PhtevenとCarcとFaxの話

 ネットでたまに見るギャグ。どうも発端は実話らしいのだが——

 客がコーヒーを注文し、店員に名前を告げる。「cを書く方のマーク(Marc)ね」
 のちほど、飲み物が手渡され、そのカップにはCarcと書かれている。これじゃカークであってマークではないという笑い話。

 同じような話でPhtevenがある。店員に「phを書く方のスティーブン(Stephen)ね」と告げると、やってきたカップには「Phteven(フテヴン)」という表示。忙しいから間違えることがあるのは当然としても、やはり笑える。

 いまでは、CarcやPhtevenという単語で画像検索をすると、いかにたくさんこの手のネタが愛されているかがすぐにわかる。

 さて、わたしが食品の通販で、ネット販売をしていない店に注文をする際に自分から「FAXでもいいですか」と尋ねてしまうのは、実はこれが理由。住所と氏名の漢字を、電話で言うことが苦痛なのだ。どの漢字も難しくはないのだが、平凡すぎるので、漢字の偏と旁を言うまでもない(または相手が若すぎて偏の話をしても通じない)と思う場合は、「普通のです、一般的な」としか言いようのない状況も。

 きちんと伝えることができて「へー、めずらしく1回で聞きとってもらえた、すごい店員さんだ」と思っても、数日後に荷物の宛名を見ると、一部がひらがなになっていることがある。最終的には、届けばいいということなのだろうが、それなら住所や名前を伝える際に「すみませんがお名前はひらがなでもよいですか」と言ってもらっても、こちらはかえってほっとするほどだ。

 わたしの下の名前をここで書くのは気乗りがしないため曖昧に書くが、一生懸命に伝えたつもりが、Phteven級の間違いをされたことがある。その漢字ではぜったいにわたしの名前にはならないのだが、その人はそう解釈して宛名を書き、当方もその名前で郵便を受けとった。まあ、たいした内容物ではなかったはずなので、最終的には、届いてよかったということに、なるのかもしれない。

「天丼には目がない」を、各社の自動翻訳にかけてみた

 このブログで古い記事を読んでいたら「天丼には目がない」というタイトルがあった。それはクリックしていないのだが、次の瞬間にわたしがやったことは、以下の実験である。

自動翻訳の比較

 Google / Bing は、予想通りに「天丼(という生き物)は、目を持たない」
(これは、こうだろうと思っていた)

 そして最近なにかと話題のDeepLは、「天丼は大好物」ということで、正解。
 Exciteは、なんと、「わたしは魚と野菜を揚げたものがトッピングされたご飯が大好き」。そこまで親切に解説するとは。
 Weblioは「天ぷらのどんぶりが好き」、みらい翻訳は、「天丼が好き」。

 というわけで、あくまでこの「天丼には目がない」だけを考えるならばだが、GoogleとBingは、当てにならない。

 

フランス語は、これで身につく(!?)

 自慢ではないが、下手の横好きとはわたしのためにある言葉だ。語学には関心があり、昔から基礎だけは学ぼうと各国語の本を買ってきてはぺらぺらページをめくり、DVDでその言語をBGMのようにかけてみたりと、あれこれやってみるが、ひとつも身についていない。そして基礎だけやると。もう片っ端から忘れる。

 英語だけは年数が長いのでかろうじて忘れずに済んでいるが、ひどいのがフランス語だ。高校生のころにラジオのテキストで学んだり、その後に機会があればフランス語の授業をとったりしたこともあったが、その後も豪快に忘れていく。最近では、ネットでフランス語のニュースを読もうとしても、単語を追ううちにじれったくなって、Google等で英訳して読んでしまう。

 ところが、昨日ちょっとおもしろいことをやってみて、これなら今後はフランス語も覚えられるかもと気づいた。

○ Kindle Unlimitedで、フランス語で書かれたレシピ本をダウンロードしてくる。このとき、文字として掲載されているものをダウンロードすることが重要。
(日本の一部のレシピ本のように、内容を写真としてキャプチャしたものはだめ)
○ Macの「システム環境設定」→「アクセシビリティ」→「スピーチ」から、フランス語の音声をダウンロードしてくる。
○ Kindleでそのフランス語レシピを開けて、音声はフランス語を指定してから、読み上げさせる。
○ 得意分野(製菓、製パン、簡単な料理)ならば、単語も、書いてある内容(作り方)もほとんど頭にはいっているため、音声を聞きながら文字を目で追えば、発音とリズム(抑揚)が学べる!!

 これはもう、やみつきになりそうだ。

 いままでも、フランス語はレシピ関係なら単語としては頭にはいっていることが多かったため、菓子などを調べるにもフランス語の単語を自分で打って検索し、内容に目を通すことはあった。だが読み上げる際には、発音が無意識に英語読みに近づいていってしまうので、せっかくの検索結果についても、フランス語ができる人にその英語っぽい読みのまま話しかけてしまい混乱を招く。話が通じないか、あるいは発音を直されてしまうのだ。

 だが、これで「読み」と「抑揚」が身につけば…!?
 いつかは、レシピ関係だけでも、ましなフランス語が身につくかもしれない。

 …あくまで「かもしれない」ではあるが…。

参考リンク:
いまこの方法で読んでいるレシピ。

なぜ、この語順

 おもしろい写真を見た。
 なぜこの語順なのか。
 
 

 

 変電設備かと思われるが、機材収納の扉に、この表示。
 
SAFETY WARNING
Opening this box will result in Death by Electrocution & a €50 Fine.

 意味:
 危険!この扉を開けると感電死し、50€の罰金です。

 …いや、感電死したら罰金はこの際どうでもいいと思われるが(^o^)。

 そういえば、ネットでよく話題になる群馬県の写真を載せておくことにしよう。
 この先が群馬県という表示の脇に「危険」とあるので、いったい群馬に何がとよく笑われているが、いちおう看板は単独になっている。この画像は写真素材サイト「ぱくたそ」でいただいた。

この先、群馬

 これよりもっと笑える画像を見たことがあるのだが、それはコラージュだったのだろうか、よくわからない。実在するのはこの風景のようだ。

蒼ざめた馬 (the pale horse) とは

 BBCのドラマでアガサ・クリスティ原作「蒼ざめた馬」というのを録画しておいたのだが、それを見ながらずっと「原題が the pale horseなら、蒼ざめてなくて色白な馬じゃね?」と思っていた。

 見終えてから検索してみたところ、もともとの表現としてはヨハネ黙示録の四騎士に由来するのだそうで、第四の騎士が乗っていたのが the pale horse だとか。さらに、これはWikipediaによればギリシャ語のchrolosの訳語だそうだ。そしてchrolosを英語にした場合は、灰色または緑色、黄色みを帯びた白っぽいものなどを意味する。
 ただ、英語のpaleには「色を失った」という意味合い(具合が悪くて顔色が悪い)があり、英語のpaleを訳した場合に「青白い」とする可能性は多分にある。だが青白いを蒼白に言い換えることはできても、蒼白の白をとって「蒼ざめた」にすると、なにやら意味がよくわからない。白がつかないと「茂っている」とか「青々しい」というポジティブなイメージと結びつきやすい。みずみずしさとでも表現すればいいのか、とにかく明るい印象の言葉である。

 というわけで、アガサ・クリスティの作品タイトル以前に、聖書で「蒼ざめた」が定訳になっている歴史があるのかもしれないが——「青白い」または「蒼白の」ならまだしも「蒼ざめた」とは、わたしにはどうしても、意味が通じにくいように感じられた。

homeは、ふるさとか、家庭か…

 知人とのやりとりでおもしろいことがあったため、ざっくりと書いておくことにする。

 いつも仲良くしているアメリカ人女性(ただし幼少時には日本語も話していたし、現在もある程度はわかる)から、メッセージが。曰く Home is where the heart is. を日本語っぽく書くとどうなのか、という質問である。

 これは、いろいろな意味がある言葉だ。古くから定訳とされているものには「ふるさとは遠きにありて思うもの」がある。だがおそらく彼女が聞いているのは、そうした郷愁的な古い響きではないだろう。現在どこかで何かに使いたい人がいて、代理でわたしに質問をしてきたのだろうから、自分なりに「(実際にどこにいようと)心のよりどころがある場所が、ふるさとです、ということだよね?」と答えてみた。

 すると、ふるさとの意味は彼女も理解できているため、すぐさま「タウンとかエリアではなく、もっと、家みたいなの」と英語で答えてくる。そこからが複雑な話になった。
 何回かのやりとりをかいつまんで書く。わたしは「家のことをわざわざそういう風に表現することは、日本ではあまりない。ふるさとみたいに大きな存在についてなら自然に言葉にするけれど、家は(あたりまえすぎて)、わざわざ愛とかぬくもりとか、そういった言葉で表現することは、あまりない。ほんとにそういう狭い意味でいいのか?」と答えてみた。

 すると彼女は、その英文 Home is where the heart is. がアメリカの田舎の家などで刺繍飾りとして使われていると語り、その画像をリンクで「こんな感じの…」と紹介してきた。
 いや〜、驚いた →(参考までにこんな感じの画像検索結果)。間違いなくこれは「わが家」系の意味合いで使われているのだが、日本で「家はいいよね、わが家や暖かくてすばらしい」のような内容を日本語で刺繍することは、ほぼまったく、考えられない。少なくともわたしはこれで、かなりのカルチャーショックを受けた。

 そこで、再度検索。するとテニスの大坂なおみ選手が最近この言葉をテニスシューズに書いていたということを知り、そのときに日本語で紹介されていた訳が「家庭とは愛情のあるところ」という意味合いだったため、これでいいかと連絡をとって、話題は終了した。
 その際、わたしの驚きが文体から伝わったのか、日本ではそういうことは個人的に(わが家はいいよねーとか、一緒にいればそこがわが家だねーなど)言うことはあっても、文字にしたり、刺繍にしないことを理解してくれて「このやりとりは、ぜんぶそっくり伝えておく」とのことだった。

 いや〜、たったふたりの人間がとことん話し合ってやっと合意できたのだから、もし最初の質問を受けた段階で定訳である「ふるさとは遠きにありて思うもの」などと答えて「間違いない」とどや顔をしていたら、たいへんなことになっていたかもしれない。

日本の調理器具で「バット」と呼ばれるもの

 10年以上前に買いすぎたあまり、整理がじゅうぶんでないまま台所が混乱状態になっている製菓用品だが、なんと自分でもまさかの展開で、買い足すことになった。プリンやケーキの蒸し焼きに便利な「深いバット」が家になかったのだ。あれば料理などにも使えるため、深さや広さを考えて3種類注文した。

 自分が受け取れる予定ではあったが、ねんのため家族に「明日届くから、バットが」と伝えると、それはなんだという話に。

 ご存知ない方のため、いちおう画像で紹介すると、こちら → 調理器具のバット、画像検索結果

 だがよく考えたら、なぜあれが「バット」なのかが、わたしにもわからなかった。スペルも語源もわからないので、検索した。どうやらvatらしいが、これはもし英語であれば、タンクや水槽など、業務用の大きな容器を指すはずである。すると英語ではないのだろうか?

 困ったときのAmazon頼みで、英語でそれらしい器具を検索してみた。ごく一部、日本から輸入の商品のみ、vatという単語が添えられているが、それ以外ではvatは皆無。形が似ていればいいということで、焼き型で四角いものを検索すると、そっくりではないが似たものが出てくる。
 天板なども含めた表現で baking tray か、あるいは baking sheet などにすれば、日本語のバットよりは浅いが、似たものを見つけることができる → 画像検索: baking tray

 これらはどちらかといえば、日本の感覚でいえば、素材の下ごしらえ的な用途に使える程度の浅さ。

 英語で料理関係の画像を検索した範囲内では、料理の下ごしらえはボウルかまな板でおこなって、保存はタッパーに入れるという事例が多そうで、日本のように調理の途中で小さめバットを使う画像は、あまり見あたらなかった。

 そして、深さがあって多目的に使える場合はdeep roasting panにして検索してみると、かなり近づく。

 日本語では、サイズが小さく食材をおいて下ごしらえをするなどの用途でも「バット」、そして大きくて深さがありオーブンの中で湯煎焼きに使う(その容器の中にプリンの瓶を入れるなど)ものまで広く「バット」に含まれるようだが、英語ではこうして別々になっている。

 それにしても、バットについては、いったい何語の由来なのだろうか。少し検索した程度では、わからなかった。

スティックシュガー、スティックコーヒー(英語で)

 朝一番に飲むのはブレンディのスティックコーヒーが多い。甘さなしというものが出ていて、朝はそれ。食事して、頭がすこしはっきりしてきたら、レギュラーコーヒーをいれる。

 ブレンディのスティックコーヒーはリニューアルで本数を減らしていて、近所のスーパーでは8本入りしかおかなくなってしまった。とくに「甘さなし」はもともとおいている店が少なく、いつも阿佐ヶ谷の西友で30本入りを買っているのだが、もし30本入りがリニューアルしたら24本になってしまうのだろうか。

 今日はまだ近所のドラッグストアで従来品の10本入りがあったので、2箱買ってきた。まあ、その話はとりあえずおいておく。

 スティックシュガー、スティックコーヒーは、もちろんそのままstickと英語にしても通じない。

 わたしも自信がないので思いつく英語をGoogleで検索しては、画像でも確認する。おそらくこれで間違いない。
 sugar sachet stick
 画像検索は → こちら

 コーヒーの場合は、instant coffee sachet stickで、通じる。

 ちなみにsachetの発音だが、最後のtは読まない。シェィで、アクセントは頭部分。

アンテナショップは、電器屋

 何年か前だったが、池袋で宮城のアンテナショップの近くまで来ていたので、地図を出してもらおうとしてSiriに「宮城県のアンテナショップ」と声をかけたが、何回やりなおしても電器屋を探してしまった。

 やはり、日常のカタカナ語を覚えさせるよりも、カタカナを英単語に置き換えて英語で解釈させるほうが、AIを作る側にとっては楽なのだろう。

 そして昨日、わたしは英語を書こうとしていた。「サテライトショップもたしか和製英語だったよなぁ…」と検索したが、もうSiriには尋ねず、最初からパソコンで入力した。たちまちパラボナアンテナのようなものが見えた。やはり和製のようだと気づき、検索結果はろくすっぽ読まずに、自分で考えてアンテナショップを英訳した。

 だが英米などで英語ネイティブが使っていない場合でも、インターネット等の影響から英語の語彙に変化が訪れる場合がある。日本語もできる日系アメリカ人の知人がecobagと書いていたので「それ、昔は英語で言わなかったよね、reusable bagのほうが一般的だったような気がする」と尋ねると、ecobagでも通じないことはないとのこと。ただその言葉を聞いた人は「素材そのものがエコ」(たとえば布製など)と考える可能性もあるらしい。

 日本語のエコバッグは「それを使えば(使い捨てよりも)環境にいい」という程度の「エコ」が語源なのだろうと推測するが、それが英語にはいると、ecoというからには素材もエコなのだろうと考える人が出てくるものかもしれない。

 かつては環境問題を語るとき eco-friendly とか eco-wise といった使い方が、ただ eco というよりも一般的だったように記憶しているが、ecobag または eco bag で検索しても、事例がヒットすることも増えてきたようだ。それだけありふれた用語になってきているということだろう。

英語のboatは、小さいとは限らない

 今日は青空文庫で「家なき子」の翻訳(青空文庫にあった大正時代が初出のもの)を、後半を中心に読んだ。大昔に子供向けの抄訳版を読んだのだが、主人公の親が見つかってそれぞれの人が新しい人生を歩んだ数年後に、懐かしのみんな大集合という場面になったのだが…そこに衝撃があった。
 出版社が「エピソードを省いて終盤まで描かれていないはずの人たちを、集合画面に登場させる」という暴挙に出たため、あんた誰という人が少なからずいたのである。それがずっと気になっていたのだ。

 とりあえず、よかった。知人の代理として手伝いではいった坑道に水がはいったため、身動きがとれなくなるエピソードがあったのだ。炭坑夫のみなさんとはげましあって、主人公は生還した。

 どれから(最後で実のおじさんとわかる)人物が盗賊一味と通じていた話も、抄訳版では省かれていたように思う。なぜおじさんが責められるのか、子供心にわからなかったからだ。前後はもちろん読み直して、省かれたのだろうと考えていた。

 さて、古い翻訳だけあってツッコミどころもあるのだが(クレープらしき食べ物を「どら焼き」としてあるなど)、ちょっと残念と思ったのはboatだ。これは小舟とは限らない。小舟のことも指すが、けっこうな人数が乗れるような船でも、boatの場合はある。

 主人公の実の母だったとラストでわかる貴婦人は、息子の療養のため、船でイギリスやフランス、ほかの国々もまわっている。訳者はそのboatと思われる単語(←わたしは日本語と英語しか比較していないが原文はフランス語)を、かなりの回数「小舟」と表現している。

 使用人や操縦士らが乗っているほかに、甲板には少年が寝そべって景色を見られる療養のベッドが置ける大きさだ。船でよかったように感じるのだが、どうなのだろうか。ちなみに陸地にはいってから水路を進むには、陸から馬が二頭で引くようである。

 日本語の小舟は、人力で漕ぎそうな印象がある。おそらく大正のころもそうだったのではないだろうか。

 それにしても、100年も前の日本語と、そのころに流通していた本での英語版と、両方がたちまちに見くらべられるとは、インターネットの時代はすばらしい。