同じ時間を生きるということ

 30代くらいまでは、同郷だからとくに目をかける、応援する、あるいは同じ大学出身だから親近感を覚えるといった言葉を耳にするたび、軽い違和感を感じていた。なにやら実感をともなうことがないまま、ただ漠然と、それはなぜなのだろうと感じていた。
 そう発言する人は実際にいたし、わたし自身もまた、卒業していないと告げてあったにもかかわらず、同じ大学に学んだのだからと何度も親しく話しかけてくれた人が、勤務先にいた。

 最近よく、感じることがある。家族と話していて、同じ時間を似たような経験をして過ごしてきてよかった、と。
 たとえば「プールから出てきたのはサンダーバードの何号だったか」とか、仮面ライダーやキカイダーの話。あるいは天才バカボンのパパは後天的にバカっぽくなったはずなのに、なぜ息子はバカと天才がひとりずつなのだろうかとか。それがどれほど小さなものであれ、共通の話題が多くあるというのは、それだけ気が休まるということなのだ。

 同郷だから応援したくなるという気持ちも、最近なんとなくわかる気がしてきた。共通の知り合いがいるかもしれない、何かの縁がそこにあるような気がするといったことも、たしかに理由ではあるだろう。だがもっと直感的に、自分にとって懐かしい場所に暮らした(暮らしている)人ということで、仲間のような気がするのかもしれない。

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