーンの森というお店は、松江市や米子市に店舗がある。いちばん大きかったらしい殿町店というのがどうも閉店したらしく、どこに電話をしていいのかわからなくて2〜3店舗に問い合わせをした。通販は、していないらしい。けっきょく、松江にお住まいの友達に頼んで、東京に用事があるときにもってきてもらった。ありがたや。
 マッターホーンさん、いまや買うのが困難。朝一番にお店に寄っても当日分が買えない場合があるそうで、予約も店頭での問い合わせのみになってしまった。今回は参加者さんが手配をしてくださった。ひさしぶりに食べられてうれしい(^o^)。
 ムッティスクーヘンさんは、どっしり、がっちりと重厚なお味。表面のフォンダンがしっかりとしている。食べるのは3度目くらいだが、今回のように大きな状態で目にすると、また感動もひとしお。
 柳月「年輪」は、期間限定販売をやめて、通常販売になったらしい。カットしてすぐにチーズの香りが漂う。チーズ好きの人は、試してみるとよいかも。
 リンデンバウムさんは、かなりひさしぶりだが「そうそう、この味」と思い出した。火の加減がちょっと強めなのだが、そこがまたよい。
 エリザベスさんは、今回の参加者さんが以前に個別包装をくださったことがあり、そのときも美味しかったのだが、やはり厚みがあると、また趣が違って美味。
 ヌーベルボワールさんは、販売時は冷凍。解凍されたころ食べるわけだが、この、周囲の砂糖がカット時に「しゃりっ」と音がする。参加者さんから「音が聞こえたっ」と、野鳥観察で自然の中にいるかのような、楽しそうな声が聞かれた(^o^)。

 バウムウントバウムは、個別包装の商品をご提供いただき、みなさんで少しずつ分けていただいた。今日は思いがけずプレーンタイプが多めだったので、色合いとしても美しかった。
 千秋庵を、参加者全員に行きわたるよう、まとめて購入していただいた。こちらはまだ食べていない。楽しみにいただくとしよう。

 またこのような集まりが開ける機会がありますように。

(参加者のみなさま、ありがとうございました)

参考リンク:
○ バウムの書
○ 日々バウム

○ 楽天市場で、バターを使ったバウムクーヘンを見る

レジ袋削減の話は聞かれはじめたが

 今日、ふと思ったのは、スーパーなどの店の前においてある傘袋。あれは使い捨てだが、レジ袋が騒がれてもあれはまだ騒がれていない。

 どうするのだろう。このままでいいはずはないだろうが、何か予定があるのか。
 実現可能かどうかはさておき、わたしが思いつくのは、瞬間脱水機(そこに傘をあてるとブルブル揺らして水気をとるとか)、瞬間乾燥機(猛烈に熱風を当てる)、あるいはいまさらながらのローテクで、鍵付きの傘立て(これはスペースがないだろうし、安傘を置き去りにする人がでるかも)…。

 レジ袋だけを騒いでも、意味がない。レジ袋以外も騒いでおこう。

=== 翌日追記 ===

 Facebookにて「傘のしずくとり」という商品があると教えていただいた。中に傘を入れてくるくると回すと、水分がとれて下に落ちる商品らしい。すばらしい。
Googleの画像検索結果: 傘のしずくとり

製薬会社から医師への謝礼

 講演会の依頼など、さまざまな名目で製薬会社から医師へお金が流れている。すべてを問題視するべきではないのかもしれないが、やはり、かなりの部分はダークと呼べるのではないだろうか。
 たとえば患者や、病院内で立場がまだ確立していない若い医師の考えよりも上に、製薬会社と結びついた医師の意向というものがあれば、それはほんとうに患者のためになる薬の選択とは、言えないように思う。

 NGOが製薬会社から医師にお金が流れているかどうかを調べられるデータベース2016年版を提供しているとのこと( → ワセダクロニクル)。支援があれば2017年版も進めていく予定らしい。ありがたい存在である。

 さっそく自分の知る病院の何名かの医師を入力してみたが、やはりわたしのような庶民が知っている医師は、製薬会社にとって美味しい存在ではないらしく、結びつきはなさそうだった。

かつて am/pm にあったフローズン弁当

 フランスから輸入した食品を販売するPicard(ピカール)という店が店舗を増やしていると知って、かつて am/pm にあった、フローズン弁当を思い出した。

 店頭で注文を受けた段階で、コンビニ側が加熱仕上げをして客に渡す弁当(冷凍食品)だった。配送ルートや店舗で適切に冷凍が保たれる前提であるならば、商品は長持ちするため廃棄にまわる危険性も低い、なんともエコな商品だったと思う——それにまつわる電力の消費がエコかどうかはさておいて、だ。廃棄される食品の量が減る意味では、環境に優しかった。

 商品の味はどうしても濃いめになり、顧客層から考えても洋食に向いていたように思うが、なんとかああいうものを増やして、食品廃棄を減らすことはできないのだろうか。

 日本は大量の食品を廃棄している。少しでも減らす努力を、そして1日でも早い実践をしなければならない。

気分が明るいという自覚

 義母が4月に施設にはいって、ゴールデンウィークのころまでは、あたふたとしていた。まだ自分たちが自由になったという実感がなかった。義母のいた部屋だけでなく家を片付けたり、いろいろな残務をこなさなければならないと、気持ちが焦っていた。

 だが5月の中旬くらいから、だんだんと、自分が明るくなっていることに気づいた。去年までとは違う。とくに意識してもいないのに、日々を自然体で過ごしているように思う。

 今月は、ちょっとした外出イベントが重なっている。まずは今週末に予定しているバウムの会、そして例年この時期に来日するアメリカの知人との外出が何度か。月に複数回のイベントがあること自体が、わたしには長い間なかったことだ。去年までもっと少ない回数でも緊張があった。

 数か月前までは、いつも先のことに警戒していた。「来月に人と会う約束をしてしまった、どうしよう、無事にその日を迎えられるのか、その日のあとも普通の日々が来るのか」とまじめに悩み、へたをすると体調不良に陥りそうなほど緊張することがあった。その日が無事に過ぎるとほっとした。

 いまの自分には、その不安がなくなっているようだ。

 この気の持ちようが、おそらくは普通のことだったのだろう。長いあいだ忘れていた。