俳優ウィル・スミスがアカデミー賞の発表の場でプレゼンターを平手打ち。直後から「あーこれは忠臣蔵になるか」と思ったのだが、1日様子を見ていたかぎりでは、実際にそうなってきたようだ。
きっかけを作った側(浅野内匠頭は吉良上野介に粗末に扱われていたという説がある)に、手を出した側が罰せられる。それを我慢できない家臣らが敵討ちに出る。そして討ち入りののち、赤穂浪士らは切腹を命じられる——というものだ。
プレゼンターをしていたクリス・ロックというコメディアンがどういう人物か、アドリブであんなきわどいジョークを言うほどウィル・スミスと親しかったのか、あるいは逆に仲が悪かったのか、そのあたりはわからない。わざわざ本番で出す意義があったとも思えず、むしろリスクが高いと考えなかったのは残念だ。
だが、カメラがクリス・ロックを向いているあいだに、ウィル・スミスの側には、大きな気持ちの変遷と葛藤があったものと想像する。ジョークの瞬間、ウィル・スミスはそれを周囲の流れに合わせて笑おうとしたように見えた。だが隣のジェイダ・ピンケット・スミスはまったく笑っていなかった。おそらく彼は妻の表情を見て、これは何か言っておかねばと思ったのだろう(←そのときカメラはクリス・ロックを向いていたので詳細は不明)。
そして彼は言葉よりも、思いあまったのか、手を出してしまった。
赤穂浪士の討ち入りを、主君の仇として吉良上野介を討ち取ったと喝采する描き方は古くからある。そういう描き方をするテレビ番組等を、わたしは子供のころから見てきた。だが、実際に浅野内匠頭と吉良上野介のあいだに何があったのか公的な資料が残っていない以上、切りつけた方を罰するのは、妥当なことのように思える。もし、吉良の側にも落ち度はあったはずなので罰せよと願うならば、吉良家への討ち入りではなく、それを問題としなかった側にこそ刃を向けるのが一般的な考え方だ。
結果として「屋敷を大勢で夜間に襲い、相手の側は死傷者多数で自分たちは負傷数名のみ」というのは、異常な事件である。これをもてはやす描き方には、わたしは賛成できない。
さて、今回の件で「クリス・ロックにも罰を」というご意見があるようだ。
これはアカデミー賞側に言っていただきたい。
またアカデミー賞側にも、ひと言。
当日すぐに、その場で「授賞式をいったん中断します」などの対応がとれなかったことで、傷を大きくしているように感じる。あれは大事件である。世界中の人々が、とくに日本時間のように昼間だった地域では生中継で見ていたというのに、生放送で有名人が人を殴り、ののしりの言葉を叫んだことは、かなりの問題だ。あれでよく、いったん普通に授賞式を終えたものだと思ってしまう。せめてウィル・スミスの該当する賞だけでも「この賞の発表だけはのちほど」と言えなかったことは、ことの重大性よりも「予定を優先」させた人がいるということになり、今後の賞のあり方に疑問を投げかけ、禍根を残すことになるだろう。