もう、けっこうな年数が経つことなので、お名前をぼかして書けば問題はないだろうと思う。
ある菓子の本を入手した。著者名は「耳にしたことがある」という程度で、その数年前にはすでにお亡くなりになっていた。どうやら、先がある身でありながらの急逝だったらしい…とは聞いていた。
古本サイトでそれを購入し、数日後には家に到着。そろそろ栗の季節という時期で、その著者が以前に栗を使ったお菓子を紹介しているのをネットで見ていたので、その本にも載っているかなといった、軽い気持ちでの購入だったと思う。
ページを開こうとしたら、サイン本だった。
本なので書き損じはできないところに、堂々としたメッセージを添えていて、しかも達筆だなと考えながら、宛名を見た。
そこで、数秒間のときが止まった。
…まるで芸能人や有名人のような、もしそうでなく実名ならばとてもめずらしい、人の目を引くお名前がそこにあった。
好奇心から、つい検索した。
すると…女性は実在した。
わたしはそこでまた、深呼吸した。やや驚く展開だった。
その著者さんが亡くなる数ヶ月前の日付で書かれたサインとメッセージは、それからあまり期間を経ることなく、事件によって命を奪われた資産家の女性に、向けられていたのだ。
わたしでさえ少しは覚えている事件だったから、世の中では、だいぶ騒がれたはずだ。
さほどよく知らなかった菓子研究家と、名前は忘れていたが事件は覚えていた女性とが、わたしの目の前で、本のサインとして、つながっていた。いつもたくさんお買い上げありがとうございます、という文面だった。書いたほうも、受けとったほうも、おたがいに早すぎる死が目前であったことを知らない。
事件のあらましをネットで検索したが、もう忘れようと思った。未解決でもなく、裁判も終わっている。わたしが覚えていていいのは、よく知らない人たち同士に交流があったことを、そのどちらも亡くなったあとで、こうして他人の自分が知ることもあるのだな、ということだ。
あれから数年。
内容そのものではなく、あの「不思議なものを見たような、ざわついた気持ち」を、何かよい方法で創作に生かせないかと思ってきたが、このまま何も書かないまま、埋もれてしまう。
いつか、あのときの「ざわつき」を、うまい具合に表現してみたい。
そのタイミングと、発表の機会を狙っている。