先日クレジットカードのポイントをAmazonのギフト券に変換して、2000円を手にした。そこでKindleの新書で以前からほしかったものを3冊選んだ。そのうちの一冊が、こちら。
まだ最初の章しか読んでいないというのに、ぐいぐい突き刺さる。なぜいままで長いことウィッシュリストに入れっぱなしにしていたのだろう。
日本人は「やめる練習」がたりてない 集英社新書 / 野本響子
(以下の画像はAmazonから)
日本という国とそこに住む人々は、何十年も前からずっと、あの人は○○歳だから高校何年生だの、大学○年生だのと、世の中のほぼ全員が周囲と同じコースを歩んでいると決めつける傾向があり、それは少しも変わっていない。たとえば事情で高校入学までに数年あったとか、いったん社会人になってから大学に入学したとか、そういう人のことはあまり考えていない。いてもごく一部だと思っている。
転職する人が増えてきている21世紀の現在ですら「新卒募集」という言葉とその存在を貴重とする価値観は生きている。だがそれはまったく寄り道をしてこなかった、いわば18歳で大学受験をして22歳ころに卒業(学部などにより差はあるだろうが)という人を自分たちの会社に招いて、自分たち色に染まってもらいたいということである。字義的には新卒でもそれ以外の道筋を寄り道しつつ卒業した人は、純粋な意味で同等の新卒扱いにはならない。
子供のころからずっと進学、卒業、就職などの人生設計を目の前にぶら下げられてきた人々は、大人になって自由に考えてよいはずなのに、なかなか行動に移せない。なぜなら就職してしまえばそこがゴールだといわんばかりに人生がセットされてきたからだ。就職すれば(職場が潰れるか本人がミスをして首にならないかぎり)あとは好きにしろと、がんじがらめの干渉が、そこでブツッと終わりになる。何も教えない。人生をどう楽しむか「以外」を、たたき込まれてきただけで、社会にひとは放り出される。
たとえば本書では著者自身も書いている事例: 大学や学科を選ぶ際によく考えなかった、あとになって自分に向いていないと気づいた——だがここまで来てしまったのだから、この先どうしたらいいのかがわからない。
それは誰しも多少は経験していることだろう。どうしたらいいのか、とまどう。状況をリセットし、やり直そうという度胸はない。もしかしたらその発想もない。途中でコースを変えることが怖く、不安なのだろう——なぜなら周囲に「途中でコースを変えた参考モデルが見つけられない」から、経過や結果を想像できないのだ。
残りを読む前に、勝手に「よさそうな本」と決めてしまった。あて、明日からまた読もう。