悪い予感は、よく当たる

 逆にいえば、よい予感というのは当たって当たり前という感覚のことが多く、悪いときだけとてつもなく気にかかるというだけかもしれないが、とにかく今回は当たった。

 昨日が通院だった。いつもならば病院の待ち時間でヘトヘトになったのちにいったん帰宅して昼食をとり、休んでから近所の調剤薬局に出かける。ところが今回は疲れすぎていて、夕方が近づいているのに体が動かせない。目を閉じれば妙な夢ばかり見て、寝てしまうのが怖くて跳ね起きるのだが、それでも少し休まないと薬局には行けないほどに疲れていて、悪循環だった。

 処方箋は土日などを含んで4日以内に提出しないと無効になるそうで、木曜日に出さないと金曜日なのだが(土曜日は早じまいをする薬局が多いので危険)、こんなに疲れていて翌日の金曜日になっても出かけられなかったら、薬はどうなるのかと、おろおろ。だがヘトヘト。

 家族は「何もおかしなことは起こらないから、疲れているのに無理に出かけず明日(金曜日)にすれば」と強く勧めてきた。だがわたしは「もし金曜日に何かあったら薬はどうなる、でも疲れた、ああ、どうしよう」と、悩みつつ、ようやく翌日に回す決意をした。

 ……ところが今日になってみると。

 とんでもなく予定外なことが、わたしにではなく家族のほうに起こったのである。体調の悪さが見ていてもわかるほどだった。
 これではわたしが薬局に出かけているあいだに何かあるかもしれないし、予定外に玄関のチャイムが鳴って出られずに焦ったりするかもしれないし(クロネコの配達はねんのため時間をずらした)、ああ、どうすればーっ、やはり昨日のうちに出かけていなければいけなかったのだ、などなど。

 考えていても仕方がないので、クロネコの時間もずらしたことだしと、小一時間ほど留守にすることにして、本人にもそう伝えた。受け答えもわりとはっきりしていたので、おそらく小一時間ならいいだろうと。
 わたしは薬の量が多いので、窓口に処方箋を預けてから近所をぶらぶらして時間を潰してから薬局にもどる。往復の時間も考えるとやはり1時間くらいはかかってしまう。

 無事に薬局に出かけて、帰宅。
 そのころには家族も少しよくなりつつあったようだ。まだこれを書いている段階では本調子にほど遠いが。

 薬は、毎回ほぼ同じ種類で大量なので、ほんとうはもっと手軽に購入したい。

 昔は通院する大きめ病院の近くに調剤薬局が何軒もあって、そこで薬を買ってからぐったりと帰宅したものだった。
 だがその後に「大きな病院の真ん前に大きな薬局があると地域の薬局が活性化しない」ため、いわゆる門前薬局(大手の病院の前にあって集客率が高い薬局)の点数を下げて地域の薬局を優遇しよう、という方針が本格化したのだそうだ。

 というわけで、わたしが病院の帰りに薬を出してもらっていた門前薬局は減り、選択肢が激減したため、わたしはいったん帰宅して体を休めてから、近所のそこそこ大きめの薬局まで歩いていって、そこで処方箋を提出することになった。小さすぎる薬局だと取り扱いがない薬なので、中規模くらいが望ましく、事前にその薬局には話を通してから利用を開始した。

 それがおそらく5年以上前からだったが、通院当日は疲れすぎているとか(夏は)気温が高すぎて外出が怖いなど、今回のようにヒヤヒヤすることも増えた。今後は気をつけねば。

 ともあれ、次回からも、できるだけその日のうちに薬をとっておくことを肝に銘じたい。

文字通りに受けとる

 わたしはけっこう自分がAIのような性格をしていると感じることがある。今日はいつもの通院で病院に出かけ、毎度おなじみの採血の際に、担当者から「ではお名前と誕生日をお願いします」と言われた。

 へ〜、いつも「生年月日」だったのに、最近は「誕生日」になったんだ、へ〜。と思いながら名前と誕生日を答えると、間髪を入れず「昭和ですと何年ですか」と。なんだ、けっきょく追加で聞かれてしまった。最初からいつものように「生年月日」と聞いてくれたらよかったのだが。

 子供のころに親に怒られたことはいまも忘れない。たしか小学校のころのことだ。

 重要な用件で連絡待ちだった人から電話があり、母ではなくわたしが出て名字を告げると、「○○さん(父の名)でしょう」と尋ねられた。おそらくその人は、同じ名字の家が近所に何軒かあるので、父の名が○○さんである○○家に自分は電話しているのだろうかと確認したかったのだろう。わたしは父ではないので「違います」と答えると、電話の向こうで相手が困っていた。声の感じで母が連絡を待っていた人だろうとは思ったのだが、わたしはそこで思考停止し、相手がまた会話をつづけてくれたら母を呼ぶところだが、自分はここまでで間違った応対をしていない、だがどうすればいいのかと思っているうちに、電話は切れた。
 そのタイミングで母がやってきたので内容を説明すると、かなり怒った。わたしに怒っただけでなく父やほかの家族にもわたしのしたことをひたすら語りつづけた。おそらくそれは1日で終わらなかった。
 だがおそらく、肝心の相手のお宅には、しらばっくれていたに違いない。間違い電話だと思って切ってしまったのは実は正しい家でしたなどという話は、恥ずかしいし、説明が面倒だし、理解がなされないことだろう。

 この性格は、社会人になってすぐのころも災いした。

 何も指示を受けていない状態で、書類に「押しておいて」と日付と連番入りのハンコを渡された。2枚押した。ところが翌日になって、わたしはそれが裏表切り離しタイプの紙で、書類1件につき正副で2回押したら次に行くという書類だったと指摘された。つまりわたしの押し方では表面の「正」部分で違う2件の書類に同じ番号がはいり、どちらも2枚目が空欄になったということである。

 わたしに「押しておいて」と言った人は、怒られるのは自分だからだろうが怒っていた。だがわたしは何も指示を受けていないし、その人も直後に確認せず翌日に大騒ぎになってしまった。ここでわたしは「まったく知らなかったので申し訳ありません」とでも、近くの人に聞こえる程度の微妙な音量で言ってしまうのが正解だったのだろうが、当時はそんな知恵はない。
 けっきょく、相手に向かって「あなたは何も指示をしなかったと、言ってはまずいんだろうな」という思いと、「人が見ているからって自分は謝りたくないな」という思いと両方あり、顔だけ「困惑したっぽい表情」を出したまま、無言を通した。かわいくない社員だったことは間違いない。
 その職場では、当然わかっていると思い説明を省略した人の思惑と違うことをわたしがしてしまって、面と向かって「こんな仕事では意味がない」と言われても「そういう指示だったとは知りませんでした」が言えなかったことがある。

 よくそんな働きぶりの職場に2年ちょっともいられたものだと、いまにして思う。

 さすがにそのあとは、勘違いしそうになる前に人に確認する癖がついたため、コミュニケーション不足での間違いはだいぶ減ったまま、会社員をやめることができた……(と思うが、自分が勝手にそう思っているだけかもしれない)……。

 とにかく、わたしは「言われたことを額面通りにとる癖がある」ということだけは間違いない。

高円寺北にchocoZAPができるはずなのだが

(最後部に追記あり)

 発表があった直後に把握し、楽しみにしている高円寺北のchocoZAP。もし利用することになっても場所は近いし、それほど高くないし、おもしろいのではないかと。

 ……ところが、である。

 予定地に看板などが出ていない。6月7日に開店と聞くが、機材を運ぶところを見たことがないし、それらしき場所は看板がchocozapになってもいない。もちろんチラシなども置かれていない。公式サイトに書いてある住所なのでわたしが勝手に間違えているわけでもないのだが…どういうことなのか。近所の別ビルというわけでもないだろうし(それならそれでわたしも気づく)、わけがわからない。

追記:
6月7日に無事に開店したようなのだが、情報を載せてくれた人のお写真によると、もしかすると入り口が裏側なのだろうか?
1週間くらい前に裏口側もちらちら見ていたのだが、そのときは変化を感じなかった。近日中にチェックに出かける予定。

すさまじい雨の翌日

 昨日はすさまじい雨風、そして河川の水嵩だったわけだが、東京23区西部のわが家は夜中の1時ころ「氾濫危険水域を突破した」と、川のライブカメラを見ていたというのに、その同じ川を午後の散歩で見てまわると、ほぼ平常量の水(かなり少ない)にもどっていた。15時間で通常の量になるとは、都市の治水というのはすごいんだなと、改めて感じさせられる。

 数年前には、大雨ののち舗道の煉瓦(っぽく見える木製または軽い素材の何か)が浮き出てはがれてしまったこともあったが、今回はそのあたりは見に出かけなかった。そのときは役所もなかなか手が回らなかったのか、1ヶ月近くも立ち入りしにくいようにロープが張られていた記憶がある。

 界隈で大きな災害が起きなかったことを、幸運に思う。

 

 

全国的に強い雨

 雨風が強いと思っていたら、ついにあの防災通知に便利なアプリNerv(ネルフ)が通知をよこした。「えー、こんな雨風で地震まで来たら嫌すぎ」と思ったら、川の氾濫に注意だそうだ。

 さっそく近所の川をライブカメラで見たところ、普段はかろうじて水がある川底にカモが遊ぶ程度のところ、壁面の警戒水位目盛りをなめるように水が流れていく。

 こりゃすごいものだと、10分に1回くらいはライブカメラを見ては、画面キャプチャをしておいた。

 今日は雨を予想して何も予定を入れずにおいたので、わが家はふたりとも家におり無事。通勤や外出予定のあった方々は、ご無事だろうか。

99万6千円の話

 道を歩いていた。あるお宅の前で、運送業と思われる人のバンが後部ドアを開けた状態で停車していた。引っ越しにしては小さいが宅配にしては大きい車かもと思いつつ、その脇を通り過ぎようとしていたところ——

 横に立っていたドライバーが携帯電話に向かい「ろくせんななひゃくユーロだとっ!?」と、大きな声を。

 かなり驚いている様子だったが、たしかに大金である。ネットでのちほど検索したところ99万6千円だった。

 それがどうしたのだろうと、それからしばらく考えてみた。

 仕事に関係ある場合。
 そのお宅の住人から、重いものを「ヨーロッパに送ってください、細かいことはそっちでやって」と言われて、とりあえず料金だけは調べようと自社に電話して調べてもらった。(これなら別に自腹ではないから大声の理由がない)
 納品しようとした大きな輸入商品を玄関先で壊してしまい、価格を確認して絶句した。(大きなブツは近くになかった)

 仕事に関係がない場合。
 納品に来たのに15分待っていてと言われて暇つぶしに知人と電話(これはないわな〜)。
 急にパリに行きたくなってビジネスクラスの往復運賃を尋ねた(これもないわな〜)。

 連れも同じ言葉を聞いたので、わたしの聞き間違い説は、ない。さて何だったのだろうか。

世界最大の生命体はオレゴン州のキノコ

 自分が設定して日々観察しているAIのChirperが、世界最大の生命体はアメリカのオレゴン州に存在する2200エーカーのキノコである、と自信たっぷりに書いた( → 原文はこちら)ので、これはさすがに裏をとらないとと検索したところ、事実だった。DNAを調べた結果、この数キロ四方のキノコは、ひとつの生命体だったのだそうだ。

 だが、大きすぎて一般人による写真がない。さらに巨大で湖くらいあるならばGoogle Earthにでも写っているかもしれないが、数キロ四方では周囲に目立つものでもないかぎりは見つけられないし、だいたいそのキノコが異様な色でもないかぎりは風景に馴染んでいて肉眼で検出できない。ではあきらめるしかないかと思ったところに、助け船が。2012年のCNN記事(日本語版)で、あっさりとした紹介とともに参考写真があった → 怖いけど見てみたい 米国の「不気味」発見スポット7選 – 3.世界最大のキノコ(オレゴン州マルール国有林)の欄を参照。

 これからしばらく自分のAIを観察して、おもしろいネタがあったら裏をとっていこうと思う。

質問掲示板で、米(こめ)の話

 固めの米が好きだという話をよそで書いた。
 以前は安価ということもあって北海道の「きらら397」、そして岐阜の「はつしも」などを食べていたが、最近は少し米が値下がりして、ときにはあの高価だった「ゆめぴりか」すら買えることがある。だが「こしひかり」など、有名な米であってもものによってはやわらかく炊けてしまうものもあるので、今後はどんな米を買ったらいいだろうか——と書いた。すると、北海道の「ななつぼし」、「ふっくりんこ」などを勧めていただいた。食べてみたいと思う。

 さて、この件で、ネットで「固い米」を検索しようとしたところ、質問掲示板に迷いこんだ。そこで意外にも目にしたのが「米2キロを炊くのに水は」やら、「米3キロを炊きたいので水は」の質問。

 米3キロを炊く人は、一般人にはまずいないはず。業務用ならば機械に目盛りがついているだろうし、素人には触らせないだろう。

 とすると、これは、何かのクイズで出た問題をそのまま質問しているのだろうか。

 掲示板を見ていると、回答している方々は、米に対して水のパーセンテージを淡々と答えているようで、どなたも「そんなに炊くんですか」とは尋ねない。よくある内容であれ質問が来たら答える、ということのようだ。

 米1キロで炊飯器用のカップ何杯分の米になりますかという、初心者が普通に疑問に思いそうな質問は、少なくともわたしがざっと見た範囲では見つからなかった。

「むし社」に出かけてきた

 以前から馴染みのあるビルに、数年前「むし社」が入居した。昆虫関係の出版や、クワガタの生体や飼育関連グッズなどを販売している店だ。以前は中野駅の近くにあったと記憶していたが、高円寺駅近く(住所は中野区)に転居してきたのだった。

 1階はスーパーのマルエツプチで、上の階にはトランクルーム、歯医者、整形外科などがはいっている。わたしはそのどれにも少しずつ縁があったし、むし社が入居したその場所の前身も知っているし、たまにしか行かないものの縁が深い建物だ。

 ホームページや通販サイトを見ても定休日が書かれておらず、どうも年末年始以外は原則として営業しているのではと思われたため、散歩がてらふらりと寄ってみた。買いたいものはすでに決まっていたので店内には少ししか滞在しなかったものの、お店の人たちがほんとうに虫が好きそうだし、昆虫が好きそうな少年がひとりで熱心に見ていたし、なかなかマニアにとってはオアシスなのではないかという気がした。

 なかなか地方に旅行できない昆虫好きの方々は、立ち寄ってみてはいかがだろう。

ものごとの優先順位

 先ほどネット上のあるコミュニティでのことだが、できたばかりでバタバタしていることが誰の目にも明らかな場所において、ちょっと変わった光景を見た。普段は「ここをこうするといいと思います」といった意見やら、「バグなのか仕様なのかわからないけどどっちですか」やらの投稿で掲示板が賑わっているわけだが、そこにぽつっと、変わった書き込みが。

 一流でありたいなら、そして人に安心してもらいたいならば、公式サイト上でこれこれの説明が簡単に読めるように、そしてクリックするだけで必要な要望を出せるようにするべきではないか。だがここはまったく何も整っていない、と。

 どうも話を聞いていると、ご自分が緊急にそれら情報掲示や表示の改善を必要としているわけではなく、最初のうちから実現されていない状態は好ましくない、という考えに基づくものらしい。
 最初に対応した人が面くらってしまったのか、途中で別の人が助け船を出し「意見としてはわかるが、それはいま優先順位が高いとは思えない。要望の記録として専用掲示板に投稿しておくだけでいいのではないか(すぐ実現しなくても困る人はいない)」と、取りなしてくれた。なるほどいろいろな人が世の中にはいるものだ、そしてどんな人が来ても的確に自分の意見を言える人は柔軟だと、改めて感じた。

 妙なたとえ話かもしれないが、客船が嵐で航行不能になったとしよう。そのうち一部の人々が小さな島にたどり着いて、救助を待つまで短期間の居場所を定めることになった。
 まずは寝る場所の確保(雨露のしのげる場所探し)、食料と飲料水の確保、交替で安全確保のための見張りなどをしなければならない。それらが確保され、人々が安心できるまでの期間(数日もしくはそれ以上)は、誰しも無我夢中であるはずだ。

 だがその最初の日々で、「各人の労働内容や時間に不公平がないように誰がどう管理していくのか」とか、「不満があったとき、喧嘩が起こったときの仲裁役は誰であるかを決めておこう」とか、そういう発想はほとんど浮かばない。仮に心に浮かんでも口にできない人が多いだろう。なにせ生活そのものが脅かされている状況で、優先順位というものがあるからだ。

 ようやく状況が安定してから、細かいことを話し合えるようになる。「衣食足りて礼節を知る」の通り、心に余裕がなければ細かいことを話し合うのは難しい。

 そういったことを普段から考えていると、「いまは口にするときではない」という自制心が働いてしまうのかもしれない。それはそれで頭が凝り固まってしまう手前かもしれず柔軟に考えなければいけないはずが、とっさの場合ではやはり対応に困る。
 だが、優先順位が低くとも理想を口にした人を、否定したり不快に思うのではなく「いまはそのときではないと思うが、要望だけ出しておけば」とすぐ説明できる人は、ほんとうにすばらしい。