昭和時代のセキュリティ

 いつもは1ヶ月おきくらいに通院すればいいのだが、先月の結果を聞く事情があるので、また今月中に病院へ。そして何気なく病院のサイトを見ていたら、出入り口の規制がよりいっそう厳しくなるらしい。去年までは、受付だけしたら時間つぶしに近所のコンビニや商店に出かけていたのだが、これからは出入りするたびに額で検温するほか、あれこれと手順があるので、もはやいったんはいったら診察と会計が済むまで出られないと思ったほうがいいだろう。

 セキュリティが厳しくなってみてはじめて、それまでがいかに緩かったかに気づく。そしていったん厳しくなったものは、おそらく二度と緩くなることはない。仮に新型コロナの件が落ちつくことがあっても、ずっと似たようなものだろう。

 いまから思うと、東京に出てきてすぐから、子供時代はセキュリティがなっていなかったと感じたものだったが、さすがにいまは、田舎も変わって来ているのだろう。

 小学校時代のある日。学校の入り口近くに(なんと当時その小学校は大半が生け垣だったので、子供が出入りできる程度の穴はけっこうあったという意味でも、のどかである)、登校してきた子供たちを西洋顔の外国人男性が何人かで出迎えるように立ち、キリスト教の絵を紙芝居のように見せたことがあった。
 当時は外国人がそんなところにいるというだけでびっくりして、なにかすごいことが起こっていると思った。めずらしいイベントに遭遇したかのように、みんなで語り合って、家に帰って親たちにも伝えた。
 だが、もしそんなきっかけでも顔見知りになった気分になれば、別の機会に会ったときついていってしまう子供も出るかもしれず、たいへんなことになる。子供たちはともかく、親たちや学校は、おそらく警戒したのではないだろうか。わたしが記憶しているかぎり、その外国人らに、2回目はなかったと思う。

 高校生のときは、いちおう市街地の高校だったが、やはりいま思うとのんびりしていた。校門からわたしたちがいる2階の教室にカメラを持った男性が手を振り「今日から衣替えですよねー、高校の制服を撮影して記事にしたいんですが」と、地元の新聞社の名前を告げた。すぐ6〜7人で降りていって校門のところで撮影したが、普通に考えれば、職員室にでも話を通したならばともかく、本当の新聞記者かどうかは高校生にはわからない。だがいちおうその新聞を見た友達によれば、写真は使われていたそうである。

 東京に出てきて10年くらい経ってからだろうか。田舎の家に顔を出しても無意識に玄関の鍵をかけていた。近所の人がチャイムを鳴らすので母が驚き「どうしたんだい、はいってきていいんだよ」と言うと「鍵がかかっている」と近所の人。まさかわたしが鍵をかけたなど思いもしない母がすっとんでいって「あらっ」と大騒ぎ。
 だがその後に父が亡くなってからは、鍵を使う機会も増えたようだ。それ以前は、誰かしら家にいるのだからと、就寝時以外はほとんど鍵を使わなかったものだ。

 さすがにマスクをせずに外出するようなミスは現在のところないけれども(どの店も入れてくれないだろうし、タクシーも難色を示すはず)、そのうち、マスクどころではなくもっと大きな何かを着用せねばならない状況がやってくるかもしれない。それはさすがに、一時的であると願いたい。

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