このネタは何回も書いたのではないかと思う。だがあえて書く。
国民が生き生きと好きなように好きなタイミングで働くと税金を取る計算をするのがたいへんだからという理由だとしか思えないのだが、政府は「国民のなかで多そうなのは会社員(または給与をもらう人)である」という点にずっと着目してきた。それ以外の家庭にはもともと被扶養者の得る賃金で103万円がどうのという話も関係ないし、給与所得者の家計に対するほどには、それら家庭はさほどの考慮も優遇もされていない。
そして、正社員か正社員ではないかの待遇の差があって当たり前という社会を、政府は是正しないでここまで来た。もちろんフルタイムで働く人が雇用システムとして考慮されるのは自然ななりゆきと思うが、企業にとっては正社員として雇う人が少なければ、同じような仕事を非正規またはアルバイトにまかせたにしても、経費が浮くという実情がある。しかも非正規やバイトで雇用される側の何割かは、働き過ぎると税金がかかったり社会保険料をとられるから少ししか働けないという事情があるが、社会的に不安定かつ低い状況におかれているそうした立場の人たちを、上限ギリギリまでこき使うのがお互いのためだといった綱渡りをしている状況、それを「人手不足」と呼んでいるというのが、実際のところではないだろうか。
では働く人はしっかり働いて、税金も自分で払えばいいという考え方があるかもしれない。だが実際問題として、少なめの労働をしてそれ以外は家で家事、育児、介護をしなければならない(と考えるもしくは周囲から期待されている)立場の人たちは、時間配分として家以外に重きを置けない場合が多々あるのだ——社会がずっと長いあいだ、既婚女性をそういう立場であると位置づけてきたからこその、ズブズブの悪循環である。また大学生(あるいは高校生を含む十代の若者ら)が、永久的ではない手軽な労働力として年間103万円ぎりぎりまで働かされるのも、おかしな話だ。
ほんとうの「人手不足解消」は、社会生活のより多くの部分を共有化し、それに対して賃金を払うことで、だいぶ道が開けるのではないだろうか。たとえば家で家事、育児、介護のワンオペをしている人がその一部の苦労を外部サービスに委託して、自分は自分で何らかの労働を提供する。家で無償のごとく扱われてきた労働の一部だけでも数値化し、可視化することで、それらが正当に評価されて金銭としてやりとりされることになる。これがよほど健全なのではないかと思う。もちろん家の中のことはぜんぶ自分でやりたいという人もいるかもしれないが、そうしなくても外部で頼れる人がいる、頼ってよいのだというシステムを作ることで、人はもっと社会に出て行けるし、結果として金銭のやりとりが増え、やりがい(自己肯定感)もまた得られるのではないだろうか。
だが人の自由度を高めると税金をとるのがたいへんになるので、おそらく政府はほぼ全員に給与所得者になってもらいたいくらいだろうが、人は税金をしぼりとられるために生活しているわけではない。現在までの税金のとりかたや今後に予想できる範囲を考慮しても、政府が人の働き方や生活の向上や国民の生きがいを先に考えているとは、残念ながらとてもいえない。