子供のころからなじんでいたものは、たしかになかなか気持ちが抜けないものだなと思う。たとえばクリスマスの過ごし方など年中行事に関すること。
ネットに載せている写真を見ているかぎり、12年ほど前から欠かさず焼いているのがローストチキン(今年はよくできたのだがまだ画像を編集していない)で、数年前までよく焼いていたのがシュトレン、そして飛び飛びで、焼いたり焼かなかったりしたのがロールケーキだ。
シュトレンは数年前に調子に乗って焼きすぎてしまい、二人暮らしなのに大きいサイズが3本できてしまって、冷凍した。去年も今年も、それを1本ずつ食べている。やっと今年で終わる。ロールケーキは、作ることはできるのだが食べるのがたいへんで(あれは少量だけを作るわけにいかない)、だんだんと遠ざかりつつある。
今年はクグロフかバターケーキなど、すぐ食べなくてもよくてクリームをあまり使わないものを焼こうと思っていた。材料も確認してあったし、昨日か今朝の段階で着手していれば、夕方には作れるはずだった。
ところが寒波で体調が落ちつかず、昼に2時間ほど寝てしまった。そのためすべての予定が狂い、何かを作るのが難しくなった。しかも夕方は日々の習慣である散歩タイム。体調が悪いままならば出かけられなかったが、散歩をするくらいには回復していたので、近所を歩いてみた。
すると「24日なのに家にスペシャルなもの(ケーキなど甘いもの)がない」と、歩きながら強迫観念のようなものにとらわれた。
明日にすればいいことだからいったい何をざわついているのだと、気のせいかと思ったがそうでもない。
どうしたいのか自分の心に聞いてみても「食べたいんじゃない、ないことが嫌なのだ」という答えが返ってくるばかり。いったいわたしはどうしたのだろう。
知っているケーキ屋の店頭では、予約をしていない人向けに申し訳程度の小ぶりケーキを残しておいてくれていたが、どうもそういうのを買う気にはなれず、かといってコンビニ前でヤマザキのデコレーションケーキを販売している店員さんたちの必死さにはこたえられず(←よそでデコレーションケーキを買って食べるくらいなら最初から自分で焼く選択肢があった…量に困っていたのだから)——歩きながら、それでも「何か」がないという気持ちだけはおさまらず。
結果として、コンビニで小さめブッシュドノエルを購入。普段ならひとりサイズの小さなロールケーキ類があるのに、このときばかりは3切れくらいとれそうなサイズのものしかなかった。だが買った瞬間「やった」と思った。安心感をゲットしたのだ。
コンビニケーキなので数日中に食べればよい。買ったという事実だけで安心して、帰宅後には家にあった別の菓子を食べた。
クリスマスには何か甘いものを食べるという幼少時から染みついた世間の動向に、いまだに縛られている自分に気づいて驚く。ほかにもこういうことは数多くあるのだろう。
1月の初旬にピティビエ(ガレットデロアのフェーヴ抜き)を作ることも多いが、あれは日付に関係なく好きなときに食べたいのが本音。だがやはり毎年のように、作るか作らないか迷う。
年越し蕎麦、おせちなどは、以前はこだわらなかった。この10〜20年くらいで習慣として強化されてきた。もう誰も自分に影響を与える人はいないはずなのに、外的な刺激ではなく、自分から何かを作り出してそれを守ろうとしているようだ。つくづく、「年を重ねるというのはこういうことか」と、気づかされる。