iPhoneを新しくてから

 新機種のXrに交換してからこの1か月くらい、ほぼまったく出先でモバイルバッテリーを使用していない。iPhoneでPokemon Goをやろうと、Facebookを見ようと、はたまた地図アプリを立ち上げようと、早朝から夜までまる1日の外出というわけでもなければ、帰宅時まで余裕である。

 いちおうバッテリーは持ち歩いているが、お守り程度の存在になっている。

 先日まで使っていた6sが、バッテリーの消耗が激しくなっていた。昨年末までアップルによる割安なバッテリー交換の対象機種だったが——

(参考記事:IT Media 2018年02月01日 iPhoneバッテリー“無償交換” その方法と事前準備

——これがかなり並ぶか、あるいは当日に交換してもらえないかもしれないと噂を聞き、二の足を踏んでいるうちに、この秋に機種変更でXrになったというわけだ。

 快適である。ただし、読み上げ機能の音声(システム音声に指定した場合以外では、外国語に非対応)の件を除いては。

 

キャンドルサービスの謎

 このブログでは毎度のことだが、急に思い出したことがある。中学のときに、何かの合宿に出かけたときのことだ。
 宗教には縁がない普通の公立学校だった。合宿で夕食後に広間のようなところに集まり、キャンドルサービスを体験した。

 なぜそんなことをしたのかが謎なのだ。クリスマス時期ではなかった。だいたいそんな時期ならば冬休みであり、合宿をしたはずがない。さらに公立校がクリスマスのキャンドルサービスをとりおこなったら、けっこう問題だったはずだ。

 では、なぜキャンドルサービスをしたのか。

 その後にキャンドルサービスに遭遇したのは、知人らの結婚披露宴くらいだ。

 いまネットで「合宿 キャンドルサービス」と検索すると、合宿でもおこなわれているらしいことがわかるのだが、それは私立の学校がクリスマス時期に何かの合宿で、という例が多そうである。

 あのキャンドルサービスは、いったいなんだったのか、首を傾げている。

 ちなみに日本語ではカタカナで「キャンドルサービス」だが、英語ではcandlelight serviceである。クリスマス・イブの集まりや、何らかの記念や追悼の集まりで人びとがろうそくを手にするものであり、日本の結婚式のような場合はcandlelight weddingなどの言葉を使う(serviceは使わない)ように思う。

流行は10年で一巡という説があるが

 わたしは今日、10年くらい前に好きでよくやっていたことを、ひさびさに体験した。1時間くらいのこととはいえ、とても楽しかった。

 本をほとんど読まない年があったり、何でも撮影する年があったり、気になる英語表現をひたすらそのあたりのメモ帳に書く年があったり(お決まりの話だが「書くだけで見直さない」)…そして数年前は、色とりどりのノートを買ってきて、色とりどりのボールペンで「何か」を書いていたこともあった。おかげでいまでも周囲はノートとボールペンの山である。

 わたしの行動パターンは、きっちり10年ではないだろうが、数年に一度はぐるぐると回っているように思う。

ひさびさに、撮影をしたい

 このところ撮影するものは、そのあたりで遭遇する猫と、日々の食べ物が圧倒的に多い。近所の風景は撮影するが、自分にとって大切な日常をあまりネットで使いすぎるのも、気持ちの上で落ち着かないものだ。居心地のよい場所は、そっと大切にしておきたい。

 ならば何気ない風景写真をフリー素材としてダウンロードしてみようかと考えても、使おうと思う用途やイメージに、合わないことがある。探すのに時間がかかって、けっきょくは気に入らないことも。

 では自分で撮影しようかと、ひさびさに思った。

 以前は写真ACによく投稿していたのだが、1年以上前のあるとき、ちょっとしたことで、不快な印象をいだいた。そのころから投稿したいという意欲が減った。これまで投稿してあるバウムクーヘンや風景写真をダウンロードしてくださる方が現在もいらいて、毎日少しずつみなさまから小銭をいただいている身だが、新たなものを投稿しようという気分になるまでには、時間がかかりそうだ。
 これからしばらくは、自分が撮って楽しい、自分が使いたい画像のことを、考えてみようと思う。

 またいつか気が変わるかもしれないが、しばらく遠ざかっていた撮影に、また気持ちがもどってきた。
 いまのうちに、撮影を楽しもう。

叫ぶ女と、冷ややかな猫

 最近よくこの画像がまわってくる。写真は同じようなもので、文字が違う。これは女性が「こう読むに決まってるでしょ」と叫んでいるのに、猫が自由な読み方をしてしまうというもの。

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😺🚬 #confusedcatmeme #womanyellingatcat

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 女性の側は「禁煙、安全第一」と読んでいるのだが、猫のほうは「安全よりも、まず一服」と読んでいる。

 つづいては、「3月11日よっ」と女性が叫び、猫は「マリオ」と読むもの。
 

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Recommended by Mario, Mario certified, I need Luigi's opinion too

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 ほかにも、文字がくっつきすぎて誤読をしそうなものを、女性が「こう読むのよっ」と叫んでいるのに、猫のほうが見える通りに下品に読んでとぼけているなど、そういうものが次々に流れてくる。だがこの写真が流行りはじめて誰より笑っているのが、この女性らしい。自ら何度も「これおかしい」と、フォロワーに紹介している。この画像は、2011年に放送されたテレビ番組での映像から切りとられたものとのこと。

 この件ではいくつもの記事が紹介されているが、今回このブログに書くにあたり、 What is The Cat Meme, and Why Is That Woman Yelling? An Explanation of the Hilarious Viral Moment にあったリンクをたどり、参考にした。

 いっぽう飼い主は、突然に流行ってしまった自分の猫にとまどいつつも、Instagramでこの白猫 Smudge the cat の日常を発信しはじめたとのこと。いまではフォロワーもかなりの数にのぼっている。今日は「人間という下僕よ、跪け」と、ありがたくもSmudge the table catさまがおっしゃっている画像があった。飼い主さんもノリノリである。

同じ時間を生きるということ

 30代くらいまでは、同郷だからとくに目をかける、応援する、あるいは同じ大学出身だから親近感を覚えるといった言葉を耳にするたび、軽い違和感を感じていた。なにやら実感をともなうことがないまま、ただ漠然と、それはなぜなのだろうと感じていた。
 そう発言する人は実際にいたし、わたし自身もまた、卒業していないと告げてあったにもかかわらず、同じ大学に学んだのだからと何度も親しく話しかけてくれた人が、勤務先にいた。

 最近よく、感じることがある。家族と話していて、同じ時間を似たような経験をして過ごしてきてよかった、と。
 たとえば「プールから出てきたのはサンダーバードの何号だったか」とか、仮面ライダーやキカイダーの話。あるいは天才バカボンのパパは後天的にバカっぽくなったはずなのに、なぜ息子はバカと天才がひとりずつなのだろうかとか。それがどれほど小さなものであれ、共通の話題が多くあるというのは、それだけ気が休まるということなのだ。

 同郷だから応援したくなるという気持ちも、最近なんとなくわかる気がしてきた。共通の知り合いがいるかもしれない、何かの縁がそこにあるような気がするといったことも、たしかに理由ではあるだろう。だがもっと直感的に、自分にとって懐かしい場所に暮らした(暮らしている)人ということで、仲間のような気がするのかもしれない。

1928年の書籍にタピオカ粉の解説

 タピオカティーの店が近所だけでも何軒も乱立してすさまじいことになっている昨今、中高年は「昔も流行ったのに、またか」と苦笑するが、話はそれよりさらに遡り、なんと90年も歴史があるもののようだ。

 ニッチー! というサイトによれば、1928年の書籍(主婦の友社刊、当時の表記は主婦之友社)に、タピオカ粉があり、タピオカプリンの配合まで紹介されていたとのこと → 2019.11.07 Nicheee! 90年前のレシピ本に掲載された意外なスイーツとは?

 そういえばこの10年ほど、クリスマス時期になると大きく話題となるシュトレンだが、あれも日本ではすでに50年くらいの歴史がある。たとえばこちらの千鳥屋さんのサイトによれば、1969年から焼いているそうだ → 熟成クリスタルシュトーレン

 多くの人に注目される以前に、それぞれの人や店の歴史があるということにほかならない。

 それにしても現在のタピオカティーに関しては、日本でのみ流行っているわけではなく、他国でも似たり寄ったりの騒ぎである。外国のメディアにもよく取りあげられている。

2年後のためのイベントメモ

 2021年7月に賞味期限を迎える、国産リッツ(ヤマザキナビスコ)の5年保存缶が買ってある。現在流通している新リッツは原材料も製法も違うため、もはやあの味は伝説。

 2年後の夏にでも、知人らを集めて「国産リッツほんとにさよならの会」を開こうかと思うので、メモとして書いておく(^^)。

役所とハンコ

 区役所でハンコを使わなくなって何年になるだろうか。
 今日は野暮用で出かけたのだが、まず最初に戸籍関係の書類申請でのことだ。わたしときたら記入は何カ所も間違うわ、写真付き身分証明書がないために話の途中から同行家族の免許証を見せたところ「では書類の申請者を免許証をお持ちの方に変更してください」と言われてぐりぐり傍線で消すわ、あげくに現住所が本籍だと思っていたら前住所がそうだったことを思い出したわで、申請書が傍線だらけの汚い状態になってしまった。

 仮に20年も前だったら、いったいどうなっていただろう。提出用の押印と訂正印で、たいへんな騒ぎだったはずだ。訂正用のハンコを持参していなければ、近所で買ってこいといわれた可能性もある。実際に区役所や公的機関の売店には三文判が売られていたという、冗談かと思える実話も耳にした。

 あるいは区役所ではなく別の役所だったら、いまも「印鑑があったら、ここに訂正印を押してほしい」と言われる可能性もあるかもしれない。保健所に製菓衛生師の申請に出かけたとき、とくに指定がなかったので西暦で提出日を書いたら「訂正して、平成にしてください」と言われた。あれは試験に合格してまもなくだから、12年くらい前ではないだろうか。

 ハンコ使用場面が大幅に減って、それだけでありがたい世の中である。願わくば各種の手続きなども、さらにスリムになってもらいたい。

なぜか思い出す「葬式饅頭」

 三つ子の魂百までもというが、子供のころに親しんだ味というのは、なかなか忘れない。そして急に思い出すこともある。

 子供のころ、近所や親戚に高齢者でも多かったのか、しょっちゅう葬式饅頭が家にあったような記憶がある。いまよりは和菓子屋も多かったであろうから、急な葬式が重なってもなんとかなっていたのだろうが、何十人もやってくる参列者に饅頭のはいった小箱(だいたい箱に大きな小判型の饅頭が2〜3個ずつはいっていた)を渡すのが通例だったから、手配する饅頭の数も重さも、たいへんなことだったと思う。

 うちの界隈では、こんな感じのものが配られていた。(Wikipediaより)

A funeral steamed bun,kasuga-manjyu,soushiki-manjyu,katori-city,japan.jpg
katorisi – 投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, リンクによる

 
 記憶ではひとつのサイズが大人の手のひらよりも心持ち大きめで、4分の1カットくらいにしたものを分けてもらっても満腹感があったずっしり加減。中身はこしあんだった。包む皮は、厚めではあっても、よくある薯蕷饅頭の系列(芋系のつなぎがはいっているもの)だったように思う。

 東京に出てきてから、葬儀にはほとんど縁がない。田舎の知人や親戚が亡くなっても母が代理で香典を渡してくれることが多く、参列したことがほとんどない。最後に喪服を着たのが何年前かも思い出せないほどだ。
 まったく同じものを次に食べることがあれば、それは田舎の葬式である。味はもう覚えているから、食べなくて済むように、とりあえず誰も死なないでいてくれたらありがたい。