母語での油断

 今日はネットで何気なく書いた文章を、ざっと見直し、確定を押したとたんに「なんじゃこりゃ」と…。よく見ると、新宿の新南口にこの春「バスターミナルが集まって」、と書いている。バス路線の終点、始点が集まって「ターミナル」なのだから、ターミナルがたくさん集まるのはおかしい。すぐさま直した。

 幸いなことに「歯舞」が読めなくてその場で全国に向けて恥をかく大臣とは違い、わたしの場合は1分以内に気づいて直せば、おそらく誰も見ていない。有名人でなくてよかった。

 最近、気になっていることを含め、日本語のこと。

○ 濡れ手で粟なのか、濡れ手に粟なのか、たまに迷う。どちらの用例もあるような気がしている。
○ 自分でも文章で使いそうになるが、「させていただく」を目の前で(音声で)連発されると、そこまでしつこく言わなくてもいいのにと思う。正式には「いたします」だけでよいのだと聞くが、周囲の使い方で、人はついつられるものではないだろうか。
○ 琴線に触れるを、逆鱗に触れると勘違いしている人がいるそうだ。さすがにそれは間違わない。
○ 敷居が高いのは、その家に(何らかの理由で)顔を出せないようなときに使うのが正式だそうだが、わたしのように「自分にとっては気後れしてしまうような状況」に使うのは誤用だそうである。
○ いそいそと、が「急いでいる様子」とか「こそこそしている様子」と思っている人がいるらしい。
○ 気の置けないは、油断できないの意味だと思っている人がいるらしい。
○ 天地無用を「逆さまにしてよい」と思っている人がいるらしいが、そういう人が宅配便のアルバイトをしたらどうしようと思う。
○ 噴飯物を「腹立たしいもの」だと思っている人は、けっこういるらしい
○ 氷山の一角をよい意味で使おうとする人を、見たことがある(例:あなたのような人は氷山の一角です)
○ 「温めると美味しくいただけます」の「いただけます」は、とてもおかしいと思うのだが(自分のことを言っているのならまだしも、おそらく周囲の人に向けているのだろうし、食べられます、もしくは召し上がれます、でないとおかしいのでは)…だが、誰もそれを気にしていないらしい。わたしは自分に関してであっても、まぎらわしいのでこの「いただく」を、できるだけ使わないようにしている。

 さて、これからも、できるだけがんばって丁寧に文章を書いていきたい。

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