自分でも実感することがあるが、けちけちと節約してどうなるという思いをいだく時期が、人生において何回か訪れることはないだろうか。
この夏のことだったが、意外や意外、わたしの実母がその心境に達したらしい。健康面で不安がつづき、医師からもいろいろ話を聞いて、どうも、ふっきれたようなのだ。
その医師からの話の内容は、わたしは至極まっとうではないかと思ったし一般論も含まれていたと感じたのだが、母本人には衝撃的だったらしく、いつ死んでもおかしくないと「死を宣告された」(←本人の言葉のまま)と解釈したらしかった。そうなるともうわたしが何を言っても無駄なので放置していると、幸いに発想は暗い方向にばかり向かわず、本人曰く「どうせ食べられなくなる日が来るなら、体調がよく食べられる気分のときには美味しいものを食べることにしたんだよ」…と。
話を聞いていると、以前は特売のときなどにまとめて買っていた食品を、値段が問題なのではなく「食べたいと思ったタイミングで、たとえ少量でも食べたい量だけ買ってみる」といった内容から、テレビで見かけて栄養をつけるのによさそうと思ったものを、店で探してわざわざ買ってきたやら、それなりに楽しんでいるらしい。
わたし自身も12年前にはじめて体を壊して入院し、以降は考え方がだいぶ変わった経験を持つが、よりによってあの母がと思うと、それなりに感慨深い。ほんとうに節約をしていた人だった。
大昔に、ご近所の若奥さんのことを(その姑が)「砂糖を売り出しで半額だった日に買わないで次の日に定価で買ったと怒っていたけれど、ほんとに若い人のやることはわけがわからない」と、同意していたのを思い出す。ついでに言うなら節約がしみついていたわが家において、それを耳にしたわたしほか家族も「それってもったいないね」と言ったのは、内緒である。いまにして思えば、いちいち売り出しがどうのとチェックをするより好きなタイミングで買っていた若奥さんが、マイペースで潔いではないかという気もする。
さて、わたしも今月は誕生月なので、靴を買おうかと通販サイトで値段をチェックしている。たいていの場合は1足千円前後のスニーカーを数箱まとめ買いするわたしだが、たまには1足で数千円の靴でも、履いてみたら面白いかと思う。生きているうちに、カネは適度に使わねば。