20年くらい前までのことだっただろうか。ペットボトル飲料は、大きめサイズでしか売られていなかった。ペットボトルというあの利便性の高いものが小型で大量に流通すればゴミになるであろうという業界の判断があり、独自の取り決めとして、制限されていたと聞く。
だが、そうこうするうちに、外国からミネラルウォーターが500ml程度でどんどん流通するようになった。ペリエなどの高級品はいまだにガラス瓶で720ml以上のサイズだが、それ以外の手軽な商品は、軽いペットボトルで爆発的に売れていった。持ち運びが簡単なそれらの商品に、人々が飛びつくのを見て、もともと法的な制限があったわけでもなく定められていた業界の独自ルールは、変換を迫られた。
その後、消費者は「たくさん飲んでもきっちりリサイクルすればいい」という、実際にはどの程度がリサイクルされているかもわからない状況でありながら、リサイクルを信じて消費をつづけた。そしていま、500mlでもゴミの量が心配されていたというのに、さらなる小型化が進んでいる。
この件でもわかるように、業界は、それなりにがんばっていたと思う。けっきょくは押されたが、最初はゴミが出ないようにする道を模索していた。
いま、このご時世になって環境省がレジ袋を有料化しろだの、プラスチック廃棄を減らそうだのと言いだしたそうだが、レジ袋問題はスーパーのチェーンのほか、それぞれの自治体が10年以上前から工夫や努力をしてきたことであり、国が何をいまさらな印象だ。最後の仕切りだけを自分たちがおこないたいかのような、とってつけたような話にも思える。
業界は立場上「リサイクル」に重きを置いて販売してきたのだろうが、民間の団体や市民の声としては、リユース(再利用)や、リフューズ(そもそも使わない)という心がけもあったはずだ。だがリフューズされては経済が回らないというのが、つねにお役所の発想であるゆえ、いまこの段階になってもなお、国はリフューズの発想ではなく「プラスチックではない、ほかの材質のもので商品を流通させよう」と、消費を推進していくのだろう。
日本の環境問題ではよく「リデュース(減らす)、リユーズ(再利用)、リサイクル(資源として再利用)」という言葉が聞かれるが、本来はリフューズ(使わない)も含まれなければおかしいことだった。
これからでも、消費者はリフューズの気持ちを堂々と口に出して言うべきである。全員が同じものを一度にリフューズするのではなく、それぞれが自分の要らないと思うものを買わない、使わないという気持ちで実践していけば、全体的な問題として、不要なものは自然と淘汰されていくことになるはずだ。