2020年、大晦日「孤独のグルメ」を見ながら

 本年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。

 孤独のグルメ(一部生放送)を見ながら…。
 何を書いたらいいのかわからないけれど、とりあえずは、五郎さんたちが年越しそばを食べているので、自分の分(昼食)画像を、置いておきます。

年越し蕎麦 2020

Googleフォトの容量変更の件

 Googleはアカウントをとるたびに、15GBくれる。ありがたいことだ。
 わたしはメインで使っているGmailのほうが8.5GB使用で、メールやりとりを中心にしている別のGmailは、ほとんど容量を消費していない。
 Googleの11月の発表によれば、来年6月からは、これまで実質的に無制限だった画像バックアップが、容量(15GB)を消費する方針に変更されるそうだ。わたしの画像バックアップはメインのアカウントで利用しているため、残されている6.5GBの大部分が画像バックアップに使われてしまうだけでなく、すぐにいっぱいになるのは目に見えている——さてどうしたものかと、先月からずっと考えていた。

 Googleはこれまで太っ腹だったが、よく考えると太っ腹すぎたのだろう。いままでありがとうと礼を言う立場であるのはもちろんだが、今後のバックアップ方針をどうしたらいいのか、決められずにいた。

 画像のバックアップをするときにだけ別アカウントのほうに溜めるというのは、操作性が悪い。さらに、いままでずっと溜めてきた画像と別の場所で管理することになるため、当然のことだが、一度の検索対象にならない。たとえばこれまでならGoogleフォト画面から「白い猫」などの曖昧な単語を入力すれば、すぐさまそれらしき過去画像をGoogleが探してくれたが、ふたつのアカウントを使うなら両方で検索をかけることになる。それはあまりにも面倒であるというのと、さらに、そうまでして別アカウントに画像をバックアップしても、いつかはそちらもいっぱいになるだろう、という問題がある。

 画像そのものはDropboxにも自動で溜めているので(撮影したものと加工後のもの両方)、画像の存在そのものは守られている。ただGoogleのよいところは、サイズはオリジナルより多少縮められているものの、適当な検索でも探してくれる点だ。いっぽうDropboxは、オリジナルの画像ほかを網羅するが、加工後のファイル名や撮影時の日付から探すしかないので、両者はまったく同じ存在ではない。

 Googleに料金を2500円(年額)払えば100GBになるというが…どうしたものか…と考えていたところ、あっけない解決策が。家族で、有料枠がシェアできるとわかったのだ。

 家族が以前にGoogleである程度の容量を使っていた。そのときにねんのため100GBのプランに申し込んで解約せず利用していると言っていたことを思い出したため、容量のシェアを頼んだ。すると、メールで招待を送ってもらうだけの簡単手続きだけで、あっというまに100GBがシェアになった。
 悩んで損をした。この方法があることにもっと早く気づいていればよかった。つくづく、説明というのは、読むものだな(←最初から読んでおけ)。

 これでひとまず、この問題は悩まなくてもよさそうだ。

「ながら」が性に合っている

 いつも年末の流れとしては、掃除はたいしてせずに料理だ。クリスマスにローストチキンとケーキ、年末の数日間でおせち、年明け数日でピティヴィエ(ガレットデロワのフェーヴ抜き)。そしてなぜか今年は、成功度というのか、満足度が高いものができあがりつつある。

 ローストチキンはおそらく、買った鶏がよかったのだろう。そしてつけ置き時の材料も、初心に返ってできるだけよいものを使った。
 ロールケーキは昔やっていた配合にもどして(いつも津田陽子氏の「くるくるロールケーキ」だが、今回は分量をかつて慣れていたものにもどした)、そしてしつこいほど泡立てに念を入れ、そこまで混ぜなくてもいいのではというほどに混ぜた。

 そして今日、黒豆を煮ようと思ったのだが、あれが毎年つらい。吹きこぼれないように鍋の近くで番をしていると、寒いし飽きるし、つい「もういいじゃん」と、火を止めたくなるのだ。そんな気分で作るものだから、どこかしら、いまひとつの豆に仕上がる。

 だが今日は「どうせ長くここに座っているなら、バウムクーヘンでも作るか」と、煮豆をしながら菓子材料の準備、そして合間に調理器具を洗ったり、また材料を混ぜたりと、かなりゆったりと時間をかけた。バウムクーヘンといっても、ロールケーキと同じ型でどっしりとした生地を焼くので、要領は先日のロールケーキと同じだ。もっともあちらはしっとりなめらかなスフレ生地、バウムクーヘンはどっしりとした重い生地なので混ぜる手順と焼き時間が違う。
 配合はできるだけ忠実に、だが焼き時間は手探りで——本は18cm丸型で焼きながら重ねていくものだったが、わたしは一度に焼いてから重ねるつもりだったので焼き時間が違うのだ。

 焼き上がりまでは、なんとかうまくいった印象だったが、粗熱を取って紙をはずすときに、少しだけ焼きが甘かったと気づいた。おそらく焼成をあと1分追加か、あるいは温度をもう少し高くしておけばよかったかと。

 そんなこんなを「ながら」で作業しているうち、黒豆はいつになく美味に、ふっくらと仕上がった。

 これからも適度に「ながら」で作業していきたいと思う。

参考本:
 
毎年焼いているローストチキンは、こちらの本で。

ロールケーキは、こちら。

 

バウムクーヘンの配合(このブログ内の雑誌紹介)
スイーツ王国 (絶版で入手困難)
 

毎年愛用している、おせち本は、こちら。

高円寺駅近くで火事

 買い物はできるだけ家のすぐ近くで済ませたいとは思っているが、やはり年の瀬なのでおせちの具材などを高円寺の駅前まで…と思って歩いていたら、北口の中通り商店街で、建物の中を片づけているのが見えた。

 あまり注意を払わず通り過ぎようとしたところ、ふと「この店つい最近まであったけれど、急に閉じたんだな、それになんだかすごくススっぽい色合いだけれど…って、あっ、これ火事の片付けか?」と気づき、あたりを見まわす。たしかここは洋風の立ち飲み屋で、その隣が、昔からある洋食屋の薔薇亭だ(その2軒はおそらく同じ建物の1階を分けている)。
 その周辺の店は、幸いなことにあまり消火の放水をかぶらずに済んだのか、営業しているものもあった。

 少しだけ離れたパン屋のヒロセも、パンはあまり見あたらずに品数は少ないものの、プリンなど菓子類などで営業をしていたので、あとから思うと、あまりたくさん商品を用意できる状況ではなかったのかもしれない。

 わたしが通りかかったのは午後4時過ぎだったが、火事の匂いはほとんど消えていた。帰宅後にネットで調べると、ちょうど12時間くらいが経過していたようだ。
 妙な書き方ではあるが、飲食店などが多いあの商店街で、よく延焼が防げたものだ。運がよかった。

 年末にこんなことになるとは、関係者の方々、周辺の方々はどれほどのご苦労だろうか。

輸入バターが、値崩れ

 今年は新型コロナの影響でホテルやカフェなどの利用が減り、個人客にパンと一緒に供される高級バターが余った、という話を聞く。国産はそれほど値下がりしていないが、普段なら目の玉が飛び出る価格の輸入バターが割り引きされている——もっとも、割引されても国産よりちょっと高い場合が多いが。

 この半月だけで、高級なフランス産のイズニーバターをネットで特売価格で見かけたし(別々のオンラインストア)、ニュージーランド産も家庭用サイズならば界隈のスーパーで割引販売(複数の店)を目撃するなど、余剰が噂ではないのだと、実感をともなって感じられてきた。家庭用サイズでも切りやすいスティックタイプだったり、あるいはネット通販では10g程度の個包装バターが販売されているようだ。いっぽう、業務用サイズはさほど大きな値下げは感じられない。

 いつもバターは品薄で高価であるため、わたしはめずらしい商品やお得なものがあるとまとめ買いして冷凍している。それが災いして、今回あれこれとバターを目にしても、購入に踏み切れずにいる。売れ残ったバターはどうなってしまうのかと思うと、胸が痛む。毎年あれほど品薄なのに。

高円寺の「まねきや」

 北口の商店街を早稲田通りまで歩く途中にある「まねきや」。数年前まではテスコ系列の「つるかめ」で、安い食品を売っていた。
 つるかめがなくなるとき、いったい何ができるのかと思ったら、なぜか雰囲気がそっくりで、在庫処分品のようなお買い得の食品を扱う「まねきや」に。消費者としては大助かりだが、検索してもほかに同じような店がないので、親会社もわからない。関西の方にある漢字まじりの「まねき屋」という店とは、おそらく別なのではないかと思う。

 日によって何が置いてあるかわからない…どころの話ではなく、時間でも変わる。たとえば数時間前に安売り品が並ぶ軒下を見て「今日はドリップコーヒーがないな」と、これなら帰りは見なくてもいいやと思ったもののねんのために寄ってみると店員さんがドリップコーヒーや個包装のインスタントコーヒーを積んでいる最中であり、あわてて入店する。その前にそこにあったものは、おそらく売れたということなのだろう。逆もまたしかりで、わたしが通ったときにコーヒーがなくても、直前まではあったのかもしれない。

 ドリップコーヒーや飲み物は、期限がまだ来ていない物でも、パッケージのデザインが変わりそうだとか、冬なのに夏のデザインであるという事情で、格安になる。わりとちゃんとしたメーカーの商品で、スーパーなら400円以上もしそうなものに、250円の値札がついたりする。ペットボトル飲料で50円前後ということもある。いつだったか、ギフトシーズン直後だろうと思うが、ドトールのドリップコーヒーが50袋入り500円で売られていたこともあって即買いした。

 ドリップコーヒーやペットボトル飲料がけっこう節約になっているような気もするし、あるいはもともと強くいだいていなかった需要を、掘り起こされた(そんな安く売られることがなかったら買わずにいた)可能性も、ないではない。

 ともかく、秀に1回程度は買っているまねきやには、今後もがんばってもらいたい。

Google AdSenseの話

 このブログ mikimarulog.me では掲載していないが、わけあって別サイト mikimarche.com で、Google AdSenseの広告を置くことにした。

 その理由というのが、思いがけないもので…

 ○ おそらく大昔にYouTubeの動画の広告で数千円を得た「らしい」(←本人に自覚なし)
 ○ 数ヶ月前にYouTubeから、収益化プログラムは条件が厳しくなってきているので、今後も継続したければどうのこうの〜と手続きの案内メールが来たのだが(その条件とはフォロワーが1000人いるとかいないとかだったかもしれない)、まさか自分に過去の収益があるとは思っていなかったので「別にいいし」と、放置
 ○ なぜか数日前、Google AdSenseから英語でメールが届く。自分たちがわたしに払っていないお金があるんですけど、と。
 ○ 冗談かと思って、メールからのリンクではなくGoogle AdSenseと検索してから見にいったら(ログインはGoogleの通常アカウント)、たしかに微妙な金額(あと1000円ちょっと稼げば振り込んでもらえる)が、画面に表示されていた。
 ○ わたしが日本国内の銀行口座を登録し、Google側の確認がなされたら、8000円貯まった段階でカネがもらえるということのようだ。

 …だが、いまはもう、YouTubeに何か動画を載せる予定がないし、収益化がどうのとこみいったことも考えたくない。それでも、もう1000円ちょっと稼げば過去の分も含めてカネがもらえるのか…と迷ったあげく、mikimarche.comならば真面目な内容なので、Googleの広告が増えても人は見てくれるかなと、バナーを貼りつけることにした。

 手続きとしては
 ○ Google AdSenseに、サイト登録をする。この「サイト」というのは独自ドメインのことで、サービスプロバイダや、ブログサービスが提供してくれたURLは利用できない。わたしの場合ならば mikimaru.net / mikimarulog.me / mikimarche.com などである。
 ○ 実際に書いているのがサブドメインであろうと、メインのドメインで申請を出して、それをまず認めてもらう。許可が下りたら、サブドメインを登録する。たとえばわたしは mikimarche.com は空っぽだが、www.mikimarche.com に内容を書いているので、Google AdSenseにまずは mikimarche.com で申請してから、のちに内部メニューとしてwww.mikimarche.comも登録した。

 ○ 申請から1〜2日して、サイトが認められましたとメールが来たので(このころはもうメールは日本語になっていたが、初回はなぜ英語だったのだろう)、AdSenseのメニューを開くと、これこれの内容のファイルを該当ドメインに掲載してくださいとある。利用アカウントでなりすましなどの不正が起こりにくくなる ads.txt というものだ。それはすぐに載せたが、先方が確認するまでの期間を待たずして、広告はもう載せられるようなので、面倒の少ない「自動化」というものを選んでみた。ウェブページの「どこかに、勝手に」広告を入れるのだそうだ。それを選ばない場合は、ひとつひとつのファイルに自分で「ここに広告を入れる」というコードを書いて載せねばならないらしい。そんな面倒なことはできないので、おまかせで「自動」にすることにした。

 広告サイズは選べないようで「こんなにでかいのか、しかも画面の上の方なのか」と、カルチャーショックを受けているが、あと1000円ちょっとの広告代がもし稼げるならば、それまでの辛抱である。

 それにしても、謎は残る。
 今回の件は、Googleのサービスの多くで使っているGmailのアドレスではなく、10年以上前から真面目な用件で使ってきたメルアドに、英語で案内が来た。

 たしか、10年近く前にGoogle AdSenseで使える5000円分のタダ券をさくらインターネットからもらったので、自分のサイトへの誘導広告を1ヶ月ほどどこかに表示してもらうのにそれを利用したが、それは「使う」ほうの用事であって、今回のように「稼ぐ」ほうの話ではなかった。使うほうの登録でやりとりしたメルアドは今回の英語で案内が来たほうだが、YouTubeに登録しているメルアドはGmailであり、そしてわたしはGoogle AdSenseとYouTubeを紐付けした記憶がないのだが…。やはり、紐付けしたのだったか…? う〜ん、思い出せない。

 まぁ、ともあれ、これも実験であるし、経験である。
 収益がもしあったら、ご報告する。

ケーキ難民という表現

 今年は自宅で静かにクリスマスを迎えるという人が多いそうで、わたしがネット上で親しくしている菓子店のみなさんも、「いつもならクリスマスの数日前まで予約を取るのに、今年はとてもではないが、早めに締め切らねば」と書いていらっしゃる事例が多いように感じていた。

 さて、夕方たまたま見ていたテレビ番組で、予約をしていなかったのでケーキが買えない「ケーキ難民が、今年はたくさん出た」との表現に遭遇。

 いや、ちょっと待て。難民をそんなに軽く使っていいのか。難民だぞ?
 そして、買えなかったのは、たかだかケーキだぞ?

 ここで、ひと言…
 テレビ局のみなさん、あなたがたは影響力があるのですから、その点を忘れず、言葉選びに慎重になってもらえませんか。
 …ひと言、終わり。

 嘆かわしい。面白おかしいニュースに使う言葉なのかと、情けなく思う。

今年は、よい買い物をした

 冷凍食品や冷凍パンを保存できる冷凍庫(85L)、小型だが急ぎのTシャツやタオル類が乾かせるだけでありがたい衣類乾燥機など、今年はよい買い物ができた。日常のことが、だいぶ気軽になった。

 ずっとほしかったのに踏ん切りがついたのは、例の「ひとり10万円」の給付金がきっかけだったのかと思う。いつもうじうじと「パンを買いたいのに冷凍庫がいっぱいだ」とか、「雨が降っていて洗濯物が室内にる」とか、悩んでも自分の力でどうにかなるものでもないことに時間をとられていた。ところがいまは、そういう心配がないのである。

 必要なものは買う。何かで代用できるか、すぐに必要でないものはじっくり考える——今年はそれがうまくいった年だった。来年もこうありたいものだ。

浅草駅から、池袋(思い出話)

 先ほど、なぜか「大昔の銀座線は、駅に着く前に1秒くらい車内が真っ暗になったよなぁ」と思い出した。記憶違いではなく、検索してみたらたしかにそうだったらしい。そういえば昔の地下鉄は車内の冷房もなかった。この三十年くらいで、いろいろなことが変わった。

 北関東育ちのわたしは、友達と東京に遊びに来るようになったのが中学か高校くらいからで(同年代だけでなければその以前から来ていたが)、わたしたちにとって東武線で終点の浅草に降りることがすなわち「東京」だった。たいして計画も立てずに「来週あたり、東京に行こう」と誰かが言うと、それはとりあえず浅草に出るということを意味した。

 つまり、浅草から伸びている地下鉄「銀座線」というのは、東京に到着してからどこかに出かけるための足であり、それがなかったらどこにも行けなかった。逆に言えば、銀座線だけ覚えていればとりあえずなんとかなった。

 あるとき友達が「池袋のデパートでクロマニヨン人展というのをやるんだって」と聞きつけてきた。では出かけようかということになり、いつもの通り浅草に出た。だが池袋など、どこにあるのかも知らない。物怖じしない友達が、駅に到着するとほぼ同時に駅員さんを見つけ「池袋ってどうやって行くんですか」と尋ねた。

 そのとき教えてもらったルートは、営団地下鉄(現在の東京メトロ)を使って大回りで移動するもので、おそらく駅員さんが、難しい乗り換えなどが無理そうな子供たちに、1回で済むようにしてくれたのかなと、思っている。営団地下鉄を使わせたいという思いも多少はあったかもしれないが、それ以上に、乗り換え1回というのは子供にとって安心で気楽だからだ。
 そのルートとは、浅草から銀座まで銀座線で、そこから丸ノ内線で池袋、というものだったような気がするが、その記憶がたしかなら、ほかより15分以上も時間がかかりそうだ。だがわたしたちは、何の疑問も持たずにその方法で池袋に移動した。

 東京暮らしのほうがだいぶ長くなったいま、いまの自分なら選ばないルートだとは、たしかに思う。だが選択肢を与えることが必ずしもいいわけではないとも、同時に考える。
 たとえば「浅草から銀座線で上野に行ったら国鉄(現在のJR)に乗り換えて池袋までが短時間ですけれど会社が違うからお金が多めにかかりますよ、営団地下鉄だけなら値段は安いけれど時間がかかりますよ」と言われるより、この方法なら行けますと、ひとつ教えてみて、相手がそれ以上の質問をしないのであれば、それでいいという判断が、なされる場合もあると。

 2020年現在、齢を重ねてきたわたしはつい、人にものを聞かれたときに選択肢をあれこれ提示してしまうことがある。消費者またはサービスを受ける側としての自分は「最初にいってくれたら、ぜんぶを比較できたのに」と思うことが多いため、何か聞いてきた人にも、前もっていろいろ伝えたくなるのだ。
 だが聞いてきた相手は、けっきょく「あなたは、どれがおすすめなんですか」と、わたしの意見を聞いてくることも。そんなときには、可能性を最初から列挙するより、おすすめを言ってしまうのもいいのかなと、あとあとまで考えてしまう。

 つい最近ネット上で、初心者なのだろうとは思うがレベルがいまひとつわからない(どの程度までコンピュータがわかっているのかがつかめない)人をお見かけし、まずは少しだけ助言してみたのだが、それでも相手には難しかったのかもしれないと気づいた。萎縮させてしまわないよう、言葉を選んだり、できるだけ短い返事をするように心がけてみたが、ひさびさに緊張する。

 ネット上で人と知り合うのは貴重な体験だし、できるだけ機会を大切にしたいと思う。
 自分も昔はいろいろな人にお世話になったのだから、これもご恩返しだ。