怒る客、耐える客

 厳密には客ではなくて患者なのだが、ひさびさに待合室で3時間以上も身動きがとれなくなり、周囲の様子をキョロキョロと伺ってしまった。

 わたしが通っているのはそこそこ歴史ある病院(建物は古い、待合は狭い)だが、この数年は予約システムがかなり浸透してきたために、せいぜい遅れても1時間待ち程度が多かったし、運がよければ予約時間とほぼ同時に診察ということもあった。そんな状況に慣れきっていたところに、今日の遅延である。

 通うようになったころ、その病医院(とくに内科)は、朝早くに順番取りに出かけなかった人は帰りが何時になるかわからない状況だった。そのころならば、ときおり順番待ちにいらついた人が受付に大きな声で食ってかかるようなことも、あったように思う。

 さて、あまりに呼ばれないのでまず疑ったのは「担当医、退席してるのか」である。患者の人数で考えたら5分か10分でころころ回転させなければならないはずだが、その担当医が患者を呼ぶ回数が、ほかの医師らに比べて圧倒的に少ない。たまたま長く相談している人がいるのならわかるが、呼んでいる間隔があまりに長い。

 10時〜10時半くらいの予約ということで出かけたのに、11時半になっても「医師が人を呼んでいる気配がない」ので、周囲に聞き耳を立てた。コロナ禍もあって、どうしても付き添いが必要な人以外はあまり待合に来なくなったので、患者は「遅いね」などの無駄口をたたく相手がほとんどいないのだ。だがなんとなくそわそわしている人がいることを感じ、わたしだけではないからと我慢をしていた。

 12時ころになって、わたしの近くに付き添いの家族と一緒の高齢女性が座った。わたしと同じようなことを考えているらしく「ここの病院て騒がない患者が多いから、みんな我慢しているのかな」と小声で話している。どうもわたしとは事情が違い、予約日ではないのに診察をしてもらうことになったので「自分たちは仕方ないけれど、この人たちのあとだから、いったい何時だろうね。午後3時半までには病院を出たいね」と。おーっ、なんと謙虚な。このあと3時間も待つつもりなのか。

 それとなく話しかけてみると、きちんと予約をしていたためにゆっくり来たわたしよりも、さらに30番以上も順番があとである(——内科全体の受付人数が30番以上あとという意味であり、全員がその医師を待っているわけではないが、それにしても多い)。おそらくご自分たちが遅くやってきたことを認識しているために、よりがまん強いようだ。

 近くの別のご婦人は、看護師に「ほんとうに先生は診察をしているの、誰も出入りしていない」と、質問のような半泣きのような声を上げたあと、遅れているという説明を受けたようだ。だがその後、何を思ったか、その医師の診察室入り口に頻繁に立って「ほんとうに人はいるのか、次も自分ではないのか」とばかりに、チェックを入れはじめた。いや、それやめようよ、無言だけれど考えていることが顔に出ていて怖いよ。

 その後、12時をだいぶ回ったので、わたしも動いてみることに。一番近い窓口に出かけ、それとなく笑顔で「○○番ですが、帰ろうかと思います。来週とか再来週に、また来てもいいですか」と話しかけると、15年以上も通っているので顔をおそらく覚えられているのだろうが、相手がキリッとした顔になり「調べます…あっ、次の次なので、よろしかったらこのまま待っていただけませんか」と。

 席にもどり、腰を下ろすと、先ほどのご家族連れが「番号がまた動いたね、でも自分たちはまだまだ先だ」と話をしていた。こちらをチラチラ見るので、それとなく「受付に聞いてきたら、わたしは次の次だそうです」と話すと、高齢女性が付き添いの男性に「わたしは車椅子で移動が面倒だから、聞いてきて、ねえ、聞いてきて」と、せっついている。男性はどのみち遅くなるのはわかっているのに自分が窓口に聞くのも嫌だなという顔で「車椅子ごと連れていってあげるから、自分で聞いて」と、ふたりで去っていった。
 その後は姿が見えなかったようなので、もしや、予定時間を聞いてあきらめて帰ったのかもしれない。

 わたしが呼ばれたのは午後12時半過ぎ、診察と処方箋の発行は数分で、会計をして病院を出たのは1時過ぎだったように思う。だがその間、誰も大声で怒鳴らなかったし、遅れていることを声や態度に出して落ちつきなくしていたのは、ほんの数人だった。

 病院というのは待たされるものだという意識が染みついている人もいるにせよ、怒る人が少ないと実感。古い病院だけに、客層というか患者層の年齢が高いのだろうか。

 ほかの大きめ病院では、どうなのだろう。