三つ子の魂百までもというが、子供のころに親しんだ味というのは、なかなか忘れない。そして急に思い出すこともある。
子供のころ、近所や親戚に高齢者でも多かったのか、しょっちゅう葬式饅頭が家にあったような記憶がある。いまよりは和菓子屋も多かったであろうから、急な葬式が重なってもなんとかなっていたのだろうが、何十人もやってくる参列者に饅頭のはいった小箱(だいたい箱に大きな小判型の饅頭が2〜3個ずつはいっていた)を渡すのが通例だったから、手配する饅頭の数も重さも、たいへんなことだったと思う。
うちの界隈では、こんな感じのものが配られていた。(Wikipediaより)
katorisi – 投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, リンクによる
記憶ではひとつのサイズが大人の手のひらよりも心持ち大きめで、4分の1カットくらいにしたものを分けてもらっても満腹感があったずっしり加減。中身はこしあんだった。包む皮は、厚めではあっても、よくある薯蕷饅頭の系列(芋系のつなぎがはいっているもの)だったように思う。
東京に出てきてから、葬儀にはほとんど縁がない。田舎の知人や親戚が亡くなっても母が代理で香典を渡してくれることが多く、参列したことがほとんどない。最後に喪服を着たのが何年前かも思い出せないほどだ。
まったく同じものを次に食べることがあれば、それは田舎の葬式である。味はもう覚えているから、食べなくて済むように、とりあえず誰も死なないでいてくれたらありがたい。