BBCの番組で、ジャニー喜多川氏(故人)による少年らへの性加害に関して特集が組まれたと聞き、日本で見られる日を楽しみにしていた。ケーブルテレビや配信サービスと契約している人であれば、3月18日に1回、3月19日に3回の放送を見ることができた( → BBC: J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル)のだが、わたしはうっかり忘れていた。3月18日が終わるころになってからBBCの視聴方法を確認して、どうにか19日の再放送を録画予約することができた。
氏は自身運営の事務所に所属する少年らへ、最初は労をねぎらうためと称してマッサージを通じて体に触れ、それ以上のことも、長年おこなってきたという。立場がよくなる、悪くなるといった含みを感じとった少年らはそれを表沙汰にすることなく我慢をしてきたし、愛情ゆえと感じた人もいた。
それがなぜ刑事裁判になることもなく、被害に遭った当時の少年らの多くもまたことを荒だてず、マスコミは事件を追うどころか不気味なほどに沈黙を貫いている——そのあたりの謎が、番組の大きな柱だった。
わたしも詳しくは知らなかったが、氏による性加害の存在そのものは、20年前にジャニーズ事務所が週刊文春を訴えた民事の裁判において、かえって大筋は事実と認定されてしまう結果となったそうだ。そのため、そのあたりは争いようのない話なのだが——判断能力も自分がされていることの理解もじゅうぶんではない子供たちに氏は何ということをしてきたのかという視点が、その後も社会全体からまったく感じられない。
被害に遭った当時の少年ら(現在は20〜40代くらいかと推測)が、カメラの前でインタビューに答えた。体に触られたくらいだから自分はすごいことまではされていないと言う人、いろいろあったがジャニー氏は憎めないところがあったという人、もし自分が性行為を求められていたら、それで仕事をもらえるのなら応じていたかもと答える人もいて、驚かされた。だが同時に、これが若い/あるいは幼いうちから人をゆっくりと染めていく、グルーミングの典型なのだろうと実感できる。
短期滞在でインタビュー等を集中しておこなった記者が、日本以外の人に見てもらう視点から「なぜこれが刑事事件にならないのか、なぜ誰も大きな問題と思わないのか」というストレートな疑問をぶつけていく。犯罪という認識が気迫な被害者らや街頭インタビューでは、それこそ「21世紀でもまだあるカルチャーショック」的な記者の表情が、何度も大写しになる。そのため、日本の社会にどっぷり浸かっている内側の人々には、なにやら「すごくかき回す人」といった印象に結びつきやすく(←日本はとかく「物腰やわらか」が好まれるため)、すぐには心に響きにくい内容であるかもしれない。
ただ、これは「すごいこと」なのである。数十年にわたり、日本の誰もが知っているようなタレントを野津事務所の運営者が、子供たちに手を出していた、そしてこれが放置されてきたことは、異常でしかない。その認識をまず、できるだけ多くの人が共有しないと、いくら外部からの指摘があっても、前には進めない。
実を結ぶまでに時間がかかるかもしれないが、記者は「引っかき回す人」ではなく、「引っかき回してくれた人」である。