「ガーシー容疑者」のイントネーション

 テレビのニュースで「ガーシー容疑者」のカタカナ部分を、アナウンサーが平坦に読んでいた。これまでどなたかがガーシーという発音をしているところを見たことがなかったので、それでいいのかと検索したところ、質問掲示板にやはりイントネーションの質問があった。

 だが答えているみなさんがそれぞれに思っている単語を引き合いに出すので、その単語がわたしと同じ読み方かどうかがわからない以上は、謎が深まるばかり。

 わたしとしては、バービー人形のように、単独でバービーなら頭が強く後半は落ちる(バー ↑ ビー ↓)、人形がつけば前半カタカナ部は平坦になる、ということなのではと理解している。単独でガーシーの場合は、発音のしやすさから頭が強くて後半が落ちるが、容疑者がつくと平坦になる、という仮説だ。

 それにしても、ずっと外国に暮らしていたということは、ガーシーさんという人は何で財をなしたのだろうか。滞在費だけ考えてもかなりの金額と思う。

「利島」を読み間違えていた

 このところ地震が多い。今日も最大で震度5弱という地震が東京都(伊豆諸島に位置する「利島」)で観測されたそうだ。緊急な内容でチェックが不十分だったのか、ウェブのニュースやそれを見聞きした人々の間では「新島で震度5弱」という話になりかけたそうだが、震源地が新島・神津島近海であり、揺れたのは「利島」であると確認の情報が流れてきた。

 ところで、この「利島」は、トシマと読むのだそうだ。わたしは家族に音声で「新島・神津島近海で地震があってリトウが揺れたんだって」と伝えてしまい、家族が「リトウってどこ、どんな字」と尋ね返してきたが、信じこんでしまっているため口頭で利島の字を伝えた。

 それから1時間ほど経って「あれはリトウではなくトシマらしい」と教えてもらうことになったのだが、間違えたのが人前でなくてよかった。もっともこうして人前で書いてしまっているわけだが。

 地名というのはほんとうに難しい。中野区の地名「江古田(えごた)」と、練馬区の駅名「江古田(えこだ)」は、間違わないようにするのが一時期たいへんだった。練馬区のパン屋は「パーラー江古田(えこだ)」であり、中野区北部の大きな公園は「江古田(えごた)の森公園」である。

 それにしても、各地で地震が増えてきている。震度5弱というのは東日本大震災の時に東京で経験したあの規模だと思うが、人生で何回も経験したくはないものだった。今回の地震は人的被害があったとは聞いていないが、不幸中の幸いである。
 

茣蓙(ござ)、筵(むしろ)

 何やら急に「茣蓙(ござ)」と「筵(むしろ)」はどう違うんだったかと気になってしまい、検索してみた。

 ネットで検索した範囲では、藁だけで編んだ畳に近いもの(つまり屋内での敷物)が茣蓙で、藁以外の植物で編んで屋外に使うのが筵らしい。
 地域差もあるのだろうか。わたしは幼少時にすべてを「茣蓙」と呼んでいた。いや、正確には屋内で使うような敷物としての茣蓙を見たことがなく、庭で友達と遊んだり、親が軒先や庭で山菜を干すのに広げていた敷物をすべて「茣蓙」と呼んでいたのだ。筵という言葉を使う人もいたと思うので、当時はわたしも何らかの区別ができていたのかもしれないが、覚えていない。
 学校の運動会で家族や近所の人が庭に敷いていたのは「茣蓙」と呼ばれていたと思う。

 いまではピクニックシートのような既製品をそういう用途に使うのだろうが、あれは植物だったので使ったあとにホコリをたたいて軒下や日向にでも立てかけておけば、何度でも使えた。仮に使用中に地面の水分が上がってきてしっとりしてしまっても、風にさらされて乾燥し、手入れも簡単だった。

 人間は少しずつものを忘れながら年を重ねていくものだが、最近は「思い出せそうでも難しい、たしかに馴染んでいたものなのに」と考えることが増えてきた。

その味は誰も知らない: カタカナ語の話

 1日中ネットを見ていると、画面の隅に「スポンサードリンク」という言葉が出ることがある。スポーツ・ドリンクの種類ではなくて、スポンサード・リンク sponsored link だが、つい疲れた頭にファイブミニのような小瓶がよぎる。いかん、いかん。

 検索したところタイの飲料会社で名前が「スポンサー」というものがあり、そこのドリンクはほんとうにスポンサードリンクだと誰かが書いていたようだ。

 それから気になるのが、日本語のカタカナでグラス・デザートというもの。これはわたしが思うにglace(冷たいもの、氷、アイスクリーム)から来ているもので、グラスに入れて提供するデザートではないはず。日本語ではアルファベットでglassを使っているものも多いが…。(もっとも冷たいもの以外ではグラスで提供できるとは限らないので、あながち見当外れでもないのか)
 せめて英語にする場合には、dessert in a glassにしておいたほうが無難。グラスを食べるわけではないとわかってもらえるとは思うが、そのほうが誤解が生じにくい。

 ちなみにフランス語ではglaceは氷やアイスクリーム、そしてガラスや鏡のようにキラッと光るもの。そういう意味ではglaceとglassは語源に通じるものがあるのかもしれないが、少なくともフランス語では、glassという単語はないように思う。また、英語とは語順が異なるので、グラスデザートをフランスっぽくカタカナで表現するなら デセール・グラッセ (冷たいデザート)のような順序になる。

 英語でglaceは、どちらかといえばテカるものの意味が強いらしく(マロングラッセ、にんじんのグラッセ)、英語でglaceの意味を確認すると、氷や冷たい食べ物という意味よりも先に、そちらの「砂糖などでテカリをつけたもの」意味のほうが先に書かれている。

 フリマは、すでに多くの日本人が「フリーマーケット (free market)」だと信じて疑わないレベルになってしまっているが、flea market(のみのいち)である。ところがカタカナにするとRとLが同じになってしまうので、混乱が生じている。これはファーストフードのファースト(fast)と、アメリカファーストのファースト(first)が、英語ではスペルも発音も違うのに日本語では同じになってしまうのと同様である。

飲食業、接客業、寒中見舞い

 たとえば親しくもない人から職業を聞かれたり、アンケート等の職業欄に「三丁目のハンバーガーショップで調理」と答える人はまずいないだろうし、多くの場合は飲食店勤務であるとか、飲食業と答えるだろう。

 尋ねる側にとってそれがよほど重大な要件であれば、接客業と書いた人に「具体的にはどんな業種ですか」と細かく尋ね返すこともあるかもしれないが、だいたいの場合は、聞く方も聞かれるほうも、適度に流して差し支えないような用件と思う。要は「聞いたことにスムーズに答えた、やりとりが成立した」という、なんとなくの達成感が大事なのではないだろうか。

 接客業といってもホテルなど業種全体としての接客を指すこともあれば、飲食業と重なる部分もあるし、また総合玄関があるような大企業では受付で接客を専門とするスタッフも置いているだろう。そしてもちろん水商売も接客業に含まれる。
 職業を尋ねられても、たいした用件ではないと思えば「接客業」と答えることもあるだろうし、あるいは水商売のニュアンスを少しでも排除しておきたいならば、もう少し狭い意味の言葉に代えることも考えられる。

 なぜこのようなことを書いているかというと、広い意味の単語を使って「あとはなんとなく察して」ということは、日本語以外では通じにくいように感じることがあるからだ。広い意味の言葉に多少の説明を加えるとき「そもそもなぜそんなに広い言葉を使うのか」と不思議がられ、ツッコミがはいることがある。

 これまで、飲食業、接客業などの広い言葉のほか「年賀状を出せなかった場合など(喪中などなんらかの事情があった等)は、寒中見舞いとして葉書を出すことがある」と説明した外国人から「わたしは日本人の知り合いにそういう表現(winter greetingなどの言葉を使って)で葉書を書いてしまったが、自分が喪中と勘違いされたり、何か失礼にあたった可能性はあるか、と聞かれたことがあった。

 何かを察してもらえるだろうと曖昧に「寒中見舞い」とすることが、言葉を英語に置き換えてseasonal greetings / winter greetings とすることにより、相手には狭く伝わってしまう——では「その言葉=喪中なのか」という疑問を生じさせる展開になるというわけだ。

 接客業には水商売も含まれるため、その表現のあとに「水商売の人もいるから」と例として紹介したつもりが、接客業は水商売を指すのか指さないのかと、より具体的にするようツッコミをいただいたこともある。飲食業もだいたい同じような展開だった。

 かといって、どうせ突っこまれてしまうからと最初から意味の狭い言葉で説明してしまうと、それもまた問題だ。元の言葉が広い以上は、いったんは広く訳さないといけないはず(時間が許せばだが)。それを考えれば同時通訳という仕事は臨機応変な取捨選択がたいへんだろうなと、心から思う。
 

炎に、三万札

 昨日だが、ネット上で読んだ新聞記事に、成田山で護摩のお焚き上げがおこなわれたというものがあった。最初に読んだものがどの社の記事か忘れてしまったが、見出しの最後には「炎に三万札」とあった。

 そそっかしいわたしは「なんと、炎に三万円札を!!」(←そんな紙幣は存在しないがとっさに驚いた)
 よく読んだら「さつ」ではなくて「ふだ」で、護摩札の三万枚という意味だったらしい。だが普通の暮らしをしていると、フダよりサツを先に連想してしまうものではないだろうか。

 もしやと思い、家族を手招きして画面を見せた。すると、同じ読み間違いをして「うっ!!」と絶句している。そこで「フダだよ」と言ってみたところ、落ちついた。

 それはそうと、空(そら)がけっこう困る。「空いている(あいている)」のか「空いている(すいている)」のか、「空っぽ(からっぽ)」なのか。こういうことがある文字では、ルビを振るか、最初からひらがなにしてしまうということも、必要になるのだろう。
 ちなみによく聞く話では、中国語では日本の企業の略称「全日空」は、一日中ガラガラという意味になるのだそうだ。
 

「ガス抜き」で、何を思い浮かべるか

 人前でパン生地の話をしていて「ガス抜き」という言葉を使い、使ってしまってから「文字通りパン生地のガスをいったん抜いて最終発酵に持っていくという意味なんだけれど」と、蛇足なことを告げた。

 そのあとで、Googleで「ガス抜き」と打ってみると

 多い順
 ○ 体内のガス(運動で腸の中のガスを排出する)
 ○ 缶に残留したガスを排出する器具
(このふたつが、圧倒的。とくに体内のガス抜き)

 ○ それにつづいて、少し出てくるのが「パン生地のガス抜き」
 ○ そのさらにあとに「ストレスがたまりすぎないように、はけ口を用意するという意味でのガス抜き」であった。

 わたしが実生活で使う頻度が高いガス抜きは、最後の「ストレスがたまりすぎないよう…」であったため、それがトップに来るのかと思っていたら、まるきり予想がはずれた。体内のガスは年に1回の大腸検査で医師に「ガスを抜きましょうか、自然排出にしますか」と聞かれるときで、缶のガス抜きは最後の最後まで手でガスを出してからゴミに出すので、器具を買ったことがなかった。
 パンのガス抜きは、人に話すことがめったにないので「意味が通じないかも」と考えたのだが、よく考えたらそれ以外に言いようがないので、今後の心配せずに使おうと思う。

 

人の感じ方はそれぞれというが

 Twitterの人気タグとして「Twitter終了」が出ていたので、ときどき読んでいた。数時間で消えてしまうことが多い人気タグの欄だが、まる1日以上も出ているのではないだろうか。中にはおもしろいものもあり、ざっと読んでいたのだが…

 驚いたことに、まじめに「終了」だと考えて反応している人が、けっこういるようだ。終了するはずがないと強めの文体で書く人もいた。
 日常会話などで、もう詰まってしまって先がないとき「はい、終了〜」という言葉を使う経験は、ないのだろうか。あるいはわざわざ人気タグとして紹介されているのだから、そういう軽い意味ではなく事実なのだという先入観で、読んでしまうのか。

 大勢の人がいる場所でも、うっかり安易に(自分なら間違わないという感覚で)強めの言葉を使ってしまうことは誰しもあるのではと思うが、まさか今回の「Twitter終了」でそれを実感することになるとは。

 ちなみに今回の「終了」は、サービスとして終了ではなく、いままでのようなTwitterではなくなるという意味をこめて「終わったー」の感覚で使っている人が多めではある。ただ、真面目に考えた人が「デマを流すなんて」と書いている事例もあった。

 いずれにせよ、何か自分が没頭しているサービスが終了してしまう場合にそなえて、いくつも場所を作っておくに越したことはない。いまさらmixiに帰る人もなかなかいないだろうが、選択肢のひとつとして紹介している人もいた。わたしはマストドンを開始したし、もともとブログやウェブサイトも複数持っているので、ひとつのサービスが終了した場合でも、誰かと連絡が取れなくなるということはない。

 Twitter社での強引と聞く人員整理の影響で、サービスがどうなっていくのかは、これからも見つめていきたいと考えている。

カタカナ英語「アダルトチルドレン」

 カタカナで「アダルトチルドレン」というと、子供時代に家庭内で何らかのトラウマを体験して、それを精神的に引きずったまま大人になった人…という意味になるかと思うが、これをもしそのまま英語のスペルにして adult children と表現したら、成人しているが誰かにとっては子供であるので(親世代から見た)成人後の子供たち、という意味にしかならないように思う。

 ちなみに、日本語のWikipediaで該当する欄によると、英語ではACOA(親がアルコール依存の家庭に育った) / または ACOD (家庭内が機能不全の環境で育った)という略称が紹介されているが、ざっと英語で検索してみた範囲では、略称ではほとんど何もヒットしなかった。スペリングできちんと説明しないと通じないのではないかと思われる。とくに後者のACODは、Dを機能不全(dysfunctional)ではなく離婚(divorce)の意味で使う人もいるようなので、略称だけでは混乱が生じるかもしれない。

 日本語のネット上では、アダルトチルドレンという用語そのものは一時期より減った印象を受けるが、代わりに「毒親」やら、意味は多少大きくなるが「親ガチャ」などを、目にする機会が増えてきた。

 狭い社会の中で「周囲に迷惑をかけない」、「はみださずに適度に生きる」を教えられ、目立たないことが無難であるとして横並びに育てられることが多い日本人だが、それだけに「暮らしや進路が選べなかった」という思いをいったん感じてしまったら、それをとことん言葉にして吐き出してしまいたい人がいるのではないか。それゆえ、アダルトチルドレン的な話題を好む(自分は他の人とは違いつらい子供時代を送ったとの思い)は、もしや「わりと日本的」ではないかと、わたしは考えている。

「山河」を考えた半日

 昨日、たまたま日系アメリカ人の方からロサンゼルスの和菓子店「風月堂」について教えてもらい、その和菓子店の話のみならず、100年以上もつづいている日系人の小売店と、アメリカでの日系人社会に関する思いを新たにした。

 日系人には日本に複雑な思いをいだいて暮らしている人も(全員ではないが)いるはずだ。

 たとえば第二次大戦のとき日系人は、子世代ならばとくに生まれが米国であり市民権を持っていたにもかかわらず、家族らとともに強制収容所に入れられた。そうした差別や戦後もつづいた苦労から、日系人という自らの立場を米国社会に希釈させていくかのごとく、日本人や日系人以外と婚姻して家庭を持つ人も多いらしい。
 日本人に混じればアメリカ人と言われ、アメリカの中では日系人として扱われることもあり、落ちつかない気持ちになることもあるはずだが、そういった方法でアメリカ社会内部に溶けこむ(薄まっていく)ことを選んだ人もいるのだろう。

 そんなことを考えていたら「山崎豊子が原作の80年代のドラマ(日系アメリカ人の戦中戦後を中心に描いた作品)は、なぜに『山河燃ゆ』というタイトルだったのか」と、気になってしまった。
 検索してみたが、もともとは原作の通りに「二つの祖国(Wikipedia)」で話が進んでいたようだが、米国の日系人らからタイトルへの不快感や抗議が寄せられたことによる変更であったようだ。

 そこで「山河とは、杜甫の春望に出てくるあの『国破れて山河あり』だろうか」へと、検索対象が飛んだ。春望については、こちらに解説がある → マナペディア: 杜甫 『春望』の書き下し文と現代語 (五言律詩・対句の解説)

 戦によって何もかも失われても、山と川はあった——という五言律詩(5文字 x 8行の詩)である。

 つまり「二つの祖国」に代わって、「戦で何もかもなくなり、山や川すらも燃え尽きて跡形がないほどだ」という意味合いの作品名を選んだということなのだろうか。それともほかに何か参考にすべき表現があるのか。いまのところは思いつかない。

 そんなことを考えながら、ついでに「山崎豊子の本やそれを原作にしたドラマは重厚だな」と思い出していた。そういえば80年代は日系アメリカ人や歴史的に有名な国際結婚を題材にした話が多かったよな、などと、ドラマ「オレゴンから愛」まで思い出しつつ、時間を過ごした。

 すると半日ほどして、今度は別件で、漢詩について質問がやってきた。

 漢字が長く表示されている写真が添付され「これは文章か、詩か」という内容だったが、5文字単位で4行ならば「五言絶句」というんだよと、半日前まで忘れていた内容をさもずっと覚えていたかのごとく、どや顔で返事をした。

 こんな風に、関係のないことを調べていたつもりでも、なぜかすとんと落ちついて1日が終わるようなことが、たまにある。そして何やらよい日だったように感じる。

 明日もいい日でありますように。