書く前に検索してみたら、どうもこれは源頼朝ではなくて北条時範だったそうなのだが——かいつまんで書けば、不遇のため落ちぶれてしまった武士に、旅先で親切にしてもらった権力者が礼をする話。
北条と知らないまま、質素な食事を分けてくれて、暖をとるために大事な鉢植えまで火にくべてくれたその男が「いまは落ちぶれているが、いざ鎌倉というときがくれば、なんとしてもはせ参じる」と言っていたため、のちに北条は部下に命じて全国の武士らを鎌倉に集めるようお触れを出した。するとほんとうにその男が来たことに感動して褒美を与えた、という内容だ。
なぜ急にその話を思い出したのかは忘れてしまったが、昔とは違うところが気になった。
昔は子供心に「その場で名乗ってすぐお礼をすれば、面倒がなかったのに」と、ちらっと思っただけだったが、今日は「あれって、ほんとうに武士らに用事があって、招集をかけたんだろうか」との疑問が。
その話をすると、家族から「そういえば、ちょっと呼んでみたって感じがする」との返事。
どのあたりまで実際の逸話に着想を得た話かはわからないが、能などの芸術に採りいれられて発展、定着したのだから、あくまでフィクションである。だから、権力者が「呼んでみた」という態度でも、さして問題はないのかもしれない。
だがわたしは「実際にそんなことされたら、その人物以外の数十名、数百名は、呼ばれて解散か」と、なにやら気の毒になってしまった。
北条を泊めたこの人物は現在の栃木県佐野の界隈に住んでいたとの設定だそうだが、よぼよぼ馬では栃木から鎌倉まで1日では無理だったことだろう。それ以外の武士らはさらに遠かったかもしれない。へとへとになって鎌倉にたどり着いたら「はい、解散」と言われたのかと思うと、その人たちがお気の毒だ。本来の話とは違うところだが、それが気になってしまった。