日本の使い捨て文化といえば、数十年前なら槍玉にあがりやすかったのは割り箸と相場が決まっていたが、最近ではプラスチック類ではないかと個人的に思っている。むろんレジ袋やストローは諸外国でも使っているが、この数年、プラスチック製品が適切に処理されず海洋に垂れ流しになっているマイクロプラスチックの問題などで、日本以外では対策を考えている例も見えてきた。だが日本は、国の方針としても自治体の取り組みとしても、そういった話を耳にしない。
医療機関や大規模な給食施設などでは仕方がないかと思うが、日本人の社会では過度に「清潔」にこだわる傾向があり、使い捨て手袋、使い捨ておしぼり、使い捨てストロー(もちろん1本ずつ個別包装)など、枚挙にいとまがない。そして小規模な飲食店などでは、素手をこまめに、ていねいに洗うよりも「客に厨房を見られたとき何か言われるから」といった理由で使い捨て手袋を使う場合もあるのではないかと想像している。
他人が素手で作ったおにぎりは食べられないという人も実際にいるそうだから、店の客層によっては、手袋を使うこともあるだろう。
だが少人数のスタッフが交代しながら厨房に立ち、給仕し、食器を下げ、会計をする店ならば、作業のたびごとに使い捨て手袋を交換していたら、おそらくすさまじい量になるはずだ。うっかり取り替えるのを忘れるくらいならば素手をきっちり洗ってもらったほうがありがたいと思う客もいるはずで、わたしはそのひとりだが、使い捨て手袋を過信している人たちは、おそらくなかなか減らないだろう。
今日アメリカの知人に「去年の日本滞在で買ったプリペイドSIMを持って行くから、リチャージできるようなら、してもらうつもり」と言われた。即座に「外国人旅行者向けの期間が区切られたSIMは、期間延長はできない、新規に買い直し」と説明した。半信半疑のようなので、ダメ押しで「リチャージできるとしたら利用期限内のギガバイト追加だけ」と説明すると「使い捨てだなんて、プラスチックの無駄」と、驚いていた。
たしかに、同じ機材を使い回すよりも新しい物を買わせたほうが管理やサポートがしやすいし、利用における不正も起こりにくいという「企業側の理由」で、使い捨てが決まっているのだろう。使い回して節約されるプラスチックの価格よりも、古いパーツを再活用させるための技術スタッフとサポート人員の費用を考えれば、そういう結論になる。だがたしかに、これはもったいないことである。
日本人は、いろいろなものを使い回して節約してきた昭和中期くらいまでの社会にあった良さを、カネと合理性という理屈の前にどんどんと捨て去ってしまったのだろう。
あともどりができないなら、カネと合理性があってなおかつ使い回したほうがいいと思えるだけの発想の転換を、なし遂げなければならない。「もったいない」の心が失われたならば、「使い回したほうがカネが儲かる」という理屈を作らなければ、この社会はなかなか動かないのではないだろうか。