任意ですよと開始しておきながら実質的には強制に近くなってきているマイナンバーカード取得や、国内の酪農で保護や支援ができていないのに、国内で牛乳を減産や廃棄させた上になぜか外国から買っている日本の現状(それなのに「食品ロス」という言葉だけは使う政治家や行政)、そして防衛費は湯水どころか打ち出の小槌ほどにも使い倒していながら個々人の生活は支援せず——こうした例を見ていると、何が国や国民にとって大切なのかを、誰もまじめに考えていないのではないか。
日本は以前からこうだった。決まっていないから決めておくだけ、強制するわけではないと言いながら、法案を無理に通した途端に「国旗・国歌」を強制。強引な手順や、強制しないという言葉を反故にする態度が、別に嫌いになりたいと思っていた人ばかりでもないだろうに、君が代や日の丸に、幅広く影を落としてきた。
マイナンバーカードがなくても運転免許証や保険証で用が足りている人たちに、原則としてマイナンバーカード使用を保険証がわりとし、希望者には保険証を持つ資格のある人という制度を設けるとは、何事か。無駄であるだけでなく、そうまでしてマイナンバーカードを推し進める方針に嫌悪感、そして「裏がある(関連業界から何かもらえる)のでは」という疑惑を膨らませる結果にしかならない。
マイナンバーカードを個人が所持しなくても、個々人に番号は割り振られている。だが取得を選ばざるを得ないような状況に人々を追いこんでおきながら、取得したのだから情報の紐付けなども納得しているんだよねとばかりに推し進める強引さ。国民をなめている。
ほんとうに「誰のための決まり事か、誰のための方針か」を、与党政治家のひとりひとりは、まるで考えていないのだろうとしか、言いようがない。