約束事とか、結界とか

 今日、とくに買い物の用事はなかったのだが、なんとなく阿佐ヶ谷の西友に寄った。するとエスカレーターのところで何か大きな音がした。ふり返ると、小柄な女性がキョロキョロとしながら、そのフロアの大きめ商品を下のフロアに持ち出していた。各階で精算する店だということに気づかなかったのかもしれない。

 ただ、エスカレーターの手前で大きな音がしたというのに、あたりを見まわしつつもほとんど立ち止まらずにエスカレーターのステップに足を踏み出した女性を、わたしは少し意外に感じた。あの音で、ああこの店は各階で会計なのかと、ピンとこないものだろうかと。

 距離がだいぶあったので詳細はわからないが、レジの店員さんらも手一杯らしく、誰も声をかけられないでいるうちに、女性は食品フロアまで降りていったようだ。あのあとどうなったのだろうか。下のフロアのレジでも対応できる商品でないならば、上のフロアに持ち帰ったのかな。

 わたし個人もけっこう慣れない場所ではまごつくほうなので、人さまのことは言えない。
 約束事に気づかないか、あるいは自分の知っている場所ではこうであるという常識に慣れすぎていると、他者から見れば「その場を通ったことと大きな音とに因果関係があるとなぜ推測できないのか」と思うようなことも、一概に判断できないものなのだろうと、あらためて考えた。

 そういえばときおり、外国人旅行者が京都の住宅に(道と民家の区別がつかず)はいりこんで撮影してしまう話が聞かれる。町並みや日本の習慣に慣れていれば「ここは人の家」とピンとくるようになる——つまり物理的には進入可能でも気持ちとして「結界」を感じとることができるが、その判断基準を持たない旅行者には、どこも観光名所に見えてしまうということなのだろう。

 誰にでも慣れないことはあるが、それとなくいろいろな表現で約束事を表現しつづけていくことで、みんなが慣れていくことができたら、よいと思う。時間はかかるだろうが、いちいち注意書きを増やしたり強い表現を使うよりも、摩擦がなくてよさそうだなと。