東京新聞の記事(2019.01.13 → 医療に「やさしい日本語」 外国人「初診」「アレルギー」どう伝える)を読んだ。
たしかに、症状が出ている最中は相手も不安だろうし、あわてているかもしれないから、意味が通じることを最優先に考えるのはもちろんだ。そしてさまざまな言い換え表現を提唱している方々がいることは、とてもすばらしいとは思う。だが…なんとか日本語らしさを残しつつわかりやすい表現を使っていくべきではと考えるのは、贅沢なのだろうか。
たとえば、この例。
「軽快しましたので、これ以上の通院は不要です」→「よくなったので、もう来なくていいです」
わたしは、これは言いたくない。もちろんわたしは医療関係者ではないし、何かで困りきっている外国人と日本語で接する機会を持たないので、わたしがこれを言わなければならない状況はなさそうだが、それにしても「来なくていいです」は、わたしの語彙にはない。
では、なんというか。うぅむ…わからない。「来なくて大丈夫そうですね?」は通じにくいだろうし、「あとは家で様子を見ているだけでいいと思います」と言ったらもっとわからないだろう。だが「来なくていいです」は、言いたくない(笑)。
もともと、わたしは日常の雑談をする相手がほとんどいないので、普段から日本語に漢字らしさがはいる。大昔に病院の付き添いで(本人が)おしっこがしたいと言っていた際、近くにいた看護師さんに「尿意があるようです」と伝えて、聞き直しされた。だがそれがわたしの通常の話し方だ。
わたしはいまこうして頭の中で「自分が言葉を変えろと言われたらどうしよう」と考えこんでいるに過ぎないが、普段ご自分なりの語彙がある医療現場の方々は、たいへんだろうなと、想像している。