衆院選について何か書きたいとは思っていたのだが、これまでのように、怒りのようなものは感じない。悔しい、さみしいという思いはあるが、それも激しくはない。道はまだまだ半ばだと思うばかりだ。
これまで選挙のたびにいだいてきた「怒り」のようなものは、半分は投票しない人たちに向けられていた。もう半分は、守りもしない公約を選挙の時だけ口走る政治家らに対してだ。今回の衆院選については、自民の総裁選後に選挙をすべきと提案したのが公明党という報道があった際に「ふざけるな1日でも早く衆院選をやれ」と、たしかに怒りがあった。だが、いまその思いもまた、薄れてきている。
怒っても仕方ないが、怒っていないわけではない。いろいろな感情が渦巻いている。
現在の日本の仕組みが法的な家族というものに重きを置いている以上(——たとえば法的に家族でなければ長く同居をしていようと入院時の説明も受けられず、相互に相続権もない)、夫婦別姓や同性婚の人たちは、実質的な同居ではなく法制度に基づいた家族になりたいと強く望まなければ、何も進まない。だがその道をかたくなに「社会でまだ理解が得られていない」などの理由で、拒否してきた自民党。実際には理解はだいぶ進んできているのにもかかわらず、だ。
主権は国民にあるのに、国のやりたいようにやって管理しやすさを優先してきている現状と、どうせ何を言っても無駄だと、飼い慣らされてしまって投票もしない一部の層。あるいはただ、その人たちにあるのは、過渡期の混乱に耐えられない、静かに暮らしていたいという思いなのかもしれないが、その沈黙のために、社会がゆるやかな流れで深い沼に落ちようとしている状況に手を貸していると、気づいているのだろうか。上を見て別の方向を探せば、沼に落ちる必要もないかもしれないのに、周囲を見ないほどに疲れているのか。
立憲民主にも、あれこれ言いたいことはある。だが今日の段階では、いまこそ踏んばれとだけ、書いておくことにしよう。
夫婦別姓、同性婚の人たちのため、そして主権は国民にあるという当然のことを忘れないでほしい人たちのため、わたしはこれからも今後も、ぜったいに自民党には投票しない。
次の選挙も、あきらめない。