Facebookの個人情報を不正に活用したデータが前回のアメリカ大統領選に利用された問題が表面化してしばし日数が経過した。大手の広告主が降りる、退会者が増えているなどの話も聞こえてくる。
この問題については、わたしは別に驚く点はなかった。Facebookから何らかのサービスを利用する際、どうにでも解釈できるような確認ボタンを押させて情報を先方に渡す仕様になっている。意味がわかって押している人とそうでない人とでは、後者のほうが圧倒的に多いのだろうとはこれまでも想像していた。そしてサービス提供元が約束を守って適切な個人情報管理をするという性善説に基づいて、Facebookは事実上それを野放しにしてきた。
NHKなどの報道によれば、Facebookはつい昨日くらいになってようやく、検索において個人を電話番号やメールアドレスから特定する機能をオフにしたと発表したそうだ。これはたとえばよく似た人名の友達を探すときに候補が何十人もいたとして、電話番号やメールアドレスを知っていればその中から的確に相手をしぼれるというものだが、たしかわたしが入会した2010年ころのFacebookの設定上では、デフォルト値はオンだったように思う。Facebookはしょっちゅう設定を変えることがあるため、わたしはときどき見にいっては、自分でいくつかの場所をオフにした記憶がある。
そもそも、何度Facebookに入力しろといわれても電話番号は登録していないのだが、これも本人の認識と実際は違うかもしれない。数年前にときおり「あなたの電話番号がこれでいいのなら確定してください」という文字列が出たことがあった。使用スマホの情報や、Facebookと関連ある何らかのサービスに登録してある番号から当たりをつけている可能性はある。むろん確定しなかった。
いま、不安な気持ちで正確なところが理解できないまま、ただネットが不安だと思っている人もいるかもしれないが、世間に不手際を認識され叩かれているかどうかだけの違いで、Facebook自体がこの数週間で急に悪くなったわけではない。とくに何も変わっていない。良くも悪くも。
Facebookが性善説に基づくふりをしながら実際には各種サービス提供元の行為を野放しにしてきたことは、自分たちのシステムの持つビッグデータとその影響力もしくは価値を、将来への可能性を探るという言い訳のもと「制御したくなかった」のではないかと推測している。大きな存在、ひとつの生き物のようにうごめくビッグデータを育てていくことで、何かとてつもないパワーを手にしたような錯覚に陥ることも、あったのではないだろうか。
億単位で会員のいるサービスであるから、制御しようと思ってできるものではないかもしれないが、その努力だけでも怠らずにいたら、現在のような評判がた落ちの憂き目に遭うことも回避または軽減できた気がしてならない。
Facebookには日本だけでなくアメリカにも友達がいるので、それらの友達が全員いなくなるようなことがない限りは、わたしはつづけていく予定だ。そして友達の多くがFacebook以外のどこかの場所で交流したいといことであれば、新たな場所を一緒に探していきたいと思うけれども、いまのところは現状維持で考えている。