今日のことだが、アイルランドの新聞The Irish Timesにあった記事を読んでいた。通常ならば英語の新聞で読むのは事件や政治経済などの欄が中心だが、たまたまFacebookで、生活欄にあった記事が紹介されていたのだ。
長い文章だが、Paddy Mcmahon(パディ・マクマホン)という男性について書いてあった。その人は、あるとき霊感のようなものが強まって、周囲で声が聞こえてたいへんな目に遭ったのだそうだ。数か月かけてようやくそれを聞こえないように制御したものの、落ちついて考えてみると言われている内容が思慮深かったり的確だったりしたので、メモをとることにした。そうこうするうちに本を書いたりスピリチュアルな相談に応じるようになったとのこと。
で、あまりに長いし、読んでいる途中で「そのおじさんが本でも書いて、その内容にこんなのがあって、霊感を信じるかどうかはともかく、これこれは印象深かったなどのオチだろう」と勝手に想像した。
だがパディさんの描写や、別のスピリチュアルな方々との出会いが登場し、さらには氏がどれほど周囲に献身的にアドバイスをしてきたかなど、先が読めなくなってきた。いくら生活欄とはいっても新聞であるから、スピリチュアル礼賛という終わり方はしないはずだと、我慢して読みつづけると…
なんと、わたしのような読者のために「事実に基づいたことを書く新聞という場所で結論めいた表現をするのはとても難しいが…」という言葉が。嫌な予感。
どうも、その男性が3月に亡くなったので、半生をまとめてみたという話だったらしい。
いや〜、新聞でそういうこと長文で書くか?
10分以上を読んでしまって、唖然とした。
たとえば、具体例をあげて申し訳ないが、一般向けのテレビに出てお茶の間でも人気があった、霊能者の宜保愛子氏が亡くなったときのことを考えてみよう。一般の新聞が氏の半生や著書について、ほかのスピリチュアルな方々との話も交えて長文を書いただろうか…おそらくそれはないだろう。週刊誌ですら、それほど書かなかったと記憶している。
一般紙でそれはないだろうと思っていたからこそ、オチを求めてぜんぶ読んでしまったのだが、う〜む、これは意外だった。アイリッシュ・タイムズは歴史ある新聞だが、今後も、ちょっと注意しつつ読んでみよう。
念のため補足:
わたしは宜保愛子氏の出ていた番組はよく見ていた。話術の巧みな人で、個人的には好きだった。人を不安にさせて壺を売ったりしなかったし、これこれこうすると生活が上向くような話が多かったように記憶しており、そういう意味ではいい人だったと思う。