最近、思うことがある。
わたしはブログをかなり多く持っている。ひとつはここ(メイン)、食べ物用(義母を引き取る以前は毎日更新)、買い物用(こちらもほぼ毎日更新していたが…)、書評ブログ、通院記録(たまに更新)、スタートレック(更新休止)、そして自宅での介護の愚痴を書くブログ(たまに更新)。ほかにもあるかもしれない。
なぜこんなに、分ける必要があるか。どれがオモテで、どれがウラでもない。ぜんぶわたしだ。おそらく一番の理由は「一カ所でぜんぶ書いたら収拾がつかないから」だと思う。読者にもお気の毒だ。義理堅い人は、すべてを読もうとしてくれるかもしれない。そして「苦手な話題にコメントしなかったのだから、ほかのもひっくりめて、ブログは読んでないことにしてしまおうか」と、気を遣わせてしまうかもしれない(これはわたしの考えすぎではなく、おそらくそうだろうという人の存在を感じている)。
それなら、読者が同じではないほうが、書き手も気が楽というもの。だから、どれでも好きな場所のものを読んでいただきたいと思うし、気が向けばコメントをいただければありがたい。
さて、オモテとウラの話。
あるIT関係の社長さんが、介護には闇があるようだから、闇サイトでそういった人々を助けられるなら、どんどんと吐き出すことができる場を提供したいと(かなりおおざっぱな要約)ご自身のブログで書いていらした。わたしは驚いた。
たとえ内容が闇っぽく見えても、闇に向かって吠えてください、さぁここですよと言われたら、気持ちが引く。いま風に言えば「どん引き」である。それに、なぜ闇っぽい気分をかかえた人が、さらに闇に行かなければならないのか。明るい場所ですが、闇っぽいことを書いても似たような人ばかりなので誰も驚きませんよ、さぁどうぞと、言ってもらいたい。そうあるべきだと、わたしは思う。
理解してくれる人が少ないから認知症老人も障害者も、結果として隅っこにいなければならないのだ。わかってくれる人を増やしてほしいし、増やすべきだと考える。だったら、明るい場所でどんどんと、愚痴を言ってもらえばいい。周囲に恥じることなく、言える場所があればいい。
わたしはかつて、自分が認知症高齢者を抱えることになるより早く、長期入院でいろいろな人を見た。いまの自分なら「すごい認知症だ」と思えたはずのことを「わがままな人だ」「暴力的でけんか腰な態度をとる人だ」と、同室にそんな人がいた場合、何かされるのではないかと恐怖すら感じた。看護スタッフの中にも認知症に詳しくない人がいたようで、それらの人たちに普通に怒っている光景も見られた。
いまならわかる、あの方々は認知症で、本人の自覚も周囲の理解もないままに大部屋に入院していたわけだ。うちの義母が精神科以外の科に入院することがあったら、あの人たちと同等の態度をとるはずと思う。経験するとしないでは、一般人であるわたしはもちろん、看護スタッフでも(認知症で入院しているわけではないので)同じような反応を示していた実例だ。
認知症や障害のことを、隠れてこそこそ話す必要はない、相手と場所さえ間違わなければ、声高に言うべきだろうと考える。
自分の認知症介護のブログを、あまりおおっぴらにはリンクしていない件は(←このブログからはともかく、ほかのブログからリンクされているので、強い意味で隠しているわけではない)、知人ならばほんとうに読みたい人だけ読めるように、知らない人なら遠慮なくどんどん読みに来てほしいという思いだ。
わたしを個人的に知っている人たちは、重く感じられるかもしれない。知らない人たちには「いるいる、こういう老人」と、共感を持ってもらえたらそれでいい。わたしは闇に隠れるつもりは到底ない。
これからも、あちこちのブログで、モノを書きつづけたいと思っている。