魚醤と、魚醤油(うおしょうゆ)

 英語版のWikipediaで醤油の欄に、関連事項としてアルファベットで「うおしょうゆ」と書いてあった。かなり驚いた。魚醤(ぎょしょう)はあるが魚醤油(うおしょうゆ)とは呼ばないと考えたのだ。だが日本語版Wikipediaでは、魚醤の欄に「魚醤油(うおしょうゆ)、塩汁(しょっつる)とも呼ばれる」と書いてあった。
 知り合いが目の前でしゃべったり書いたりしたものならば、うっかりとその直後に「正しくは魚醤(ぎょしょう)だよ」と口走ってしまっていたかもしれないが、知らない人であったおかげでこうして調べることができたし、思いがけず魚醤の欄を読むきっかけにもなった。

 だがこれがまったくの知らない人ではなく、知り合いの知り合いであるとか、知り合いがいる場所での誰かの読み間違いであると、どうしたものかと頭をかかえてしまうことがある。

 だいぶ前だが、知り合い(アメリカ人)と大勢で参加していた英語の掲示板で、戸主(こしゅ)をアルファベットでわざわざ Toshu と読み間違いしつつ解説している人がいた。それも何度も書いたので、打ち間違いではなく本気で読み間違えていたようだ。
 個人的に知らない人であり、メールアドレスなど連絡の代替手段もなかった。コメントを追加するには、掲示板上でその読みの違いもセットで指摘せねばならなくなる。それがおっくうで、読むのをやめてしまった。

 読み間違いはあっても日本の家制度には詳しい人であり、それだけの知識があるところで読み間違いを指摘されれば、おそらくは怒ってしまうことだろう、と。
 日本語を少し理解するアメリカの知人ら本人に対しても気を遣うのに、赤の他人に「Koshuですよ」などと書くリスクを負うほどには、当時のわたしは度胸がなかったのだ。

 わたしも、偉そうなことばかり書ける立場ではない。
 もう25年くらい前だが、うっかりしたミスに気づくことがないまま、ひとさまに文章を出してしまったことがある。似たスペルだが意味は違う単語を、せっせとそのまま「この単語表でやろうと思っています」と、表まで提出したのだ。先方が驚いたのは書くまでもない。
 返事の文章からは「こいつってこの程度を読み間違えるのか」的な衝撃波が、隠そうとはしていたのだろうがその甲斐なく、こちらの目に突き刺さってきた。いまにして思えば、そんなうっかりミスにも気づかない程度の熱意しか持っていないわたしに、先方はあきれたのだろう。もう少しできる人間だと思ってもらっていたということだ。

 その方とは、それが原因ではないのだが、すっかり疎遠になって久しい。

 何歳になっても謙虚に、新しいことを学び、吸収していける人間でありたいと、無難な終わり方で今日の記事を終了。