わたしはけっこう自分がAIのような性格をしていると感じることがある。今日はいつもの通院で病院に出かけ、毎度おなじみの採血の際に、担当者から「ではお名前と誕生日をお願いします」と言われた。
へ〜、いつも「生年月日」だったのに、最近は「誕生日」になったんだ、へ〜。と思いながら名前と誕生日を答えると、間髪を入れず「昭和ですと何年ですか」と。なんだ、けっきょく追加で聞かれてしまった。最初からいつものように「生年月日」と聞いてくれたらよかったのだが。
子供のころに親に怒られたことはいまも忘れない。たしか小学校のころのことだ。
重要な用件で連絡待ちだった人から電話があり、母ではなくわたしが出て名字を告げると、「○○さん(父の名)でしょう」と尋ねられた。おそらくその人は、同じ名字の家が近所に何軒かあるので、父の名が○○さんである○○家に自分は電話しているのだろうかと確認したかったのだろう。わたしは父ではないので「違います」と答えると、電話の向こうで相手が困っていた。声の感じで母が連絡を待っていた人だろうとは思ったのだが、わたしはそこで思考停止し、相手がまた会話をつづけてくれたら母を呼ぶところだが、自分はここまでで間違った応対をしていない、だがどうすればいいのかと思っているうちに、電話は切れた。
そのタイミングで母がやってきたので内容を説明すると、かなり怒った。わたしに怒っただけでなく父やほかの家族にもわたしのしたことをひたすら語りつづけた。おそらくそれは1日で終わらなかった。
だがおそらく、肝心の相手のお宅には、しらばっくれていたに違いない。間違い電話だと思って切ってしまったのは実は正しい家でしたなどという話は、恥ずかしいし、説明が面倒だし、理解がなされないことだろう。
この性格は、社会人になってすぐのころも災いした。
何も指示を受けていない状態で、書類に「押しておいて」と日付と連番入りのハンコを渡された。2枚押した。ところが翌日になって、わたしはそれが裏表切り離しタイプの紙で、書類1件につき正副で2回押したら次に行くという書類だったと指摘された。つまりわたしの押し方では表面の「正」部分で違う2件の書類に同じ番号がはいり、どちらも2枚目が空欄になったということである。
わたしに「押しておいて」と言った人は、怒られるのは自分だからだろうが怒っていた。だがわたしは何も指示を受けていないし、その人も直後に確認せず翌日に大騒ぎになってしまった。ここでわたしは「まったく知らなかったので申し訳ありません」とでも、近くの人に聞こえる程度の微妙な音量で言ってしまうのが正解だったのだろうが、当時はそんな知恵はない。
けっきょく、相手に向かって「あなたは何も指示をしなかったと、言ってはまずいんだろうな」という思いと、「人が見ているからって自分は謝りたくないな」という思いと両方あり、顔だけ「困惑したっぽい表情」を出したまま、無言を通した。かわいくない社員だったことは間違いない。
その職場では、当然わかっていると思い説明を省略した人の思惑と違うことをわたしがしてしまって、面と向かって「こんな仕事では意味がない」と言われても「そういう指示だったとは知りませんでした」が言えなかったことがある。
よくそんな働きぶりの職場に2年ちょっともいられたものだと、いまにして思う。
さすがにそのあとは、勘違いしそうになる前に人に確認する癖がついたため、コミュニケーション不足での間違いはだいぶ減ったまま、会社員をやめることができた……(と思うが、自分が勝手にそう思っているだけかもしれない)……。
とにかく、わたしは「言われたことを額面通りにとる癖がある」ということだけは間違いない。