勝手に信じて、幻滅する話

 たとえば芸能人や有名な人が覚醒剤をやっていたらしいとか、稼いでいるのだろうに資産管理ができず豪遊しては破産すれすれになるとか、おしどり夫婦だと思っていたら隠し子がいたとか、わりと穏当なことを言うイメージだったのに乱暴な意見を言ってはばからないとか…そういったことで、人は時として大きな幻滅、もしくはそれでは収まらずに怒りを感じることがある。

 わたしにもそういった経験はあるが、まずは一般論を書いておきたい。

 覚醒剤は法で裁かれる対象になっているので、これは幻滅や怒りを感じる人がいたとしても、自然なことだろうと思う。金銭管理があやふやであれば、それが自分が損するだけで済んでいるのならば(誰かに借りた借金を踏み倒してまわっているのでなければ)、とやかく言うことではなさそうだ。そして浮気だ隠し子だという話は、もしそれまでそういうイメージで売ってこなかった役者でれば、いったん仕事がなくなるか、あるいは今後は約の幅を広げて役者をつづけるかといった話になるだろうし、あくまで本人がどうするかだろう。幻滅した人たちは離れていくだろうが、そのあと本人がどうするかの問題は、詮索するものでもない。

 だが、ちょっと違う方向の「幻滅」もある。たとえば時事問題や、政治的な意見を、どの程度まで有名人がみずからあきらかにするかだ。

 わたしは、だいぶ以前のことだが、ある政治家の応援メッセージの名簿にイメージとはかけ離れた役者さんの名前を見て驚いた。それまでの役柄などから勝手にいだいていたイメージとは、あまりに異なった。
 そしてつい最近も、京都市長選の最中に物議を醸した意見広告に、有名人(複数名)の名前が支援者として掲載されていた件があった。わたしは京都の人々が驚いているのを半日以上遅れて知っただけだったが、ネットでは「まさかこんな広告をあの人(たち)が支援?」と、大きな話題になった。ただ、掲載されたうち何人かは、広告に名前が出されたことを知らなかったと発表したらしいので、必ずしも全員がそういった意見広告に賛同していたわけではないようだ。

 これらは、受け手の側が勝手に「こんな感じだろう」といだいていたイメージと現実が、異なっていた例だ。

 またわたしは、芸能人ほど有名というわけではないが、ネットでコラムを書いていたある人物(本を数冊出している)に、勝手に幻滅したこともあった。その方は海外暮らしが長く、日本の事情についてあまり詳しくなかったのかもしれないし、実際に言葉の意味が外国の例とは多少ずれていたのかもしれない。ただ、新聞などを読んでいる範囲であれば誤解がなさそうな、ある社会問題について、公の場で「否定ばかりして認めないのは、日本の○○業界が損をするからなんじゃないのか」と吐き捨てるように書いた。一瞬にして幻滅してしまった。

 役者さん、本の著者などは、当然のことご自分の意見を持っている。そして、作品を通じて人に見せてきた世界と、ご自分の実際の意見が一致していなければならないという決まりはない。あくまで仕事(作品)として世に出したものと、ご自分の本来の意見が異なっているだけなのだ。

 そうわかっていても、やはり、気持ちがもやっとすることがある。イメージを売っている商売なのだからうまくごまかしてくれたらいいのにと、つい思ってしまいそうになることもある。だが、それはわがままというものだろう。有名人には人前で意見を出すなという話になってしまいかねない。

 結論としては、一般人の側にも、慣れが必要ということだ。
 作品の外である現実世界にまで勝手にいだいてしまった期待やイメージが、何かのはずみに崩されてたとしても、「がっかりしたー、じゃ、次いこー」という程度に、受け流せるようにしておかないと、世の中はしょっちゅう芸能人、有名人の噂話で終わってしまいかねない。

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