あとになって考えると、なぜあれほど不安だったのかと思うことがある。重大な用件でも軽い用件でも、そういう思考回路に陥ってしまうと抜けられない。
1週間くらい前からレンタルスペースを探していた。
あちこちのサイトを見ては検討し、貸してくれる人または会社に質問メールを出してみた。そういう場所を真剣に探すのは初めてのことで、作業そのものは楽しかった。まだ質問をするだけの段階だから料金が発生しているわけでもなく、気軽でいいはずなのだが、なぜか一喜一憂があった。
思いがけず15分で返事をくれた担当者もあれば、週末ならまだしも週明け1日以上経過しても連絡がもらえないことや、あるいはさらに不可解なことに、途中まで何通もスムーズに話が進んでいたのに、いきなり返事が1日近く途絶えた相手——ほんとうに、さまざまだった。
そんなとき「急な外出でもあって、あとでメールをくれるのかな」と、思うのが普通の人である。ところがわたしは「何か手違いがあったんだ」やら、「こちらがまずいことでも書いたのだろうか」やら、あれこれと考えてしまう。気晴らしにほかのことをしようにも、気づくとまた考えている。あげくに「レンタルスペースなんか探しちゃいけなかったのかも」まで、ちらっと考えた(←これはなぜなのか、自分でもよくわからないが、たしかにそんな思いが頭をよぎった)。
だがついに理想的なレンタルスペースが見つかった。場所がよいのに良心価格で(おそらく2か月近くも前から予約をしたため割引きが適用になったらしい)、もうこれで場所について悩むことはなくなった。
あとになって思えば、なぜ自分が「返事をもらえない理由が何かあるに違いない」という風に考えてしまうのか、不思議に思う。こういう人間はとても嫌われる。気をつけなければいけない。
あれこれと暗く考えそうになっていたあいだも、昔のことを思い出して気持ちを落ちつかせようと努力した。
たとえば、こんなことがあった。わたしは言葉を額面通りにとるところがあり、初めての通販するお店の人から「何かお気付きの点や問題がありましたら、お知らせください、商品は○○日に到着予定です」とメールが来たとき、お気付きの点も問題もないのだから返事をしなくていいのだと考えたのだ。お店の人にはどうもそれが不安だったらしく、何度も「○○日に到着予定です」などのメールを送ってくる。わたしは「なぜこんなに何回も来るのだろう」と思っていた。そして、相手がわたしに対して不安をいだいていたらしいと、ずいぶん経ってから気づいた。
それに類することをいくつも思い出しながら、自分だって悪気はなくとも人を不安にさせたのだからと、ひたすら待っていたところ、ようやくひとつの会社と無事にレンタル契約が結べたというわけだ。
義母が臨時とはいえ施設に入所したことで、少し笑いが出る回数が増えたと思う。わたしはまだ疲れているのかもしれないが、これからは、小さなことをあれこれ考えずに、普通にゆったりと過ごしていきたい。