Netflixのベルギードラマ「警部補ジョアン・ペーテルス」

 邦題が、なにやらダサい。フランス語原題はLa Trêve、英語版はThe Breakで、おそらく「停止、休止」の意味ではないだろうか。
(翌日注: それよりも「休戦」がいいのではとコメントをいただいた)

 さらに、オリジナルのフランス語では、主人公の人名は「ヨアン」であってジョアンではない。字幕で見ればヨアンと呼ばれているし、表示されているスペルもYoann Peetersだ。もしやその人名が英語風になったときJで読まれるということなのだろうが、それにしても奇妙に思う。

 初めてこの作品を見たのは、当ブログの過去記事によれば2020年9月のようだ。2シーズンで計20話だが、休み休み見ていた。

 主人公は都会での任務で問題を起こし(職務上のとっさの判断で、民間人は守ったが警察官が犠牲になった)、奥さんも亡くなり、結果として気持ちを病んでしまったらしく、生まれ故郷の小さな警察署に配属になる。だが人には隠れて強い薬を飲んだりして、けっこう精神が不安定のようだ。
 そこに人種差別が絡んでいるのではと思われる事件が発生。閉鎖的な村で起きた外国人殺害の捜査により、あぶり出される現地の人々の秘密や、入り組んだ人間関係。それらをひとつずつ、荒っぽく大胆に調べる主人公。

 話のあいまに、何度も精神科医との面談が出てくる。話の流れと面談の時系列がよくわからず、都会でのことで精神的にまいってしまった時期のものなのか、それとも別なのかが、わかりにくい。わざと曖昧に描かれるのだろう。第1シーズンも後半になってようやく、主人公は最近のことを何日もかけて精神科医に説明している(それを視聴者は見ている)ということが、わかってくる。

 ようやく話の流れが視聴者と同じ「現在」になったとき、事件は終わる。
 だがそのラストで「この人、やっと立ち直りかけていたけれど、もうだめだな」と、主人公にとってのあまりの結末に、同情を禁じ得ない。

 そして第2シーズン。

 あのラストでは、警察官をつづけられるとはとても思えない(精神面でずたずた)状態だろうと思っていたら、やはり辞めていた。警察にコネはあっても、司法関係(警察学校のような?)で、教師をしている設定になっていたようだが、詳細は描かれていない。

 第1シーズンで自分を担当していた精神科医が、相談にやってくるところから話がはじまる。

 道路建設で山奥の森林を破壊することにはなるが経済的に村が潤うので賛成する推進派、その建設予定地の重要な部分を所有する気ままな初老の婦人、彼女と馬が合うために森林で自由に暮らしている怪しげなグループ(こっそり麻薬なども栽培)など、いろいろな人間がいる。

 そこで殺人事件が起こり、すぐさま、ある若い男が逮捕される。
 その男は最近まで冤罪で9年も刑務所にはいり、出所まもない時期だった。主人公を訪ねてきた精神科医は、その男が冤罪だった可能性について主人公に相談し、冤罪だったのならば、前科者への先入観から警察が彼を逮捕したことを問題視できる、今回の犯罪も無関係として戦う突破口になると考えていた。

 だが、主人公の病みっぷりが、このシーズンも半端ない。

 ところどころ「これは本人が病んでいるので妄想シーンと現実を混ぜているのではないか」と考えるしかないほど、はちゃめちゃな行動をとる。
 前シーズンで亡くなった同僚警察官は、誰もいないとき生きた人間のように普通に話しかけてくる。少しも幽霊っぽくないし、心が乱れた主人公がみずから生んだ幻影とは思えないほど、きっちり意見を言う。

 こんな問題行動をとったら普通はドラマが成り立たないはずだと思うものもあるが、全体の雰囲気や脚本から考えて、このドラマは低レベルとは感じられず——ならばいったいこれはどういうことなのかと、見ながら何度も頭を抱えた。

 最後の最後、第2シーズンの終わりに、第1シーズンで主人公が精神科医に語った言葉が流れる。そこでふと、合点がいった。

 見た人がそれをどう解釈するかは、何通りかあるだろう。

 だが、ひとつわたしが考えついたのは、この人物(主人公)は、話の最初からずっと壊れていて、苦しんでいるということだ。何回も何回も、過去を反芻して、医師に語るように自分のなかで話をくり返してきたのではないかと。
 何度も自分や人に語る話だからこそ、突拍子もないシーンが出る。経験したこと、実際にあったことが元になりつつも、一部は脚色され、歯止めもなく激情のまま行動し、ふと、我に返る。それをくり返しているのでは。

 描かれる世界はもちろんだが、つくづく、主人公の陥った闇の迷路は長く、そして冷たい。

界隈に金持ちが多いのかと思っていたら

 この数年、近所で古い家屋が解体されて更地になったり、あるいは大きな一軒家がたちまちのうちに集合住宅に生まれ変わったりして、てっきり数年前の住宅エコポイントや、オリンピック前の需要で金持ちの方々が積極的に動いているのかと思っていた。すごいな、みんな金持ちなんだなぁと…

 だがあまりにもすごい解体数なので、ただごとではないような気がしていたのも事実だが…

 そもそも大きな勘違いだったようだ。いや、大きいというほどではなく(実際に住宅エコポイント狙いのお宅もあっただろうし)、中くらいの勘違いということにしておこうか。

 都内では、道幅をひろげたり不燃化促進のための住宅建て替えを計画しているのだが、どうもこの10年くらいはとくにうちの界隈や、隣接する区が集中的に予定されているようだと、区内を中心とした行政関係の資料をネットで読んできた。
 壊して建て替えた数軒先がまた解体という「ここもか」状態は、もう少しつづくのだろう。よく考えたらわたしが住んでいるこの家も、建て替えなのでぼちぼち退居してくださいと言われる可能性もある。

 もう数年ほどはこの騒がしさがつづきそうだが、さて、そのあとはどうなるのだろうか。道幅をひろげるといっても、その先は狭いままなのだが、それも気になるところだ。

ステイホームで壊れたもの

 先日「なるほど、これはある意味でステイホームが原因で壊れたようなものか」と気づいたものがある。迷いつつ、今日になって次を買うことにした。その名はモバイルバッテリー。

 2年と少し前にiPhoneを買い換えてから電池の減りが軽減されたことで、もともと出番が減っていたとはいえ、いちおうバッテリーは習慣で持ち歩いていたし、たまには充電もしていた。持ち歩きの荷物と一緒にずっとバッグに入れていたが、ステイホームで数時間程度の外出しかしなくなったため、使う機会が激減したのだ。

 そして先日、撮影用ボックスを購入した際に、付属ライト2本をUSBケーブルでモバイルバッテリーにつないで使ってみようと考えて、壊れているのに気づいた。充電がまったくできない。

 iPhoneの電池の持ちがよくなったことで出番が減っていたことに加え、この1年近くはできるだけ最短ルートで外出してあっというまに帰宅してきたので、出先での充電は不要になった。そうして、モバイルバッテリーはだんだんと意識の隅に遠のいていたのだ。

 それでも、初期のころの記憶では、たまに充電確認をしていたつもりでいた。

 おそらく、自分としては1〜2ヶ月に1回くらいは気にかけて充電していたつもりだったが、実際には、1年近くも放置していたのかもしれない。先日まで忘れていて、充電しようとしたときには、うんともすんとも言わない状態になっていた。

 薄いデザインと2ポート出力が気に入って、数年前に7000円近くも出して買ったものだった。選んでいるあいだは楽しくて、買った店も覚えている。

 外出は今後もさほど増えないだろうが、現在使用しているiPhoneがいつまでも新品のように電池の持ちがいいわけではないだろうし、今日になって、やはり心配になり、次のモバイルバッテリーを買うことにした。ある程度は薄くてメーカーもAnkerだというのに3000円台のものがあったので、それにした → Anker PowerCore Metro Slim

 Yodobashiでポチッとして、そのことを家族に告げると、わたしが今回壊したものよりもさらに古くから持っていたAnker製品を、自分も充電してみようかという話に——だが数時間後、やはりバッテリーが飛んでいてどうやらお亡くなりらしいとの報告だった。わたし以上に「ねんのため持っておく」という使い方だったので、ほとんど室内に放置していたようだ。寿命が来てしまったのだろう。

(翌日注: こちらのAnkerは、その後さらに12〜15時間くらい充電で放置していたら、復活できたそうだ)

 ステイホームで使わなくなったものは多いが、いつも持ち歩いて「そこにあるだけでいい」と頼りにしていたものが、実は寿命が尽きていたというのは、けっこうショックなことではある。次こそ気をつけたい。

フランス語は、これで身につく(!?)

 自慢ではないが、下手の横好きとはわたしのためにある言葉だ。語学には関心があり、昔から基礎だけは学ぼうと各国語の本を買ってきてはぺらぺらページをめくり、DVDでその言語をBGMのようにかけてみたりと、あれこれやってみるが、ひとつも身についていない。そして基礎だけやると。もう片っ端から忘れる。

 英語だけは年数が長いのでかろうじて忘れずに済んでいるが、ひどいのがフランス語だ。高校生のころにラジオのテキストで学んだり、その後に機会があればフランス語の授業をとったりしたこともあったが、その後も豪快に忘れていく。最近では、ネットでフランス語のニュースを読もうとしても、単語を追ううちにじれったくなって、Google等で英訳して読んでしまう。

 ところが、昨日ちょっとおもしろいことをやってみて、これなら今後はフランス語も覚えられるかもと気づいた。

○ Kindle Unlimitedで、フランス語で書かれたレシピ本をダウンロードしてくる。このとき、文字として掲載されているものをダウンロードすることが重要。
(日本の一部のレシピ本のように、内容を写真としてキャプチャしたものはだめ)
○ Macの「システム環境設定」→「アクセシビリティ」→「スピーチ」から、フランス語の音声をダウンロードしてくる。
○ Kindleでそのフランス語レシピを開けて、音声はフランス語を指定してから、読み上げさせる。
○ 得意分野(製菓、製パン、簡単な料理)ならば、単語も、書いてある内容(作り方)もほとんど頭にはいっているため、音声を聞きながら文字を目で追えば、発音とリズム(抑揚)が学べる!!

 これはもう、やみつきになりそうだ。

 いままでも、フランス語はレシピ関係なら単語としては頭にはいっていることが多かったため、菓子などを調べるにもフランス語の単語を自分で打って検索し、内容に目を通すことはあった。だが読み上げる際には、発音が無意識に英語読みに近づいていってしまうので、せっかくの検索結果についても、フランス語ができる人にその英語っぽい読みのまま話しかけてしまい混乱を招く。話が通じないか、あるいは発音を直されてしまうのだ。

 だが、これで「読み」と「抑揚」が身につけば…!?
 いつかは、レシピ関係だけでも、ましなフランス語が身につくかもしれない。

 …あくまで「かもしれない」ではあるが…。

参考リンク:
いまこの方法で読んでいるレシピ。

Amazon Photos(容量シェア)

 先月、画像バックアップのために家族のGoogleフォト容量をシェアしてもらった話を書いたが、今回Amazon Photosも家族シェアができることを知り、メンバーとして招待してもらった。

 しかもAmazonのほうは、サイズを縮めずオリジナルの状態でバックアップしてくれる。Amazonプライム会員と、そこから招待された家族会員ならば、容量無制限だ(動画は5GBの制限あり)。いままで気づいていなかったが、これでもう安全である。

 これで、Dropbox / Amazon では未加工の写真(オリジナルファイル)を残せて、多少はサイズを縮められるものの、Googleフォトにもバックアップがとれることになる。

 これでもう、しばらくは安心だ。

 写真以外のファイル保存には、Dropboxのほか、先日ここに書いた「さくらぽけっと」も活用できる。ストレージは、使えるものはどんどん活用せねば。

 クラウド万歳。よい時代である。

自家製酵母パン: 理想まで、もう二歩くらいか

 おそらく10年くらいは、自家製酵母でパンを焼いている。だいたいは週に2回くらいだろうか。さすがに最近は場数を踏んだ甲斐あって、膨らみも見た目も、そこそこいい。

 ちなみに国産小麦で、自家製酵母で、手ごねで作っているので、経験された方はご存知かと思うが、ともすれば「ふっくらしない、やや目詰まり、すぐ固くなる」の三拍子揃ったものができてしまいやすい。

 最近、手ごね時間を長めにとるようにしたために釜のび(焼いている途中で大きくなる率)はよくなったし、焼き上がりの見た目もよいのだが、切ったときにやや目詰まりで、焼いた直後はともかくとして1日経過すると生食では固いという点は、あまり改善されていない。

 そのため、この組み合わせ(自家製酵母で国産小麦)は、油脂や副材料のシンプルなパンが向くと考える人も多い。だが最近はわたしの釜のびも改善されてきたし、次は、焼くまでの発酵時間などをうまく改善していけたら、副材料が多いパンでも、食べやすいものができるのではと思っている——もとい、願っている。

自家製パン

 このところの自家製酵母は、ずっとつないできた小麦酵母と、何年か前からはじめた珈琲酵母のブレンド。珈琲の香りがパンにつくので、それを避けたい場合は小麦酵母だけで焼くこともある。

参考リンク:
ほかにもたくさん持っていますが、2冊ほどご紹介。

すべてが、またたくまに流れ去っていく

 今日はTwitterで、たまたま話題になっていた「映画秘宝」と「双葉社」関連のツイートを読んでいたのだが、この流れが速すぎた。30分か1時間くらいすると、そのたびに話が進んでいる。
 少しずつ頭に入れながらときどき読んでいたが、そのうちTwitter社の「トレンド」欄に「映画秘宝」が登場し、あれまぁ自分が読んでいた内容があとからトレンド欄にはいるとは、なかなかない話だなと思っているうち…

 話の流れがさらに激しく、まさに怒濤の展開となった。そしてきっかけとなっていた方(体験を一般公開)が、おそらく恐怖を感じられたのであろうが、アカウントに鍵をかけた。

 ここで、曲がりなりにも企業である「双葉社」が、何かコメントを出すとしても夜にはあり得ないだろうから、この話はここでいったん終わるんだろうなと、わたしはそこから画面をあまり見ずにいたのだが…。

 なんと、あとで見たら話がまだ動いていた。動きようがないのに!?

 きっかけとなった方はすでに鍵をかけているので、誰かがいちいち経緯を画面キャプチャでもしていないかぎり(そして随時それを人に見せないかぎり)、何が起こったのかもわからないはずの、ほんの数時間の話だった。それがなぜつづくのかと…。

 どうも、伝言ゲームのように混乱が生じつつある。省略したまとめを書く人、省略した話を読んだあげくに誤解したまま伝える人など、いろいろな人が感想を書きつづけている。それで話が動いているのだ。

 わたしも最低限のことを書いておくが…
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 ある人(Aさん)が映画秘宝についてコメントをツイートしたところ、それをわざわざ検索して調べた映画秘宝の公式アカウント(Bさん)が、けっこう怖い文体のDMを送った。ちなみにAさんとBさんは知人でも何でもない状態である。いわゆるエゴサーチの末にAさんをフォローして、DMを送ったらしい。
 驚いたAさんが双葉社(映画秘宝を出している出版社)に問い合わせたが、返事のないままに1週間近く放置された。そこでAさんはこの件を公にすることになったが、その際にあらためて双葉社に連絡をすると、なぜか双葉社がBさんにAさんの連絡先を教えてしまったらしく、BさんがAさんに電話をかけてきた…Aさんさらに恐怖、という話。
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 かなりカオス状態である。

 ネット社会の時間の流れ方は、通常より速い。おそらく明日の朝一番くらいに双葉社から、または映画秘宝からの再度のコメントがないかぎり、事態はとんでもなく突き進んでいくことだろう。

 それにしても、双葉社の対応でまずいのは、Aさんの連絡先を伝えたことだ。これは、あらゆる面から考えて、かなりまずい。この件だけでも早めにコメントを出した方がよいと、老婆心ながら、大まじめに心配している。

墨と米が、なぜ「め」なのか

 ややこしいタイトルになってしまったが、墨西哥(めきしこ)の墨が「め」であることと、亜米利加(あめりか)の米が「め」であることの謎を考えてみた。考えたり調べたりしながら書いてみたのだが、最後のほうで、不完全ながらもいちおう結論にたどり着いた。

 まずは、調べていたリンクの順序を追って、書いてみる。

 亜米利加も、19世紀中頃までの日本では墨西哥と同じく墨を使い、亜墨利加と書くことが一般的だったようだ( → 国際基督教大学レポジトリ内、1999年 アメリカの漢字表記「米国」の成立をめぐって)。その後、米の字の使用例が増えていくという。

 大きなファイルなので、ここで冒頭のみ読んでから、ほかの検索も開始。以下はその経緯。

 こちらのサイト(レファレンス協同データベース https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000014416)にも、使いはじめた年代はわかるが語源はわからないとある。

 いや、しかし、墨も米も、そもそも「め」の音が、あったのだろうか。
 メートルや平米などには現在も米が使われていて、これも音から由来の「め」なのだろうと推測するが、手近な辞書やオンライン解説を読んだでは、墨にも米にも「め」の読みはなかった。意味としての米国を紹介するものはあったが、それは「意味」であり、きっかけになったはずの「音」ではない。

(参考: goo 辞書 – 日本漢字検定協会 漢字ペディア「」、「」)

 日常生活に深く根ざした漢字であるのに、使われ出したきっかけがよくわからないのは、不思議である……

 あっ…
 待てよ!?

 どうやら墨西哥(メキシコ)は、中国語でそのままの漢字を使うようだ。つまり音ではなくて漢字で輸入したということなのか。では、「米」もそうなのか…!?

 …と思ったのだが、中国語では米は「ミ」らしい。広東語では「マイ」だが、ほかの中国語でも、多くが「ミ」のようだ。

 ちなみに現在の中国語では、米国はメイクォ(美国)である。それについても「なんでよりによって美国なんだろ」というのは、やはり話題になるらしい。英語で検索してみたところ、 medium.com に記事があった → 2015.01.20 Why do Chinese translate America as “The Beautiful Country?”

 …これをあとで読んで、今日は終わりにしようか…と思ったら、この文章の後半に日本での「米国」のヒントが!?

 魏源(ぎげん Wei Yuan)や、徐継畬(じょけいよ Xú Jìyú)の書が、ペリー来航のころ、すでに日本で出まわっていたため、亜米利加が使われるようになった、との表現を発見。

 これを拝見したかぎりでは、当時の人が「米」を「め」と日本語で読んでいたのではなく、中国の書籍からはいってきた、と考えるのが、自然のようだ。

 ここであらためて、冒頭に紹介した国際基督教大学レポジトリのPDFファイルにもどり、「魏源」で検索をかけてみた。すると、魏源の著した「海国図志」について解説があった。

 毎度のことだが、長い資料をぜんぶ読まずにとっつきやすいところだけ読んだのちネットを検索しに出かけ、最後に同じ資料をふたたび読むところが、いかにもズボラなわたしらしい行動である——。とりあえず、黒船以降に「亜米利加」の使用例が増えたのは、魏源の影響と考えてよさそうだ。

 それにしてもこのPDFファイルは、まだ半分も残っている。読み終えていない。だが自分の目的「いつから日本ではコメが使われているか」は、上記の「海国図志」について書かれた場所からまもなくの位置にあったので、それを紹介して今日はひとまず終わりにしよう。

 ジョン万次郎のことと思われるが、漂流民から聞きとったアメリカの事情をまとめた記録が、「憂天生」という人物の手により残されているという。そこには現在の「米」に相当する言葉を使った、米人や米英という言葉が多く記されているそうだ。

 この記録や、海国図志の影響で「米」の字の使用が広まり、一般的になっていった、と考えてよさそうだ。また発見があった場合には、追加編集をさせていただこう。

卵の黄身の色は、黄色が好み

 卵は、かなり好きである。冬を中心に年に何回か、新潟の養鶏場からまとめ買いする。そこの店からは、殻が丈夫で中味が黄色い卵がやってくる。とても信頼しているお店だ。

 スーパーや一般的な食料品店で卵を見ていると、半数以上が「ビタミン強化」と書かれていて、パッケージに表示されている黄身の色がオレンジであり、実際に買ってみると、やはりオレンジ。

 これだけ高い割合でオレンジ色の卵が売られているということは、黄身の色が濃いほうが人気があるのだろうか。黄身の色は餌の種類や水分摂取量で決まる。黄色い餌を食べていても夏の暑さで水をたくさん飲めば白っぽい色合いになることもあるし、何色の餌であれ、飼料に色素が配合してあれば、黄身の色合いをコントロールすることもできるそうだ。

 あくまで見た目の問題ではあるだろうが、わたしは黄色い卵に食欲を感じる。黄身が黄色の卵を、できるだけ選んで購入している。

経産省と、庶民感覚のズレを発見

 すごいものを見つけてしまった → 経済産業省 ニュースリリースアーカイブ 2020年10月

 現在は、2021年1月である。たった3ヶ月前まで、経産省のお知らせに「今月のプレミアムフライデーは○○日です」のお知らせがあったというのは、なんだか脱力するよりも、驚愕してしまう。残業しないでゆったりした時間を過ごしましょうって、いつの時代なんだ。

 やめる理由がないと、やめようという誰かの号令がないと、ずっと書きつづけるということか。経産省、あまりに世間とずれすぎ。