見にいくかどうかで、家族と何度か言い争いに近い状態になった。映画に出かけるときは一緒と考えてくれているのはありがたいが、この作品はかなり「びみょー」で、正直なところ、何度か別行動を提案した。
いったん別行動ということで話はまとまったのだが、義母の事情で今月前半の予定が崩れ、さまざまな用事の日付を調整するうちに、それがかなわなくなった。そして話は元にもどった。
わたしの希望する別の映画にするか、わたしが折れてボヘミアン・ラプソディを見るかだ。今後ずっとこの映画の話が出るたびに、この件(険悪になりかけたこと)が思い出され、しこりになるのならばと、ついにわたしが覚悟を決めて、音響が評判という立川の映画館まで同行したのが今日の午後だ。
——やはり、微妙というか、映画としては普通の出来である。音楽を懐かしむ、あるいはメンバーの面影を持つ役者のみなさんを見られるという意味で、当時を知る人たちに音楽映画として人気が出ることは想像できるが、それ以外の人々が何に引かれてこの映画に出かけるのかが、よくわからない。
正直なところ、話が多少は美化されているのであろうに、主人公の性格も生き様も、感情移入できる人が多いとは思えないほど、めちゃくちゃである。成功をつかんで、家族同然のメンバーたちもいて、それでもひとりひとりが孤独をかかえている中で、自分(主人公)はとくにそれを埋められずにきたというメッセージ性を持たせたいのだろうと思う。だがその孤独がよく伝わってこない。自分から愛情に背を向けて内側にこもってしまうような、不器用な人間であるがゆえの孤独だと描きたかったのかもしれないが、外側の部分(傲慢さ)ばかりが表面に出て、なにやら薄っぺらい。
なぜこれが(当時のファン層はともかくとして)人気作品となっているのか、気になっている。