気分が暗いとき「こんなこと、いつかは終わる」と思うこともあるだろうし、楽しいとき「いつまでも、つづくわけじゃない」と思う人がいるかもしれない。思いは逆だが、表現は同じ。願いは逆でも、言葉は同じ。
終わり方はどうであれ、物事はかならず終わる。それだけは確かだ。
8年この家にいた義母が施設にはいることができて、そろそろ2年になる。最初から「これから8年ですよ」と誰かに言われていたら、どう感じたかはわからない。もっと長い可能性もあったし、実際にありったけの暗い将来を思い描いては自分を追いこんでいたので、「えっ、施設にはいれるのか?」と知ったときには、拍子抜けしたほどだった。
2年経つのに、いまだに思い出す。何かのはずみに、まるで昨日のことのように、よみがえる。たとえば、自分の家の中だというのに、義母の就寝後に物音をできるだけ立てないようにして過ごしたこと。年寄りは寝るのが早いため、夜の9時ころから深夜まで、やっと自分の時間が持てたことにほっとしつつも音を控えた。「何かの拍子に起こしてしまったらたいへんだから」と、音をできるだけ立てずにパソコンのキーをたたき、トイレに行くにも、びくびくしていた。
義母がいた最後の数年は、仮に徘徊しようにも足腰が弱っていたからその点は安心だったが、時間を問わずわめいたり、意味不明な行動をとったり、家の中なのに混乱して床に寝たりと、さまざまなことをした。一番わたしたちにこたえたのは、頻繁な粗相だった。
紙パンツのほかに、布団にねんのため紙シーツ(体の大きさくらいの1枚で、尿に対応する紙製品)を敷いていても、混乱してあちこち動き回ったあげくにそれが敷いてある「以外の場所」に座っては、そのまま寝転んでしまい、まもなく布団に尿が直撃ということも、けっこうあった。
2年経って、やっと少しずつ「いないんだ」と実感がともなうようになってきた。いまだに、会話にも毎日のように出る。今後はその頻度が下がるかどうかはわからない。いちおう義母は存命ではあるが、新型コロナで面会を遠慮しているため、数ヶ月前に顔を見たきりだ。
強烈な8年間だった。
施設にはいれるらしい可能性が見えてきた2019年の前半から、少しずつ何かをやろうと、わたしは気分を変えるようなことを考えては実行してきたが、それ以前から好きだったバウムクーヘンでの集まりを企画したものの(定期的に集まる「バウムの会」)去年からはコロナ禍で集まりが難しくなった。
バウムクーヘンの集まりが難しいなら、ではあれをやってみよう、これをやってみようと、どうすれば達成感がある何かに出会えるのかと、意地でも何かをやって楽しんでやると、そんなふうにずっと考えていたのかもしれない。
そうやって、自分を追いこむような考え方をしてしまいがちなのが、わたしのよくないところなのかもしれない。
だが、ちょっとひと息ついてみて。
何をしようか、やるべきことを考えようと思うだけ、自分には気持ちに余裕があるのだという風に考えれば、いいのかもしれない。あまりそれ以上は深く考えず、何かやってみる、できることをやってみると考えれば、それでいいのではと思うことにした。
自分で自分を、追いこまなくていい。気楽に過ごしていいんだと、自分に言いきかせる。