DeepLがウクライナ語に対応

 高品質の翻訳サービスDeepLが、ついにウクライナ語に対応した。1日1回程度はPoland語などで使っているので、その都度「ウクライナ語はまだか」と確認していた。上記リンク先によれば、9月14日に対応した発表がなされている。

 よく考えてみれば、もしDeepLがウクライナ語に対応していたら、わたしはDuolingoを開始しなかった。現在は7カ国語を学んでいるが、DeepLには絶大な信頼を寄せているので、「わからなかったらDeepLで翻訳してもらおう」と思ったに違いない。だが当時まだDeepLにはウクライナ語がなかった。ついでに書けばわたしが学んでいるアラビア語もない。

 ウクライナ語をある程度まで学んだところで、DeepLでも利用できることになり、ありがたいことだと思っている。

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怒る客、耐える客

 厳密には客ではなくて患者なのだが、ひさびさに待合室で3時間以上も身動きがとれなくなり、周囲の様子をキョロキョロと伺ってしまった。

 わたしが通っているのはそこそこ歴史ある病院(建物は古い、待合は狭い)だが、この数年は予約システムがかなり浸透してきたために、せいぜい遅れても1時間待ち程度が多かったし、運がよければ予約時間とほぼ同時に診察ということもあった。そんな状況に慣れきっていたところに、今日の遅延である。

 通うようになったころ、その病医院(とくに内科)は、朝早くに順番取りに出かけなかった人は帰りが何時になるかわからない状況だった。そのころならば、ときおり順番待ちにいらついた人が受付に大きな声で食ってかかるようなことも、あったように思う。

 さて、あまりに呼ばれないのでまず疑ったのは「担当医、退席してるのか」である。患者の人数で考えたら5分か10分でころころ回転させなければならないはずだが、その担当医が患者を呼ぶ回数が、ほかの医師らに比べて圧倒的に少ない。たまたま長く相談している人がいるのならわかるが、呼んでいる間隔があまりに長い。

 10時〜10時半くらいの予約ということで出かけたのに、11時半になっても「医師が人を呼んでいる気配がない」ので、周囲に聞き耳を立てた。コロナ禍もあって、どうしても付き添いが必要な人以外はあまり待合に来なくなったので、患者は「遅いね」などの無駄口をたたく相手がほとんどいないのだ。だがなんとなくそわそわしている人がいることを感じ、わたしだけではないからと我慢をしていた。

 12時ころになって、わたしの近くに付き添いの家族と一緒の高齢女性が座った。わたしと同じようなことを考えているらしく「ここの病院て騒がない患者が多いから、みんな我慢しているのかな」と小声で話している。どうもわたしとは事情が違い、予約日ではないのに診察をしてもらうことになったので「自分たちは仕方ないけれど、この人たちのあとだから、いったい何時だろうね。午後3時半までには病院を出たいね」と。おーっ、なんと謙虚な。このあと3時間も待つつもりなのか。

 それとなく話しかけてみると、きちんと予約をしていたためにゆっくり来たわたしよりも、さらに30番以上も順番があとである(——内科全体の受付人数が30番以上あとという意味であり、全員がその医師を待っているわけではないが、それにしても多い)。おそらくご自分たちが遅くやってきたことを認識しているために、よりがまん強いようだ。

 近くの別のご婦人は、看護師に「ほんとうに先生は診察をしているの、誰も出入りしていない」と、質問のような半泣きのような声を上げたあと、遅れているという説明を受けたようだ。だがその後、何を思ったか、その医師の診察室入り口に頻繁に立って「ほんとうに人はいるのか、次も自分ではないのか」とばかりに、チェックを入れはじめた。いや、それやめようよ、無言だけれど考えていることが顔に出ていて怖いよ。

 その後、12時をだいぶ回ったので、わたしも動いてみることに。一番近い窓口に出かけ、それとなく笑顔で「○○番ですが、帰ろうかと思います。来週とか再来週に、また来てもいいですか」と話しかけると、15年以上も通っているので顔をおそらく覚えられているのだろうが、相手がキリッとした顔になり「調べます…あっ、次の次なので、よろしかったらこのまま待っていただけませんか」と。

 席にもどり、腰を下ろすと、先ほどのご家族連れが「番号がまた動いたね、でも自分たちはまだまだ先だ」と話をしていた。こちらをチラチラ見るので、それとなく「受付に聞いてきたら、わたしは次の次だそうです」と話すと、高齢女性が付き添いの男性に「わたしは車椅子で移動が面倒だから、聞いてきて、ねえ、聞いてきて」と、せっついている。男性はどのみち遅くなるのはわかっているのに自分が窓口に聞くのも嫌だなという顔で「車椅子ごと連れていってあげるから、自分で聞いて」と、ふたりで去っていった。
 その後は姿が見えなかったようなので、もしや、予定時間を聞いてあきらめて帰ったのかもしれない。

 わたしが呼ばれたのは午後12時半過ぎ、診察と処方箋の発行は数分で、会計をして病院を出たのは1時過ぎだったように思う。だがその間、誰も大声で怒鳴らなかったし、遅れていることを声や態度に出して落ちつきなくしていたのは、ほんの数人だった。

 病院というのは待たされるものだという意識が染みついている人もいるにせよ、怒る人が少ないと実感。古い病院だけに、客層というか患者層の年齢が高いのだろうか。

 ほかの大きめ病院では、どうなのだろう。

「だて正夢」とは

 東北地方のローソンで地元の米粉を使ったドーナツが販売されるという記事を読んでいて、わたしの目線は「だて正夢」に一直線。

 宮城県が力を入れている米のブランドで、公式サイトはこちらだそうだ → みやぎ米「だて正夢」 公式ホームページ

 今年になってようやく(生産者さんらには申し訳ないが)米が値下がりして、以前は高くてなかなか購入対象にならなかった「ゆめぴりか」を、涙を流しながら食べているわが家としては、世の中は「きらら」、「はつしも」、「ゆめぴりか」で回っているようなものだったので、失礼ながら「だて正夢」はまったく知らなかった。

 おや、そういえば、宮城では以前に「ササニシキ」という米を作っていなかっただろうか。コンビニの弁当でも「米はコシヒカリ使用」、「ササニシキ使用」と、大きく書かれていた。ササニシキさんは、いまどちらに。

 検索してみたところ、ササニシキの後継品種として「ささろまん」というものがあるそうだ。知らなかった。

1商品のみで勝負の店

 都立家政駅の近くに、鈴カステラの店ができた。まだ開店から間もないが、最初の数日は人だかりがあったものの、現在のところ、平日昼間に通る分にはほとんど客がいない。

 こういう商売は、賭けだろうと思う。お味見いかがですかと2〜3個を出してしまえば、最低15個入り600円からの販売のところ「ああ、今日明日で15個は食べられないから、いいや」と通過される可能性がある。さらには数人以上が住むご家庭、もしくは近所の人とお裾分けの付き合いがある人であっても、最小が15個以上からのセット販売というのは、かなりリスクが高いだろう。

 ○○味などのミックスを販売するわけにもいかず(←焼いてしまえば見た目でわからなくなるので販売する側も買う側もリスクがある)、かといって鈴カステラの店と書いておきながら普通のカステラや今川焼きを出すわけにもいかず——となれば、これはもう、都立家政駅ではなくて、西武新宿線なら高田馬場の改札あたりを狙うとか、中央線ならば荻窪あたりを狙うとか。

 ちょっと都立家政のあの場所は、ビジネスとして冒険ではないかなと、思っている。

 甘党のわたしでも、15個は買いたくない。料金が割高でも5個入りの小袋を、まずは出すべし。

 

鷺ノ宮界隈にほしい店

 散歩を兼ねて、旭製菓のかりん糖と、駅隣接の唐揚げ(福のから)を買いに鷺ノ宮まで。道順の選択に失敗し、往路に妙正寺川沿いを選んで夕方の西日を思いっきり浴びてしまった。まだ夕方でも暑い。帰りは鷺ノ宮の北口から都立家政駅方向へと歩いたが、行きと帰りを逆にすればよかった。

 鷺ノ宮駅のあたりを歩くたびに、あるといいなと思うのは、100円ショップと、ややおしゃれ系の食品店。たとえば野方にあるジュピターコーヒー級の、雰囲気が明るく輸入食品が多い店がほしい。
 都立家政駅には100円ショップ1軒があるほかにこじゃれたカフェもあり、野方には100円ショップが3軒くらいあるほかコーヒー焙煎の店やら、パン屋などが多い。鷺ノ宮はそういう「日常に根ざしたわくわく感」に乏しい気がする。

 早稲田通りに近いわが家からは遠くなるが、新青梅街道沿いで、何か店ができないだろうか。TSUTAYAの跡地はスギ薬局になったが、あれほど大げさではなくとも、何かちょっとした店ができてくれたら、もっと楽しくなりそうだ。

静謐という表現が似合う日がある

 東京23区西部に暮らして長いが、現在の借家に移り住んでしばらくは、わたしたち本人よりも周囲の人たちから「なんて静かな場所なんですか」と言われたりもした。だが東京オリンピック開催が決まる少し前から、住宅エコポイントなるものの影響と思われるが、周辺が改築やリフォームだらけになり、その傾向はオリンピック終了後ですっかり景気が悪くなったはずの現在もつづいている。
 家から近いか遠いかはともかくとして、何らかの工事の音は、すっかり日常になってしまった。

 もっとも、日曜日だけは業者も休むようである。内装などの静かな作業ならばもしややっているのかもしれないが、工具を使ったような作業は聞こえてこない。もちろん重機の音もしない。

 以前はこんなに静かだったんだなと、気づく。

 また、平日でもときおり数時間ほど「この世界から人がいなくなったのでは」と思うほどに静かな時間がやってくる。通学路が近いため、登下校時間帯はにぎやかであるし、配達業者の車やバイクの音もたまに響くが、それにしてもご近所がいっさい静かで、人がいないかのような錯覚に陥りそうになるのだ。自分だけがここにいて、外に出たら誰もいない——まるで怪奇もののストーリーだが、たまにそれを思う。
 実際には確認のためドアを開けないし、世界が賑やかでも静かでも、わたしは自分だけの世界にいるのだから、考えても仕方がない。

 周辺は変わっていくし、人も移り変わる。自分はもう成長しないかもしれないが、それは人づきあいをあまりしない人間として必然のことであり、どうこう考えても意味がない。

 ネットで近況を拝見する方々は、ご自身らが感じているであろう以上に成長し、たくましく「大人」になっている。かっこいいな、たのもしいなと、思う。

 そんなかっこよい方々の近くにいて、成長や発展を見ているだけで幸せだと思えばよいのだろうが——。

市販の惣菜で出るプラスチック容器

 今週は新しく高円寺店も配達を開始した「東急ネットスーパー」をお試しで呼んだほか、セブンミールのネット受付が再開した記念に弁当を2個購入してみたのだが(セブンミールはネットで予約注文して店舗に取りに行く)、やはりプラスチックごみの袋が、大きくふくらんでしまった。回収は月曜なのだが、水曜日ころからすでにいつもよりも袋が大きい。

 プラスチック容器…ほんとうに、資源に活用されているのだろうか?
 再活用をやめて燃やしてしまい、その熱を入浴施設に使う地域もあると聞く。

 たしかに、この日本の現状を見ると「じゃんじゃん燃やしちゃっていいですよ、熱でお湯をわかしますから」と、まるで奨励するようなことはよくないとは思うが、いくら容器を簡単にすすいで資源ゴミに出しても、それらが使われているような予感がまったくないのだ。
 軽くすすいだくらいで、さまざまな用途に使われていた素材を「何か」に使えるようになるのだろうかと、ずっと疑ってかかっている。内心けっこう信じていない。だがそれが現状の決まりだし、もしかしたらわたしの勘違いで世の中の役に立っているかもしれないので、きちんと分別して出している。

 かといって、弁当や惣菜の容器を使い捨てプラスチック以外にすることは、おそらくかなり難しい。

 ごく近所の店から店屋物として取り寄せるならばともかく、外部の店が作った商品をスーパーがとりまとめて店頭に並べたり、あるいはネットスーパーとして配達する場合、密封できる必要があるほかに、回収ルートのあてがない容器で配達はできない問題もある。容器を何往復もさせるだけの物流コストや洗浄の手間を考えたら、くり返し使用する容器の実現は難しいはずだ。
 考えられるとしたら「どこの地域でも、何の弁当や惣菜でも、同じ規格ものの容器を界隈で転用する(つまり個々の容器を元の会社まで送り返すのではなく、界隈の業者で再使用する)」という方法だが、これも現実的ではない。人口の多いところに容器がだぶつく。商品を送り出す元の企業は、新品を使わざるを得ないだろう。

 だが、ここまで考えてもなお、やはり市販惣菜や弁当は買ってしまう。年齢が高くなるにつれて調理回数が減るらしいと聞いているが、作ることも食べることも好きなわが家でさえ、一部を作って残りを冷凍食品のおかずにすることは増えてきている。

 プラスチック容器は、今後はどうなるのだろうか。

求む: こしのないうどん情報

 田舎の親はうどんが好きだ。幼少時から同居人数が多い家庭だったため料理の戦力として仕込まれたのかもしれないが、10代のころにはすでに手打ちうどんをやっていたらしい。
 その後わたしが育った家では、外出の機会があればうどんをよく食べていた。わたしは蕎麦党だったが、 親はほんとうにうどんが好きだった。

 この20年くらいだろうか。関東に住んでいてもさぬきうどんの店ができたり、半生麺としてさぬきうどんが販売されていたので、買って送ったことがある。かなり珍しがって、当時はよく食べていたと思う。

 ところが先日、彼岸に麺類でも送ろうかと尋ねると、意外な返事が。
 商品によってはこしが強すぎて、最近はうどんが食べられないという。少しゆでただけでやわらかくなる細麺タイプやそうめんならば食べられるが、どれだけゆでてもやわらかかくならないうどんが、世の中には存在するというのだ(おそらくさぬきうどんのことか?)。
 しかも高齢になり、自分で店に出かけて買うわけではないので、買い出しの人に「うどんを」と頼むと、どのメーカーのどんなうどんがやってくるかわからない。だが「どこそこはダメで、どこそこがいい」と頼めるほどには、本人が商品名を記憶しておらず、何やらくじ引きのような気分で毎回商品を受けとるのだそうだ。

 ネットでちょうど「伊勢うどん」というものが、こしがなくて美味しいらしいと読んだばかりだったのだが、東京で売られているかどうかもわからない上、もしかすると乾麺ではなく半生麺か冷蔵麺のように見える。それだとあまり日持ちがしない。

 乾麺で、関東でも買えて、「ちょっとゆでただけでやわらかくなる」うどんをご存知の方、メーカーと商品名を教えていただければ幸いである。通販でも、都内のスーパーでも、わたしが代理で買って送れるので、情報を心待ちにしている。

100万円を超える支援金と、物品での差し入れ

 安倍元首相を殺害したとして現在は鑑定留置中の身である山上徹也容疑者に、現金や物品の差し入れがあるという。現金の額は100万円を超えるのだそうだ → 2022.09.08 jiji.com 山上容疑者に支援金100万円超 事件正当化に識者警鐘―安倍氏銃撃2カ月

 殺害を実行に移す以前に、長年たいへんな家庭環境にあったというのはネット記事等で目にしているが、現在の本人にそういう支援をするという発想は、わたしにはない。そして正直なところ、意図もよくわからない。

 本人は現在のところ現金をもらっても、使い道がない。日用品や食品を買うことはできるかもしれないが、先のことがまだわからない状態である。ねんのために鑑定はしているが、責任能力なしという判断にはおそらくならないと思われる。そのあとで通常の裁判をすれば、裁判も長いだろうが、その後もしばらく出てこられない。なぜ現金を、と思う次第である。

(たまたま合計額が100万円を超えただけで、ひとりひとりは少額を送ってきたという可能性も、あるかもしれないが)

 留置施設は狭いので、送られてきたものは弁護士を通じて親族宅に転送しているとも聞く。

 宗教団体のことで苦労をした人が他人事とは思えずに何かしたいと思ってのことかもしれないし、まったく違う理由かもしれないが、もしこれまでの人生に同情したということであるならば、被害者支援をしている団体等への寄付もまた、検討してはいかがだろうか。

綿ぼこりの謎

 部屋の隅に綿のように溜まってしまいがちなホコリ、いわゆる綿ぼこりだが…検索してみたところ、大部分(7割)が繊維由来だそうである(→参考: 「ホコリ」とは何か/株式会社ダスキン)。そのほかに人間の髪の毛、ふけ、食べかす、ダニの死骸などがまじっているのだそうだ。

 そこで疑問がある。何年も家を空けて帰宅したとき、部屋に綿ぼこりはあるのだろうか。

 泥棒や犬猫でも頻繁に侵入していたならばともかく、繊維くずはかなり減るはずだ。そして管理代行者がいたとしても窓を開け閉めする回数は激減するはずで、屋内に風の流れは起きにくい。つまり綿ぼこりが「固まらない」のではないか。

 もっとも「日本の場合はカビなら生えていそう」という推測も成り立つが…。

 どなたか、めったに訪れない別宅をお持ちの方に、ご意見を賜りたい。おっと、書いているそばから1軒そういう家に心当たりがあると気づいたので、さっそく明日にでも聞いてみよう。