今日ツイッターで「寝殿造りは寒かったはず」という話をちらっと読んだ。だだっぴろく屋根だけあるが舞台のようなすかすか空間に、屏風やすだれなどで区画をつくってそこに寝起きしていたなど、たしかに考えただけで恐ろしい。しかも木造で、風がぴゅーぴゅーである。
読み間違いだったかもしれないと思い、検索してみたら、こちらのサイトさんにも、同じことが書かれていた → 100年企業戦略ONLINE 2020/03/11 日本建築、寝殿造り、書院造りなどから学ぶ日本の文化
布団もまた、登場はだいぶあとの時代。平安のころは「板の間に」、「むしろを重ねたような畳」を敷いて、寝ていたらしい → ねむりくらし研究所 寝具の歴史
おそらく掛け布団はなくて、服を上から掛ける(昭和にあった「どてら」風)ではないかと。
上記リンクによれば、庶民はわらにくるまって寝ていたらしいが、そのほうが暖かいような気がする…いや、待て、室内にわらではなくて土間にわら敷きなら、暖かいわけがないか。
暖房は火鉢のほかに何かあったのかと検索すれば、どのサイトさんも、みなさん「平安は火鉢しかなかった、板の間に火鉢だけなんて信じらんねー」と、驚いていらっしゃるご様子。同感である。
「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」の藤原道長さんは京都、金色堂やミイラで有名な奥州藤原氏は岩手で、どちらも寒い地域である。寝殿造りに起居してみなさん風邪を引かなかったのかと、かなり謎に思う。