4月末に大阪の寝屋川市で「深夜の2時20分ころ」、「男子高校生ふたりが」、「新聞配達のためミニバイクで出勤途中だった77歳」女性をロープで転ばせて、大怪我を負わせたという記事を先ほど読んだ。
夜中に高校生。77歳の女性がミニバイクで新聞配達。ロープを道路にわたして人を転ばせ、それを見ていた——どこからつっこんだらいいのかわからないほど、苦しい。
2019.05.02 東京新聞 道路にロープ、少年2人を逮捕 殺人未遂容疑、女性は重傷
考えられない——。高校生がそんな時間に外にいることも。77歳の女性がそんな時間にバイクに乗って新聞配達に向かうことも。わたしには考えられないが、おそらく現在の日本において、そうそう特殊な事例でもないのかもしれない。
100歩譲って生活苦によるアルバイトではなく、新聞配達が好きで好きでたまらない人であったにせよ、77歳ならば、事故のリスクを考えて周囲が止めているべき年齢である。ご苦労のあげくに、こんな事件の被害者となった。
ただ、あまりにひどい事件であると、その高校生たちだけを責めればいい話ではない。
子供たちの学ぶ機会が、減っている。学業だけではなく世の中のことや人としての道を自然と身につけていくべき交流の場(おもに学校)が、薄っぺらく、形骸化しているのだろう。そしてその理由の大きな部分もまた、教育者や子供を育てている世代に余裕がないからだ。精神、肉体、金銭のあらゆる意味でいつも追われている人びとがいる。多くの人が、日々のことに手一杯である。
余裕と、気持ちのうるおいを失ってしまった人たちを、これからどう助けていくべきなのか、そしていったい誰がそれを具体的に案じているのかが、わからない。
少なくとも、わたしは案じている。見えていないふりをすることはしないが、何をしたらいいのかが、わからない。