クラクラするほどの「トンデモ」本

 30年近く前だが、高橋克彦の「総門谷」に夢中になったことがある。その後も何年か同じような怪奇作品を読んだり、「記憶」シリーズを読んだり、はたまたエッセイをいくつか読んだ。なかでも「玉子魔神の日常」というタイトルのエッセイを、とくに覚えている。

 氏の本を読むのがどれくらいひさしぶりかはわからないが、岩手県などに伝わる「マヨイガ」の話を検索していたとき、「黄昏綺譚」という本に、そこそこ近代的な事例がひとつ載っているとどこかで読んだ。気になっていたが、先週末にKindle本が半額になったのを機に買ってみたというわけだ。ちなみに今週末も半額のようだが、わたしと同じように頭がクラクラする人が続出してもどうかと思うので、積極的にはおすすめしない。

 無難に読めるのは冒頭の「黄昏」の説明のあたりである。ずっとその場にいて、目が徐々に暗くなっていく風景に慣れてしまい「暗い」と認識するのが遅れるため、ちょっとしたことで手もとが狂ったり何かを見間違いして大騒ぎになる(事故が起こりやすい魔の時である)という解釈が書かれていて、このあたりは常識人の言葉である。この導入部は安心だ。

 ところどころで面白い話も出てくるのだが、ほとんどの場所で、ちょっと油断をすると宇宙人の話に連れていかれる。いきなり「少彦名神(すくなひこなのかみ)は宇宙人である」とか、言い伝えや古文書に出てくる鬼は宇宙人とか、とにかく宇宙人が好きである。文章のはじめのほうで「これこれだと思う、その理由は」と書いたら、その次の段落に進むころには新たな説が出ていて、先に書いてあった「思う」の導入部は仮説ではなく説として確立してしまっていることもしばしば。そしてところどころに出てくる理由らしきものは「(名前は書かないが)自分が信頼している人からの話である」とか、そういった具合だ。

 どこまですごいことになるのかと、休み休み、Kindleで7割まで読んでみたが、そうしているうちに心配になってきた。自分がおかしいと思う場所では首を傾げながらスピードを落とすが、万事がこの調子であるなら、比較的まともに読んでふむふむと思った場所すらも、もしかすると怪しいのではないだろうか。

(いちおう氏の名誉のために書くが、座敷童の話を例に、柳田國男の遠野物語は自身が広めたいと思う「きれいな」話ばかりを採録したという部分は、とても興味深く感じられた。この部分に関しては、その通りなのだろうと思っている)

 さて。

 わたしはオウム真理教が起こした地下鉄サリンの事件を機に「いかに馬鹿らしい団体であったか」ということと、その馬鹿らしさを育ててしまったのはわたしのように「話としては面白いから、トンデモっぽいものも悪くない」と、おおらかな目で見てきた人間たちなのではないかと、恐ろしくなった。わたしはあの団体の出現と問題の顕在化で、いろいろなことに警戒するようになった。あのころから、自分の読む本や書く文章も、多少は変わったと思う。

 この本は初版が地下鉄サリン事件よりも「あと」である。その時期によくこんな馬鹿げた話をおおまじめに書きつづるものだと、ため息が出てしまった。氏は作家業が多忙になる以前は大学で講師をされていたと聞くが、もしや宇宙人の話などが講義でポロッと出ていたのではないだろうか。当時の学生さんらは、どう思っただろう。

 いま、もし目の前にふたたび「総門谷」のようなフィクションが出てきたら、わたしは読むと思う。あれを面白いと感じたことは、自分の大切な記憶のひとつだ。
 だが作者がフィクションの形をとって実は自分の信じることを書いていたというのであれば、気分は複雑である。そういった内容を個人的に目の前で語る人がいたら、わたしはかなり引くと思うし、その後それとなく距離を置くことが、あるかもしれない。

 かつてテレビによく出ていた、たま出版の韮沢社長がUFOがどうのと言っても、テレビでならば苦笑しつつ聞くし、あれは出版社社長としてのキャラなのだろうと思う。いわゆる「お約束」的な世界だろう。

 さて、この本のあと3割を無事に読み終えられるかどうか、明日も様子を見てみるとしよう。

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