長野県の公園が廃止になる件で(ご存知ない方は「長野県 公園廃止」で検索)、いろいろなことを考えた。
この件でご本人らの言い分が週刊新潮に載っていったので一部をざっと読んだが、まさか家の目の前に子供たちの遊び場が出来るとは夢にも思わず、事前の説明もなかったのだという。公園と併設の児童館は入り組んだ細い道に面していて、保護者らの送迎でたくさんの車がやってくるようになったこと、子供たちを遊ばせる際に(初期のころは)職員が拡声器を使っていたことなどで、以前から話し合いが持たれていたのだそうだ。
子供たちがうるさいと具体的に何度か言うようになったのは去年の3月ころ。それまでは夫人のみが問題に悩んでいたが、家で仕事をすることが増えてきた夫も問題が気になるようになり、ふたりで申し入れをしたのだという。
Twitterで、「たった一軒の苦情で」と強調していた人(市会議員とのこと)がいたこと、それに飛びついて拡散した人がいることで話題が大きくなったが、長い間ずっと放置していた、しかも初期に段取りを間違えて周辺の人に告知をしていなかったという落ち度を思えば、長野市が自分たちの反省を前面に出さず決定事項であると通達したことは、大きな問題であると考える。結果として問題を指摘してきた個人宅が責められる展開を許してしまっていることに、どう責任をとるのだろうか。
夫妻でインタビューに応じたということで気丈な方々かと推測するが、もしこれをお読みの一般人の方々がそれをご自分に置き換え、「ずっと悩んでいたことで苦情を言ったら話が大きくなって全国区で報道されてしまった」と考えていただければ、この展開の恐ろしさは理解できるはずだ。
市のそれぞれの部署、そして児童館の職員の方々はそれぞれ頭を抱えて、ときには疲弊し、手探りで18年を過ごしてこられたのだろう。
もし初期のころに、地域問題を円滑にする専門家が(公的な存在として)介入していたら、話はだいぶ違ったのではないか。あいだに誰か/何かがはいることで、話はよい方向に流れることがある。担当部署のみにまかせず、地域の潤滑油となる存在を育成(あるいはすでにいる専門家に依頼)し、個々人の心的負担を減らしていくことが、求められているように思う。