先日だが、ダイヤル式電話を使えない10代少年らの動画を別々の人がFacebookでシェアしていた。少年らは受話器を置いたままダイヤルの穴に指を入れて首を傾げていた。なるほど、うん、たしかに受話器を上げからでないと電話は使えないというのは、言われなければわからないのかもしれない。
ところでわたしはぼんやりと、有線電話(田舎で地域のオペレータのような人がとりついでくれる)の時代を覚えている。たしか、こんな感じだった。
各家庭で、玄関や目立つ場所の柱にスピーカーのように見える四角い木製の箱が据え付けられていて、その箱の脇には受話器のようなものがついている。
管理はおそらく地元の農協など「なかば公的な団体」で、地域内の誰かと話がしたい場合は受話器を持ち上げてオペレータさんが「どこにかけますか」と聞いてくれるまで待つ。聞いてもらえたら○○番と告げる。するとオペレータが各家庭に対して「○○番、○○番、○○番」と番号を呼びつづける。相手がそれを耳にして受話器を持ち上げれば会話がはじめられる。
このシステムは、もちろんだが「地域内の全家庭に聞かれてしまう」し、「誰かが使っているあいだは使用できないのでその通話が終わるまで待たねばならない」し、「深夜は人が帰ってしまうので、だいたい朝から夜9時くらいまでしか使えない」し、わたしの記憶がたしかなら「そろそろ終わりの時間ですという意味でスピーカーから蛍の光」が聞こえてきた…気がする。
う〜む、書いていて自分でちょっと信じられない。そんな時代がほんとうにあったのだろうか。だがまったくなかったことを勝手に覚えてしまうより、おそらくもっと具体的に覚えていたものを一部しか覚えていないのだろう。
それはかなり幼いころだったが、その後にご近所も含めてわが家に黒電話がついたのもまた、小学校低学年くらいだった。そのため、わたしが有線電話を自分で使う(オペレータさんに頼んで誰かを呼んでもらう)機会は、年齢から考えておそらくなかったと思う。黒電話でさえも、最初のうちは自分で使わなかった。それに当時の電話機はたいていの家で玄関など目立つ場所にあり、年頃になってからも内緒話が難しかった。いまのようにひとり1台の電話がある時代ではなかったのだ。
いまは家の玄関に電話があるとは限らない家、さらには固定電話がない家も増えているだろう。時代は変わるものだ。