最近よく、70年代くらいのアメリカ映画「奇跡の人」のシーンを思い出す。サリヴァン先生がヘレン・ケラー(少女時代)の手に水を触れさせては、手のひらにwaterと書く。ようやくヘレンは先生が自分に文字を教えようとしていることに気づく場面だ。
なぜ思い出すかというと、どんどん症状が進んでいる認知症義母を見ていてのことだ。世話をしているとき、家族が強めの語調で「違う、そうじゃない」などと言おうものなら、感覚をすべて遮断して「この人の言うことは聞く必要がない」とばかりに、無関係なことをしはじめる義母。仕方がないのでわたしがあいだにはいり、義母の手をとって物に触れさせ、何度も何度も同じことを言う。すると義母は(わたしの語調からの想像で)わたしが責めているのではなく何かを教えようとしているのかもしれないと、耳を貸す。そしてようやく話が通じる…そんなことのくり返しだ。
で、これをよく思い出すのでサリヴァン先生を検索したら、Wikipediaに「日本では奇跡の人をヘレン・ケラーのことと考える人がいるが、サリヴァン先生のことである」という意味の記述が。おぉ、そうだったのか。
たしかにそうかもしれない。多くの人が適切な接し方もわからずにいたヘレン・ケラーを教育し、その人生を導いた。努力と奇跡の人なのだ。
ちょっとした連想から検索してみて、ひとつ賢くなった。