Facebookが現在の機能にプラスして、希望する人には出会い系サイトのような使い方を実現させていくという。
ITmedia 2018.05.02 Facebookアプリに出会い機能追加へ 「友達」には知られずに使える
出会い系機能がない現在でさえも、人間関係を無理に増やそうとするFacebookが、うっとうしくてたまらない。友達の友達は友達かもしれないからと、友達申請いかがですかとメニューの隅に何人もの顔写真を出してくる、おせっかいなところが大の苦手だ。間違えて申請ボタンを押してくださいといわんばかりの頻度と数。よけるのがたいへんである。
Facebookでの「友達」は、もともと、ほとんど接点がない場合でも意見が合いそうなら友達になる人、意見があうかどうかわからなくてもお試しで友達になる人など、人によっては考えにかなりの差がある。共通の友達という表示が出ていたところで、どの程度の間柄かはまったく不明だ。へたをすれば、自分の友達リストを経由してあちこちを上手に渡り歩く人に、手を貸す結果にもなりかねない。
もともとそういう面では煩わしさの多いFacebookだが、ここで出会い系をはじめるとなれば、多少の雰囲気の変化は生じてくることだろう。
特定のSNSでのみ人とつながっていると、その場所に何かあったとき、日常生活や連絡手段の不便が生じる。サービス提供会社に嫌気がさしたからやめたいというのなら、数人にだけ連絡先を教えて消えてしまってもいいだろう。この場合は誰かとまったく連絡がとれなくなることはない。あるいは、その会社のサーバが大規模障害で復旧の見こみが立たなくなった、という場合もあるかもしれない。同系列ではないがそこそこ有名な会社が運営するサービスを、何人かの知人と一緒に利用しておくと、またその後に人とつながりやすくなるし、多少は「ふるい落とし」ができるので、より親しい人とつながりやすくなるだろう。
だがこうしてネット上のサービスの統廃合や吸収が増えてくると、何かあったときに選べる移動先が、ほとんどなくなってくるのも事実だ。ましていったん外国の人々とも垣根なくやりとりできるサービスに慣れてしまうと、日本語中心のサービスに登録して小規模でまとまりたいと考える人も、それほど多いとは思えない。人は広い空間を求めることだろう。
大きな場所にたくさんの部屋を作って、友達同士で鍵をかけて使うというのが現在のグローバルなサービス(FacebookやTwitter)の使い方だろうが、最初から狭い場所とわかっているところに、人はなかなか集まらないと思われる…つまり、Facebook等の大きなSNSから人が流出する際の再合流先として、やはり「大きめの場所」を人は期待するのではないか、だが大きな空間の選択肢はどんどん限られていく。
ある意味、去年とても話題になったマストドンが理想としてはよいのではと思うが、これはレンタルサーバに気軽にWordpressをインストールする程度の知識レベルでは済まないし、管理能力、熱い心、厚い財布(専用ドメインが必要で、サブドメイン利用不可と聞いている)が必要となってくるから、誰しもがほいほいホストするわけにもいかないだろう。やはり大手サービス内包のメニューを使いたいのが人の心理ではないだろうか。
大手サービスの栄枯盛衰も期間が短く、数年で話題にならなくなるものがあるので、メモでもしておかないと、すぐ忘れてしまいそうになる。
先日、まったく使っていなかったLinkedinをやめた。これは誘われたから付き合いで加入したが(それが積極的な誘いだったのか自動でのメール配信だったのかは本人に確認していないが、知人からメールでお誘いがあったため、数年前に加入)、実際のところ、ログインもほとんどせず。いつまでも記録が残っているのも不安なので、消した。
ほかにも、何らかの用事で登録した企業サイト(日本の企業のサイト利用の会員になった場合)で、数年もすると面倒な状態になることがある。登録データが親会社や関連会社などに引き継がれ、最終的にはサービス名も企業名もピンとこない場合があり、「なぜこんな会社に会員登録されているのか」と調べなければいけないことも。そういったものもまた、お知らせメールに気づくと退会するようにしている。
2010年にFacebookに参加した記憶がある。現在のところ、知人との連絡はFacebookをメインにし、昔の知人らの投稿をTwitterで読み、食べ物の写真はInstagramに載せて(ただしこれはFacebookに自動で投稿する用途として使っている)、趣味のバウムクーヘンだけは自分のサイトに愛好家の参加を募り、サイト構築をしている。データの管理や公開の100%を大手レンタルに依存するとろくなことはないので、これからも自サイトで、自分の管理できる範囲のサイト構築はしていくつもりだ。
ネット上での連絡手段は、複数あったほうがいいと思うが、たとえ誰かにとって3番目でも5番目でも、思い出して来てもらえるような場所のひとつとして自分のサイトが役割を担えたら、本望である。