子供のころ、自分で郵便を出すようになった時期には、封書が50円で葉書が20円だった。だが親たちが何度も「そのちょっと前までは、封書が20円で葉書が10円だったんだよ」とくり返していた。その当時の大人にしてみれば、金額がいきなり倍になったのだから、さぞかし戸惑ったことだろう。
それから約40年。消費税が上がったの影響で、明日の10月1日から、封書は84円で葉書が63円になる。40年でこの値上げ幅は低いといわざるを得ないし、おそらく郵便料金だけを考えたら採算がとれないはずと思う。
地域差のない国内均一料金を長年ずっと支えてきたのは、小泉(親)元議員が総理大臣時代に解体に着手し、その後に民営化となった現在の「日本郵便」の存在がある。あれが公共の立場であったことが大きいのだ。
民営化されたとはいえ、いまさら他社が郵便に参入できるはずもないし、日本郵便はこれからも周囲から親方日の丸に準ずる特別な扱いを受けることになる。元の公共事業を引き継いだ会社として、なんとか郵便事業を守ってもらいたいと切に願っている。
民営化の音頭をとった小泉元首相だが、民営化されたら採算のとれない郵便局が閉鎖になるであることや、過疎地の郵便配達業務がおろそかになる懸念、そしてそれらにつづく地域コミュニティの利便性低下について、周囲がいくら声をあげてもそんな心配はないとばかりに、押し通したように記憶している。
だが、あのころ国民は心配しすぎていただろうか——いや、心配がじゅうぶんではなかったといえるほどの状況である。
地方の人びとや、ある一定の年齢層から絶大な信頼を得ていた郵便局が、郵便部門と金融や保険に分かれた途端に、現在では高齢者を騙して保険を不利なものに切り替えさせたり、無断での契約もしていたとして、大きな社会問題になっている。
国鉄をJRにしたのとはまた違う、これはかなり影響の大きな、罪深い解体だった。
現在の日本は貧富の差も拡大し、福祉に使われるはずだった消費税は上がっていくのに社会的なサービスは減額されたり不便になったり、さんざんである。しかも政府は、反対も多かったというのに増税後の消費冷え込みをおさえる手段として、またもや商品券やポイント還元などといったものを押し通した。情報がうまく整理できない人や、いったんまとまった金額を出して商品券を買うことができない人には配慮のない、頭でだけ考えたプランをごり押ししたのだ。
この秋から、日本はますます、歴史に残るほど貧困を際だたせていくのではないだろうか。それなのにまだ政府与党の政治家には日本を「食べるに困らない国」であり、先進国であると認識する人が多いようである。なんとも嘆かわしい。