夏になるとよく怪談や民間伝承などの本が売れるのではないかと思うが、山にちなんだ話で「マヨイガ」というものが知られている。少なくとも山育ちの人間としては、山に関して不思議な現象を思い浮かべたとき、頭に浮かぶのはマヨイガのような話だ。
Wikipediaによると、関東や東北でよく語られるものらしい → マヨイガ(迷い家)
ふらっと歩いていた場所で、いつもとは違う何かを見つける。それは家であったり、現象であったり、さまざまだ。とても珍しく思い、しばしそこで過ごしたあと、いつもの方角にもどりかける。だが気になってふとふり返ると、もうその気配が消えている。また同じ場所にもどろうにも、歩いても歩いても、たどりつけない。
わたしはこれが、ときおり場所ではなく本で起こる。とても疲れた状態で読んでいた本に「なんだこの信じられない表現は、びっくりするではないか」と、付箋があったら貼っておくのに出先だから貼れないと、帰宅してからそのページを探すと、もうない。疲れのあまりに一瞬のあいだ眠ってしまい、夢か現実かわからない文章が頭にすりこまれてしまうのだろうか。だいたい本の何ページころで、そのページのどのあたり(ほぼ左下半分)など覚えているのに、そんなところにその表現はない。仕方ないから各ページをペラペラと、その部分だけに視線をあてて1ページずつめくったが、けっきょく見つからない。書名も出てきた表現もそっくり覚えているが、この謎はおそらく今後も解けないのだろう。
さて、あまりに暑い東京である。今日は荷物を出しに寄ったクロネコ営業所で、熱暴走で支払の端末(手のひらサイズのタブレット)がおかしくなり「暑い日の午後になると再起動が必要になるんです、でも再起動は時間がかかるし、少し待ってみるだけでもいいかもしれません、少々お待ちください、すみません、すみません」と、係の人が何度も謝っては、けっきょく再起動になった。係の人は恐縮していた。
たどりついただけで体中から汗が噴き出していたが、どうせその近所を見て帰ろうとそのまま帰ろうと、暑さに違いはない。それならば阿佐ヶ谷の駅前まで歩いていって帰りはバスで楽をしようと、銀行ATMに寄ったり、買い物をしながら移動。そして、いくつかの買い物をして帰宅した。
途中で飲み物を買ったが、午後3時から2時間、よく無事で帰ってこられたと思うほどの気温だった。着替えをして、飲み物をふたたび口にしてから、倒れるように20分ほど寝てしまった。
寝てしまったことで、記憶が混乱したのかもしれない。
棚にどんな焼き菓子が並んでいたかもすべて覚えていられるほど具体的な「菓子屋の光景」が目の前にあって消えないのだが、昨日も今日も、寄った店の場所はすべて覚えていて、その中にその光景はなかった。だが可能性としては昨日と今日しかない。おとといまではたいてい連れがいたのだ。ひとりで焼き菓子の棚を見て「珍しい店だ。買おうか、買うまいか」と迷った。けっきょく買わなかった。
いったあの店は、どこにあるのだろう。ネットで見た菓子店が、行った店のように頭にはいってしまったのか。ずっと考えているが、思い出せない。
複数の人が体験しているのでなければだが、不思議な話の多くは、こうして「本人にもわけがわからない」お疲れの状態が原因のことも、あるのかもしれない。