今年はたしか三が日のうちに1回汁粉を食べた記憶があるのだが、世の中には鏡開きまで汁粉を食べない人もいるのだろうか。
自分の昔のブログやFacebook等を見ても、前日に「鏡開きだからあずきを煮た」と書いていた年が何回かあった。あずきをちゃんと煮ていたことも驚きだが(あれはけっこう手間がかかるし、それに加えて「どうせ作るならば」と多めに作ったので、食べるのがたいへんだ)、それ以前は食べていなかったのかどうか、自分のことなのに思い出せない。
三が日に食べたときもとくにコメントはなかったので、家族も食べたいときに食べればいいという考えなのだろう。
鏡開きといえば、大きなお供え餅に関係がある。だがこの数十年、杵と臼で餅をつくご家庭は激減し、餅つき器(ホームベーカリー等)でつく人も減っていると思われ——。自宅でつきたての餅を大きな鏡餅にして飾り、松の内を過ぎてカチカチになったものを煮て食べるということも、まずないだろう。
スーパーで売られているパックの鏡餅は容器ごと包丁でカットしてお使いくださいと説明にあるので(本来は刃物を使わずたたいて割るものだったため「開く」と言っていたそうだが)、そのほうが使いやすいし実際的ではあるが、情緒はもはやない。情緒がなくなっても鏡餅、鏡開きという言葉は残るのだが、世の中の習慣の多くは、そんなものである。
わが家も、パックの切り餅と、お供えの容器を上からカットした餅とで、ふたたび鏡開きの日は汁粉を食べることになるのだろう。