曜日感覚が怪しい

 木曜日は、ときどき予約している診察。いつもの定期的な診察ではなく、たまに行く場所だ。半年から1年に1回程度出かける。そして数日前から家族に「病院の帰りに○○を買ってくる」と予告していた。

 ところが今日、家族が買い物先でそれをカゴに入れていた。「わたしが明後日の病院の帰りに買うつもりでいた」と告げると、今日買っても同じようなものだ、今日は水曜日だから、と返事が——大ショックである。何がショックかというと、その件がなかったらわたしは明後日が木曜日だと思っていて、数ヶ月も前からとっていた予約が台無しになるところだったのだ。

 さらに、無意識の行動というのがかなり増えてきる。少し前まで「鍋をしまおう」と思っていたのに、ふと気づくと鍋がない。それは重いもので、しまう場所が独特なので、かがんだりしながら体勢に注意しつついつも注意してしまっている。ところが、ない。
 まさかと思って見ると、所定位置にしまってあるのだ。なんだ、片付けをしてくれるこびとさんたちでも住んでいるのか。それとも注意しなくてもサクッと無意識に収納できたことを喜ぶべきなのか。

吉祥寺駅から草津温泉(群馬)までの高速バス

 関東バスのサイトによると、11月20日から、1日2往復で、吉祥寺駅と草津温泉を結ぶバスが開始されるという。現地に2時間しかいなくてよいならその日のうちに都内に帰ってこられる。なんだこれ、楽しそうだぞ → 関東バス: 【11月20日(月)】吉祥寺駅から草津温泉まで高速バスの運行を開始いたします!!

 吉祥寺駅なら高円寺駅から約10分。バスに乗っている時間は(時間帯にもよるが)3時間15分〜50分。あー、乗りたいかも。現地で2時間しかないから温泉は無理か? いや、一瞬だけ利用できるか。

深夜の訪問者

 ときどきあるのだが、ときどきすぎて忘れてしまい、毎回ドキリとする。
 近所で飼い猫が行方不明になったとき、飼い主さんまたは代理の人が、深夜や早朝に郵便受けに手作りのチラシを入れにやってくるのだが——それがあまりにも時間外なので「げっ、なんだろ」と、何度も警戒してしまうのだ。

 もし昼間に配りに来たらチラシお断りの家に怒鳴られるのではとか、なんらかの事情があるのかもしれない。ドキリとしてしまうのは事実だが、そうせざるを得ないご事情もあるのだろうし、連絡先の携帯電話番号などを書いていることでご本人らにもリスクはあるのだからそのあたりを含んで考えて、猫ちゃんのご無事を祈るしかない。

 最近の都市部の住宅事情では難しいかもしれないが、数十年前の田舎では、猫は死期が近づくと家から離れてどこかに行ってしまうと、よく言われていた。年をとった猫がいなくなってどこかで死んでしまうのは、飼い主にとって悲しいことではあるが、実際にそうしていなくなった事例を何度も聞いていた。

 もう20年以上前になるが、田舎の家で長生きしたシャム猫も、夜はひとりで過ごす専用の猫小屋(畳に換算して1枚分弱の物置スペース)があった。夕方まで母屋で遊ぶと、夜に母を見て「家に帰る」という顔をしていたのだが、最後の数日、母は猫をその猫小屋に帰さなかったと聞く。「朝になって迎えに行ったとき、ミミちゃん死んでたら嫌だから、ここにいて」と、なぜ連れ帰ってくれないのかと目で催促する猫に、何度も何度も、謝りながら自分の近くにいさせたという。そして看取った。
 看取ったあとは「あれほど帰りたかった小屋だから、ごめんね、やっと帰れたね」と、そこにいつもの電気アンカのスイッチを入れて、1日眠らせたそうだ。

 チラシを投函しにきた家の猫ちゃんが、無事であってほしいと思うのと同時に、そうしたお手製のチラシを見るたびに、20年以上前の猫のことを思い出す。

11月でも薄着

 昨日から、あと数日くらいは、気温が高いらしい。夕方でも半袖の上に薄い長袖を羽織る程度で出かけられてしまうのだから驚きだ。そして室内では、ちょっとした片づけものをした程度で汗ばんでくる。夏の間に設置していた遮光ネットをとったのが10月下旬だったが、いまは日当たりのよい2階にいると1階との温度差がすさまじい。温室と倉庫くらいの違いを感じる。

 だが季節はあきらかに秋で、春と秋にもれなくやってくる立ちくらみがすさまじい。このところヤカンで湯を沸かす際に鉄製品を入れていないが、また復活させたほうがよいかもしれない。

 出かけて二日だが、皮膚科で処方してもらった混合の軟膏が効いているのか、出血するほどまで皮膚がピリッと裂けることはなくなった。わりとなめらかに近づいてきたようだ。

皮膚科へ

 この数年、秋から春にかけて皮膚がぼろぼろで、何度も何度も「今年こそは医者に行くか」と考えながらも市販薬をあれこれ試していたのだが——今年は見かねた家族から医者に診てもらえと、早いうちからくり返し言われていた。

 ようやくその決心をしたのは、なんと今週の金曜が祝日だということに気づいたからだ。もたもたしていると週末を血まみれの手で過ごすことにもなりかねない(←乾燥しすぎていきなり手や指がピリッと裂け、出血することがあるので、そのあたりを歩くにもカットバンを持ち歩いている)。そこで、あまり混んでいないのにわりと的確な診察をしてくれる近所の医師のところに出かけたところ、たまたま待合室が空いていた。呼ばれるまで5分、診察と会計で5分、近くの薬局で5分という、すさまじいスピードで用件が終了してしまった。

 ステロイドとワセリンを混ぜた軟膏が容器にたっぷりはいっていた。これだけ量があれば1ヶ月では終わらないだろうが、改善があまりなければ内服薬も考えるとのこと。もともと軟膏だけでなく内服を処方することもあるそうだが、今回はわたしの普段の内服薬が多めなのがわかったため、いったんやめてまずは軟膏で様子を見ることにしたらしい。これで治るとよいのだが。

「大丈夫」ではない件、ふたたび

 以前にある商業施設のエスカレータで、のぼり方向から(リュックの重さでバランスを崩し?)うしろに倒れて頭部が下になった高齢女性の話を書いたが、あのとき驚いたのが助けるため駆け寄った人に「大丈夫です」と答えたことだった。とっさに口から出てしまう事例は知っているが、あれほどどう見ても大丈夫ではない場合にも出てしまうというのは、正直驚いた。

 ところが、つい先日。

 近所の公園近くで、周辺の路上にある落ち葉を集め、ゴミと一緒に拾っていた女性がいた。わたしはその近くを通過中だったのだが、その女性とわたしたちのあいだの路上に、なぜか公園の石垣から道に向けて元気よく飛び出してきた男の子が、文字通り「落ちて」きた。段差を見誤ったのか着地に失敗し、すぐ立ち上がろうとしたものの、かなり痛そうである。

 その女性が何度も「大丈夫なの、怪我していないの」と尋ねたが、大丈夫っすの一点張り。近くで友達らしき男の子たちの声がしていて、その子供も話が大きくならないうちに友達と合流したがっているのはその視線でわかったのだが、どうも(当たり前だが)痛くてすぐには動けないらしい。だが女性はその場でゴミ拾いをしていた立場なので移動する理由はなく、目の前に少年がいる以上は、心配する視線を送るしかない。そして少年としても「大丈夫と答えたのだから、ほっといてくれないかなぁ」的な顔つきで、目を泳がせている。
 わたしたちの出る幕はなかったのでそのまま去ったが、やせ我慢をして友達と遊んでから帰宅し、その後に実は怪我をしていたとわかったら話がややこしくなるだろうなと、ちょっと考えてしまった。

 怪我をしていたら親に怒られるとか、あるいは友達から笑われるとでも思うのか、理由はさまざまかもしれないが——大丈夫でないかもしれないときは、遠慮なく騒いでもいいんだぞと、つくづくそう思う。

とくに出かけず

 タイミングを逸して出かけそびれた。このところ夕方の4時半までに出かけないと帰りが真っ暗で肌寒いため、もたもたしているとどこにも行けない。幸いなことに食品などはたくさんあるので、飲食物としては問題なし。
 気温が下がってきて、ちょっとしたことで体の節々が痛い。体中が凝っているのだろう。

区役所で、待たなかった

 ちょっとした用事で区役所に出かけたのだが、これまでの記憶ではまず希望の書類を申請するために手で紙に記入し、近くに立っている係員さんに見せるとその人がディスプレイを操作してくれて、○○窓口の前で待つと呼ばれますと言われ……その言われたあとで20分くらい待たされて、しかもそのあとに会計で10分以上待たされる、というのが定番だった。

 係の人に紙を見せると「○○番窓口へ行ってください」と言う。その後、その窓口はどこだろうかと目で番号を追っていると、窓口の人がわたしたちを見て手で合図をしていた。待ち時間ゼロというのは想定していなかったので「手を振っているよ」と家族に伝えたものの、通り過ぎようとしてしまうので「手を振っているよ」とふたたび伝え、窓口に出かけることになった。

 それからほんの数分で書類が出来て、会計窓口へもすぐ呼ばれ、合計で30分くらい待つつもりでいたのに拍子抜けをして、すぐさまその足で買い物に出かけた。

 本人に手で書かせるところは仕方ないのかもしれないが(書類の内容によっては事前に申請して受け取りに来るだけというのも可能らしい)、それ以外は区役所内でオンライン化が進んでいるのだろう。よいことである。

客も店も、それぞれ変わる

 何ヶ月か前に、有名なスープ屋さんチェーンが離乳食を全店舗で提供しはじめるという話題に、子供がいない店が心地よかったと考えた人々が残念がったと聞いた(←ここでは控えめに書いているが、怒っているコメントもけっこうあったらしい)。

 客も店も、つねに変わっていく。自分に合わないと思えば去って別の場所を探すしかない。客の方にしても自分の歩くルートが変わったり経済状態の変化で、それまでの店に行かなくなることはじゅうぶんに考えられる。店が努力したかどうかに関係なく、客は増えたり減ったりする。それぞれに事情があるのだ。

 わたしがイトーヨーカドーネットスーパーを減らしてほかの会社を利用しているのもそう。数ヶ月前までのイトーヨーカドーネットスーパーは素晴らしかった。だがわざわざ会社にメールをしたりはしない。ひとりの人間が「変化」について不満を言っても何も変わらないが、もしわたしのような人間が多ければ客単価や利用率が減る可能性があり、自分たちの変化にその原因があったのかを考えた企業が、そのとき何かを決断することになるだろう。

 こちらは、楽天でときどき買っていた店の話だが:
 人気商品は型落ちなど余ったものを適当に詰めて格安で販売する、日用品の福袋だった。洗剤や日用品が5個程度はいって約600円だった。その激安商品が、数週間前から予告をしていたとはいえ約1000円になったとき、レビュー欄が荒れた。

 かつて1000円前後で売られていた別の福袋商品と間違えたと堂々と書いている人もいたが、それはさすがに店に落ち度があるとは思えない。買ってみてがっかりしたので腹立ち紛れに勢いよく書いたのかもしれないが、値上がりそのものが許せないと読めるレビューが複数あったことには、なぜ注文したのかと読みながら考えさせられてしまった。

 平均して5品で約600円だったころ、そのうちのひとつだけで600円か700円する洗剤がはいっていたこともあったし、当時が安すぎたのは誰の目にも明らかだった。だから人気だったのだ。値上げ予告は数週間以上前からなされていて、注文時に間違えたのが買い手側である以上は、値上げについてどうこう書くべきではない。

 相手が悪くないのにレビュー欄が荒れるのは、見ていて気の毒になる。

中野区立歴史民俗資料館(通称れきみん)

 今月いっぱいの展示を見に行こうと、ひさしぶりに「れきみん」へ。そして沼袋を少し歩く。
 沼袋というのは、西武新宿線の駅近くはごしゃごしゃとしていて道も狭く、これは火事でもあったときにたいへんそうだなという思いを人にいだかせるものの、少し北上して練馬区に近づくと道も広い上に街並みも整備されている。ぶらりと歩きながらも、通りを一本ずれるだけでもおもしろい味わいがある。

 れきみんも、いちおう新青梅街道沿いに入り口はあるのだが出口はひとつではなく、離れのような扱いでときおり公開されている旧家の茶室の脇を抜ければ、普通に住宅街に面している。

 見てきた展示は、こちら。そのほかに関東大震災と中野区の展示もあった。

 入場は無料だが、入り口に受付帳のようなものがあり、個人情報なしで○○町から来た大人が何人などを記入する。強制ではない。

 しばらく見たのちに、北上して練馬区方向へ。あのあたりは入り組んでいて、江古田病院からすぐ先の道をチョコザップやオーケーストア方向に渡ると練馬区だが、江古田病院の北側を右折してすぐの総合東京病院(広い江古田の森公園に隣接)に行けば、そのあたりは中野区である。

 最近お気に入りの、この練馬区のオーケーストアで買い物をして、ふたたび沼袋方向へと歩き、西武新宿線で帰宅。

 昨日とおとといはワクチンの副反応が抜けるまで家に閉じこもっていたというのに、今日はいきなり1万歩近くを歩いてしまった。明日は大丈夫だろうか。