アンケートの選択肢について

 昨日だが、Netflixから「アンケートにご協力を」と案内メールが来た。質問数は多そうだったが、意見を書く欄もあるだろうし、ちょっとやってみようかと、中を見てみた。

 だが、質問の選択肢に「該当しない」または「その他」がないとわかり、途中でやめてしまった。

 世の中には字幕作品は見ない/吹き替え作品は見ない、という人が少なからずいる。そして、家の中に小さな子供がいるとはかぎらない。だがそれらの設問では、字幕や吹き替えの満足度、子供向け作品の充実度について「該当なし」がなかった。わが家のような字幕専門の中高年には無縁の設問であるが、それらを飛ばして次に行くことができない。

 できるだけどれかに当てはめてほしい、その他を選ばないでほしいという気持ちが働くのかもしれないが、はっきり言って、ダメダメのアンケートである。

 途中まで記述欄にまじめなことも書いたのだが、終えることができなくて残念だった。

中野駅の西口(予定)は

 何年か前から、いろいろ作業が進んできているのかと思っていたが(たとえば周辺のバス停が大移動)、なんと中野駅の西口改札完成と、駅の上をブリッジのようにつなぐ建物(商業施設も含む)がお目見えするのは、2026年以降らしい。

 ネットで検索したところ、2016年ころまでの予測では、今年(2021年)くらいにはほぼできているのではとのことだったが、その後に、遅れが正式発表されたとのこと。

 なんとなくこれまで、西口改札ができる場所というのは現在バス停が移動してきているロータリーのあたり(つまり線路の北側)かと思っていたところ、完成予想図を見ると、南側だった。ビルらが立ち並んでいた一画を解体工事している、線路沿い南側が予定地らしい。

 改札ができたら、駅全体を覆うように南北通路を兼ねた建物ができて、その翌年に商業施設オープンなのだとか。

(もっとも、今日わたしが書いているこの内容も2019年ころに発表された区の情報とネット上のまとめ記事からの推測なので、最新というわけではない)

 北口の改札を出てすぐにあったバスロータリーが、現在は中野通を挟んでサンプラザ近くの位置(線路寄りのロータリーと、サンプラザ周辺)に分散されたことだけ考えても、歩く距離を減らしたいご高齢の方々には、不便になっているはず。わたしも実は西口の早期開設を期待していただけに、2026年というのは、ちょっと残念である。とほほ。

 ともあれ、楽しみにしときます、中野区長さん(←なんとも偉そうだっ)。

春を待つ

 外出にまつわるいろいろなことがおっくうになってしまい、気づけば散歩もほとんどせず。これまで散歩にかこつけて大量に買っていた食品が、冷蔵庫内をぎゅうぎゅうに圧迫していたというのに、最近では週に1回程度「食品がすかすかで庫内が見渡せる」と、実感できる日すらある。

 ポケモンも去年の春までは毎週月曜に「25km(以上)歩きました」という表示が出て、ギフトをもらっていたのだが、もう長いこと「15km(前後)歩きました」という表示で、たいしたものがもらえない。

 1週につき10km以上も歩く距離が減ったというのは、たいへんな運動不足だと自分でも思う。

 だが、昔と比較して「これこれ、こうしなくては」と考えることが、みょうに疲れる。
 仮に新型コロナの件が落ち着いてくることがあったにせよ、もう自分が、1年前までと同じ暮らしをするとは思えなくなってきた。

 これからも出かけたい気持ちはあるし、状況が変わったら何かをしたいとは思うが、もうすべてが変わったのだという思いが先にある。

 自然に日々を過ごすうちに、新たな過ごし方ができるのかもしれないが、先のことを考えるだけで、心がキシキシと音を立ててしまう。

 考えていても、仕方がない。

 ひとまず、春を待つ。
 そのあとのことは、おいおい考える。

「夜中に突然いなり寿司」

 何年ころかはわからない。おそらく70年代後半〜80年代前半くらいだったかと思うが、セブンイレブンのCMが衝撃的だった。女性が「わたしは夜中に突然いなり寿司が食べたくなったりするわけです」と語りはじめ、いてもたってもいられずにセブンイレブンに出かけて買ってくる、というもの。

 当時、東京などの都会は不明だが、わたしの育った北関東の田舎では、駐車場の広めなスーパーでも夜8時くらいまで、そして地元密着型の小規模な店はもっと早い時間に、閉店していた。
 夜の11時まで開いている店があってしかもそこではいなり寿司を売っているというのは、現実から離れたまるで違う次元の話で、いわば通学路だと思って歩いていたら目の前に遊園地が出てきてどうしたらいいのかわからないような感覚だった。

 どきどきした。
 そして、近くにセブンイレブンがないやっかみだったのか、「夜中に太らないだろうか」やら、「なにもいなり寿司じゃなくたっていいのに」やら、考えた。想像は尽きなかった。

 そしておそらくはその後まもなく、わたしは東京に出てきた。

 夜の11時までのコンビニは徒歩数分にあったが、7〜8分歩くと、大通りに24時間営業のセブンイレブンがあった。

 あるとき、眠れない日があった。
 夜中じゅうずっと考えて「明け方になったら、あのCMみたいなことやってみよう」と、何を買おうかと思い描いた。肉まんに決めたのだから、おそらく寒い時期だったのだろう。とにかく「もう少し空が明るくなったら道をひたすら歩いてセブンイレブンに出かけ、肉まんを買ってくるミッション」というものを自分に課した。

 いよいよ、明け方だ。
 アパートを出た。
 歩いた。
 肉まんが売れて入れ替えしていて、あんまんしかなかったら嫌だなとか(当時わたしはあんまんが好きではなかった)、代わりに何を買おうかとか、あれこれ考えた。
 店に着いた。
 肉まんは無事に買えた。

 わたしが鮮明に覚えているのはそこまでで、帰り道をどんな気分で歩いたのかとか、肉まんは歩きながら食べたのか持ち帰ったのか、そもそもそれを1個だけ買ったのかなど、何も覚えていない。

 だが、あれがわたしにとっての「いなり寿司」体験だった。満足した。

 そのセブンイレブンは、まだ同じ場所にある。

注意力散漫で、唖然

 今日、自分のバウムクーヘンのサイトを見ていて「何ヶ月か前に、一生懸命にきれいなページ作ったよなー、どこだっけ」とメニューを見たが、どこにもない。さては頭がお疲れで、バウムクーヘンではなかったか、あるいは別のレンタルサーバだったかとあちこち見にいったが、やはりない。

 それらしきメニューをパソコン内で見つけた。それに該当するネット上の場所を見にいったが、メニューにない。これはいったいどういうことだ…と思ったら、なんと、何週間か前にメニューを手作業で書き換えたとき、うっかりリンクを消したらしい。

 目立つところからのリンクがないまま、せっかく作ったページが、埋もれていたのだった。

 最近どうもぼーっとしていて、自分の頭は大丈夫かと思うことがあるのだが、会話の際に日本語が、しゃべろうとすると「ぽっかりと目の前から消える」。出てこない。これはかなりまずい。
 人と接する仕事や、しょっちゅう誰かと会っているのならば頭に刺激が行くのだろうが、家でたまに家族と話すばかりで、ほかは読むか書くか見るだけである。頭が動いていないのだろう。

 困ったものだ。昔からこの傾向はあったが、新型コロナで外出の楽しみが減って「デパ地下に行けないからつまらない」という言い訳を自分に許してしまって、まったく出かけない日もある。
 そして、状況が落ちついたらフィットネスジムもいいなと思うが、会費が高くて無理である。もう、一生このまま東京の片隅でパソコンのキーをたたいて終わるのかもしれない(笑)。

米国宛の国際郵便について

 新型コロナで航空便が大きく減便されている現状により、この数ヶ月は、航空便を利用した国際小包を出すには制限があるらしい。とくに米国宛ての場合は、普通の郵便サイズ(ポストに投函できるような封書)を除き、原則として、航空便扱いの小包は窓口が受け取りをしていないとも聞く。船便ならば送れるとのこと。

 船便は不安なので、できれば航空便で出したい荷物がある。だがその制限はなかなか解除されないのだろうなと、今日も何気なく郵便局のサイトを見ていたら、なんと、目立つ表示が。
 

国際郵便のお知らせ画像

 2021年1月1日以降、米国宛の小包は、宛名を専用の用紙に「印字」していない場合は、窓口で受付をしてもらえないと書いてある。えっ、初耳だぞ!?

(もともと米国宛の受付をしてくれない時期なので、手書きうんぬん以前の問題かもしれないが、今日までその話を知らずにいたわたしは、かなり驚いてしまった)

 わたしはときおり、小形包装物でアメリカの知人らに荷物を送ることがあるのだが、いつも簡易箱または厚手の袋に荷物を入れて、その表面を白っぽい手提げ袋で覆い、そこに直接サインペンで「相手の名前と住所」を書いて、郵便局に持って行っていた。

 どうやらそれはもうできないようで、制限が解除された暁には、郵便局の「国際郵便マイページサービス」というところで事前にパソコンまたはスマホを使って伝票内容を入力し、「専用パウチ」なるものにその印刷したものを入れて、郵便局から発送するということのようだ。専用パウチは郵便局の窓口にない場合もあるので、事前に問い合わせをするか、印字ができる上記のサイトから申請すると、送ってもらえるという。

 これ、何ヶ月か前にお知らせが開始されたらしいのだが、わたしは今日までその話を知らなかった。月に1回くらいは郵便局のサイトで「制限が解除されないかな?」と、情報をチェックしていたはずだが、今年になってからも、気づかなかった。ううむ…!?

 そういう決まりならば対応するしかないが、すぐに対応できる人ばかりではない。パソコンにもスマホにも慣れていない人は、外国に住んでいるご家族に荷物を送るのも、今後はたいへんな作業になることだろう。

記録的に早い「春一番」

 風が強いと思ったら、春一番だったそうだ。洗濯物を外に出さずに、雑巾やマットなどだけ干していたら、竿から見事に落ちた。落ち方が不自然だったので、スズメかカラスでも遊びに来て雑巾と戯れた可能性もないではないが。

 関東地方で2月4日というのは、1989年以降では、もっとも早いらしい。それ以前の記録があるのかどうかは不明だが、Wikipediaには1989年からの日付が掲載されていた。

 今日は朝から森喜朗氏の発言(女性の理事が増えればいいというものではない、なぜなら〜という暴言)にからんだ話題で気分が悪くなり、ネットでついついその話題を読んでいる時間が増えてしまって、午後に外出しそびれてしまった。まだ日が落ちるのが早いので、午後4時までに出かけるのを忘れたらその日は出かけない場合が多い。夏なら暑いので6時ころ出かけるが、冬はだいたい4時が目安だ。気づいたら4時をまわっていた。

 明日は、明るく楽しく、美味なものを食べてすごす予定。

平均引っ越し回数

 昨日ネットで、知人らが引っ越し回数のことを話題にしていた。10回以上という人もいらっしゃるようだ。

 わたしはほんの数回しか引っ越していない。1カ所に10年くらい住んでしまう。もっとも短かった場所は2年だったかと思うが、それ以外は10年またはそれ以上だ。

 引っ越しTipsというサイトでは、日本人の平均引っ越し回数が3.04回だという。 → 引っ越し回数の平均はどのくらい? その理由は?
 ほかに上位で検索されたサイトも(同じデータを使っているのかもしれないが)、数字は同じだった。

 家探し、新居に置くものを考えるのは楽しいが、引っ越した直後の半月くらいが、かなり疲れる。周辺事情にも慣れていないし、片付けをしてもしても、終わらない。引っ越し直後から荷ほどきしただけでほとんど使っていないものがあるように思うが、次の引っ越しの際には、それらをきちんと捨てることができるだろうか。

 若いうちは引っ越しも気合いでなんとかなるかもしれない。体力もある。だが1カ所に10年以上いる傾向があると、そろそろ、次やその次を考えれば立派な高齢者だ。いろいろなことがおっくうになり、面倒になってしまうことだろう。なんとか次くらいを最終引っ越しにできたら気が楽なのだが、どうなるだろうか。

朝のゴミ出し風景で、目にしたこと

 今日、わたしの感覚からすると、驚くものを見てしまった。高齢の方がお住まいの、ご近所のお宅にあったゴミだ。小さめのゴミ袋ひとつのほか、手近にあった小袋ふたつにゴミを詰めたらしく、家の前におかれていた。

 最初に自分がその前を通ったとき「あれ、まさか…な?」と思った。そして集積所へのゴミ出しを終えて自宅にもどるとき、もう一度、そのお宅の前で見てみた。

(前置きが長くなったついでにいちおう説明するが、家の界隈ではゴミの種類によって、集積所に持っていって積むものと、自宅前に並べておく場合とがあり、その高齢者宅のゴミは自宅前に、わたしのゴミは集積所に積みにいく種類のものだったので、そこを2回通ったというわけだ)

 やはり、間違いなかった。

 そのお宅で、ゴミ出しに使っている小袋のうちひとつが、どこかの企業から受けとったカタログの袋なのだ。宛名がある表の面が、ゴミを詰められて道路側を向いている。つまりフルネームと、もしかしたら電話番号(書かれてあったならば)までもが、歩いている人に見えるというわけだった。

 いや、これはさすがにまずいだろう。宛名を剥がしてから捨てるか、ペンでぐりぐりと同じ色でごまかしてから袋として使うか。

 少し迷ったが、ひとさまの家の前にあるゴミに、手を触れるわけにはいかない。誰かに見られたら意図を勘違いされる。そして仮にわたしがゴミに触れて反対側を向けたとしても、風向きなどでそれはすぐ無関係になるはずだ。早くゴミの収集が来ますようにと祈りつつ、通り過ぎるしかなかった。

 もうだいぶ前に何度か話をした程度だが、高齢のご夫婦がいるお宅だ。たまにどなたか(親戚または手伝いに来ている人)が出入りしている気配はあったが、若いご家族は、いないようだった。

 いまの世の中、何がきっかけで誰に狙われるかわからない。郵便受けや表札に家族全員のフルネームを記しているご家庭はもはや東京で見かけないし、地方でも、おそらく減っていることだろう。

 昔はそれでもあまり危険がなかったのかもしれない。そんな時代を生きてきた世代には、危ないですよと言ったとしても、驚かれてしまうことだろう。

 世の中の変化が早すぎて、高齢者が自分の身の回りのことで無理なく危機管理を学ぶ機会はあまりなく、情報のやりとりをする人々の輪もまた、狭まってきているのだろうかと、そんな風に感じた。

界隈に金持ちが多いのかと思っていたら

 この数年、近所で古い家屋が解体されて更地になったり、あるいは大きな一軒家がたちまちのうちに集合住宅に生まれ変わったりして、てっきり数年前の住宅エコポイントや、オリンピック前の需要で金持ちの方々が積極的に動いているのかと思っていた。すごいな、みんな金持ちなんだなぁと…

 だがあまりにもすごい解体数なので、ただごとではないような気がしていたのも事実だが…

 そもそも大きな勘違いだったようだ。いや、大きいというほどではなく(実際に住宅エコポイント狙いのお宅もあっただろうし)、中くらいの勘違いということにしておこうか。

 都内では、道幅をひろげたり不燃化促進のための住宅建て替えを計画しているのだが、どうもこの10年くらいはとくにうちの界隈や、隣接する区が集中的に予定されているようだと、区内を中心とした行政関係の資料をネットで読んできた。
 壊して建て替えた数軒先がまた解体という「ここもか」状態は、もう少しつづくのだろう。よく考えたらわたしが住んでいるこの家も、建て替えなのでぼちぼち退居してくださいと言われる可能性もある。

 もう数年ほどはこの騒がしさがつづきそうだが、さて、そのあとはどうなるのだろうか。道幅をひろげるといっても、その先は狭いままなのだが、それも気になるところだ。