かつて教科書に載っていたのだが、記憶違いでなければ中学校で読んだような気がする。長いこと勘違いをしていてロシアの話だと思っていた。
内容を書く前に。
二重三重に勘違いがあると救いがないが、なぜロシアと記憶違いをしていたかというと、文中にサモワールという言葉が出てきたような気がするからだ。そしてその話の感想を教師に尋ねられたわたしの同級生(かなりの秀才)が、わたしと同じようにサモワールに何か感銘を受けたらしくそれについて語ろうとしたところ、その同級生を指名した国語の教師(中学校時代)が「まぁ、まとめとかするときには、そこはどうでもいい部分だけど〜」と、軽く流したのが残念で、よく覚えていた。
もしかするとサモワールの出ていた話は別のものかもしれない。だとすると中学校教師とセットで覚えていたが、いつの時代に読んだかも、怪しくなる。
ルーマニアでもサモワールを使ってお茶を飲むなら、それに越したことはないが、実際のところはわからない。
さて。
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ルーマニアからドイツに船で出勤していた男性が、あるとき両国の国交が断絶したのを知らずに仕事に出かけて、捕まってしまう。周囲も大勢が捕まって列車に乗せられ、すし詰め状態の劣悪環境のなか、どんどんと遠くへ運ばれそうになる。
途中で、男性と一部の人たちは脱走を決意する。
列車が停まっているときを見計らって、抜け出ることにしたのだ。
そのとき、列車の中にいた老人が「お守りに」と、ハンカチにつつんだパンをくれる。食べてしまえばあっというまのものだが、いつでも食べられると思って持ち歩けば、心の支えになるはずだと、老人は説く。主人公はその言葉の通りに、何日も何日もつらい日々を送りながら、飢えと渇きに苦しみつつ、家まで帰る。
出迎えた妻に、これがあったおかげで、帰ってこられたんだよと見せたハンカチの中味は、固くなったパンではなくて、木片だった、という話。
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この話がよかったと、ネットで書いている人は思いのほか多かった。
英語でも検索をかけてみようとしたが、この話は日本人に好まれるのか、英語での情報はほとんどない。英訳タイトルは A Slice of Bread なのだが、作者(Francisc Munteanu / フランチスク・ムンティアヌ)は90年代までご存命だったため著作権は切れておらず、著作権切れの本を扱うグーテンベルクプロジェクトなどとも縁がない。ならば有料でもいいから英語の文章はあるのかと検索したが、それ以上は見つけられなかった。
ちなみに日本語訳でも、当時の教科書に載っていた時代のものは、絶版の書籍(短編集)にあったのみで、現在ではほぼ入手は不可能らしい。
今日の夕食時にいきなりこの「一切れのパン」の話になったのだが、なぜ自分がこれについて語り出したのか、わからない。きっかけを忘れた。
それになぜサモワールが中学時代にあれほど魅力的に思えたのか、そもそもネットで異文化の検索が簡単になった現在でも知らない人が多いであろうサモワールという言葉がほんとうに教科書の文中にあったのか(お茶のための熱いお湯の描写をわたしが勝手にサモワールと考えた?)…考えはじめたらきりがない。
きっかけからなにから、謎な思い出話になってしまった。
ここはひとまず「人生、希望が大事だ、心のよりどころがあることが大事だ」というふうに、まとめておくことにしよう。