感情移入する対象がほぼゼロ、「葛城事件」

 わたしにしてはめずらしく、邦画を見た。Netflixにあったもので、2016年の「葛城事件」。主演は三浦友和。

 次男が何やらすごそうな事件を起こした家(詳細は最後のほうでわかる)で、罵倒の落書きを消している男から、作品がはじまる。次男は殺人を犯したのか、人殺しなどの言葉が大量に書かれている。

 そこに若い女性がやってきて、男の次男と獄中結婚をしたという。事件までは面識もなかったが、死刑廃止論者で、自分のような人間が愛することで相手が救われるという信念の持ち主らしい。愛情を感じているわけではなく理解をしたいというのが透けて見えるが、相手は自分の愛で変われると思っているところに矛盾がある。本人は気づいているのだろうか。

 その後、作品内の過去と現在が、交互に描かれる。

 男が何かにつけて次男より優秀だと周囲に自慢していた長男が、生活苦を誰にも言えずに苦しむ。比較でおとしめられてきた次男は、苛立ちを母親にぶつける。母親はまた、夫からも低く見られ、言葉や身体的な暴力を受けている。だが慣れすぎてしまったのか、感情を出すことがほとんどない。

 一家の父「葛城清」は、よいところがまったく見あたらず、醜悪である。演じている三浦友和という役者は70年代から見ているが、若いころは好青年を絵に描いたような役ばかりだった。その後は役の幅が広がってきているとは、まさかここまでやるとは。
 だが、よく考えると、三浦友和という役者がやるから驚くのであって、実生活にはこういう男性像は「あるある」である。描かれた悪い要素のすべてが揃っているかはともかくとして、世間の「あるある」な像を集約させると「実際にいてもおかしくない」になる。誰しも多少は記憶している日常生活や世間の暗い部分であり、わざわざ映画で見たくないような人物だ。

 この映画はいったい何が見所なのかと、パソコンの画面をじっと見ながら、考えていた。

 最後の最後、男はあることをやろうとしてできなかったので、それ以前にやっていた作業(モノを食う)に、もどる。ああ、これかと。
 この、愚鈍なまでの無神経さと、それでもなんとかなってきた(ごり押しで人生を歩んでこられた)時代がそろそろ終わりを告げることと、八方塞がりであっても、とりあえずやりかけたことだけはやるという、惰性と。

 強くはおすすめしないが、お時間がある方に。

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