酢飲料の季節

 夏になるとスーパーや通販で元気になるのが酢売り場。レモンや梅のシロップは家でも作れるが、メーカーが力を入れている市販酢飲料はまた格別だ。

 今年のお気に入りは、このふたつ。

 ミツカンのフルーティス(画像は楽天から)。店で買うと、1本で税抜き400円弱くらいだろうか。
 ミツカンは「ビネグイット」というシリーズもあってとても美味しいのだが、そちらは1リットルくらいなので、それほど飲まない方は、こちらがおすすめ。1瓶で7杯分くらい。

 それから、これ。韓国の商品。わたしはパイナップル味をヨドバシで購入したのがきっかけで好きになったが、この時期はスーパーにも出ている。量がたっぷりしているので、気に入った味があれば、大人買いしてもよいかも。

 酢飲料は水で割ってさっぱり飲んでもいいし、牛乳で割ってヨーグルトのようにして楽しむこともできるので、使い勝手がよい。

社民党「崖っぷち」の記事

 このところ東京新聞で、次の選挙の得票率が2%に届かないと社民党は政党要件を満たさなくなる、崖っぷちであるという記事を読んだ(気のせいでなければ複数回)。

 40年くらい前の話になるが、社民党が前身の日本社会党だったころ、国会で100議席以上を余裕で取っていたことがある(←ほんの数年とはいえ)。土井たか子氏の知名度、社会党から当選した女性たちの数の多さで「マドンナ旋風」とも呼ばれた。
 社会党は数ではほとんど与党だったが、単独与党ではく、連立ゆえの歯切れの悪い発言もあった。

 その社民党がいまは昔で見る影もない…と言ってしまえばそれまでだが、この先どうなるにせよ、現在の有権者はすごい瞬間を目撃しているのだなと思う。40年で生まれては消えた政党が山ほどある。社民党はずっとあった。人は減ったが同じような看板と政策でそこにある。

 街から消えていく伝統工芸の店や手作り豆腐店と同じレベルで語ってはいけないかもしれないが、なんらかの業種で最後の1軒を、わたしはいま目の前に見ているのだ。

 ビジネスならば、消えるには消えるだけの理由があるにせよ、利用する人間がいれば寿命はのびる。そして、消えてしまうかもしれない政党に命を吹き込むのは、有権者である。

外国語の音声変換

 語学学習アプリ Duolingo を、Mac / iOS / Android (AmazonのFire HD8) で試している。Macの場合はChromeを使えば音声テストもあるらしいのだが、わたしはSafariを使っているので会話モードの出題はない。
 静かに学びたいときはMacのSafariでイヤホンを付けて学習、発音チェックをしたい場合はスマホやタブレットのアプリでやっているのだが…この音声変換の操作で、タイミングによっては失敗してしまうことがある。

 iOSでもAndroidでも、英語の聞き取りに関してはAIがかなり優秀。ただしいったんきれいに入力してくれたあとで、聞き間違いだったかもしれないと勝手に直してしまうことがあり、その変更があったことに気づかず確定ボタンを押すと、Duolingoに怒られる。よくよく見るとAIがスペルを変えてしまっている。

(以下は、どんな文章でも自分でキーボードを打てる人には関係ない。わたしにとってはスマホやタブレットのキーが小さく、音声でAIにやらせたほうが時間が短縮できるという横着な発想で音声を優先している。小さい画面でもタイピングが苦でない方は、音声を使わず手で入力していただければと思う)

 たとえば the dog ではじまる文章を音声入力する。聞きとったAIが the dog 〜 と出力したのを確認してから後半の文章を見て問題ないと考え、確定クリックをしたつもりが、AIがあとから勝手に「冒頭は that dog のほうがよかったんだろうか」と、頭までもどってしまい、that dog に変更してしまうようなことがある。

 それでDuolingoにバツを付けられたので腹が立っていると、数分後にまた the dog が出てきた。ゆっくりと the dog を発音したわたしの目の前に現れた文字は「そんだけゆっくり言うんだからきっと the dog ではないんですよね、fat dogですか〜」と…それなら冠詞が必要だろうが〜。冠詞なくfat dogで出る文章って奇妙だろ〜が〜っ、おい〜っ。

 また、長めの文章を英語で読んで「ここ、聞き間違えているぞ」と手で入力しなおししている最中に、AIもそれに気づいて同じ場所を触ろうとすることもある。中に人がはいっているんじゃないかと思いたくなる。

 だがDuolingoのおかげでKindle読み書き専用機だったFire 8にも活躍の場が増えて、なかなか楽しい。

 ちなみにiOSでDuolingoをやっているとき「フランス語のキーボードを入れませんか」と表示が出たためそれに従ったところ、フランス語も音声入力ができるようになった。英語とフランス語はキーボードが自動で切り替わり、フランス語の問題のときはフランス語で入力できる。Androidでもこういうことができるのかどうかは、まだわからない。

西友吉祥寺店で2階と4階が売り尽くしセール

 用事で吉祥寺に出かけた。高齢者向けの服を探していたのだが、いつも頼りにしている北口すぐの格安洋品店「マーブル」は、今回ちょっとアウト。きれいな服ばかりだったのだ。調達希望は「地味な服で、季節外れの長袖」だったため、マーブルは対象外に。

(マーブルは、長袖はあったが、きれいで、夏向けだった)

 いちおう西友吉祥寺店に出かけると、そこでびっくり。2階のファッションフロアが限りなく空っぽ。まったく何もない。少し若向きの肌着があったようだが、それ以外はまったく何もなくて、床と壁がよく見える。
 帰ろうかと思ったら柱の陰に(あきらかに地味すぎて売れ残った)商品があり、その10枚くらいしかない服が、頼まれていた「地味で季節外れで長袖」中心だったので、ありがたく2枚ほど購入してきた。5割引セールだった。

 帰宅してからネットで見ると、どうも2階の服飾売り場と4階の生活用品を閉じるらしい。その後は何がはいるのだろうか。

 わたしは西友吉祥寺店にはほんとうに世話になり、荻窪の西友が広いと気づくまでは、いつも服をそこに買いに行っていた。その後に「多少は狭いけれど阿佐ヶ谷の西友でもいいか」と横着してあまり吉祥寺に出かけなくなり、ごくたまにしか寄らなくなったが、服や靴の買い物が苦手で「誰にも見られたくない——着られるもの、履けるものを引っつかんですぐ買える店は西友くらいだ」という思いがあったため、若いころはほんとうに、西友さまさまだった。

 そうこうするうちに、ほかの店で堂々と買えるようになったわけではなく、服や靴を買わなくなってしまったのだが(どうしてものときは通販で格安スニーカーを買う)、こういう人間が増えたから、通販に押されてしまったのだろうか。

 通販の客が増えたからなのか理由はわからないが、それにしても、売り場がなくなってしまうのがあのころだったら、わたしの生活に、どれほど衝撃だっただろう。

 西友吉祥寺店、いままでありがとう。

声をあげることは、たいせつ

 わたしのように世間とほとんど没交渉の人間でも、ときには真面目な用件でのメール交換もある。

 昨年度に少し関係した場所から、最近はどうしているのかと、よければまた参加しないかとお声がけをいただいていたのだが、わけあって、返事をせずにいた。こちらが告げずにいれば先方は気づかないだろうが、こちらは先方に言いたいことがけっこうあったのである。

 このままわたしが何も言わないにせよ、傷つく人は世界の人口から考えれば少数だ。だがわたしは、言うにせよ言わないにせよ多少は傷ついていた。なぜ返事をしないのかだけでも説明するのは、別にバチはあたらないだろうと考えた。

 勇気を出した。
 なぜこのところ返事をしなかったか、今後もしばらくは遠ざかっている予定であるかを、言葉少なに返信した。

 どうも、やはりといえばやはりだが、先方はその問題を認識していなかったようである。わたしにしてみれば「なにかすごく不都合があって自分の作業したものが止められたのだ」と思っていたが、そうではなかった。先方でも上司に当たると思われる方からわたしに返信があり、「できるだけ早く開始する」との言葉のあとで、実際にすぐとりかかったらしい。大量の作業がなされていることに、たった半日後に気づいた。

 言ってみてよかったなと、そのリストを見て思った。
 わたしが関係した部分以外にも作業が溜まっていた人がいたようで、見た目も風通しがよくなっていた。

 自分も気が楽になったが、ほかにも不快に思いつつ我慢していた人のお役に立てたかと思う。

 またしばらくして、こちらの気持ちが楽になったときに連絡があったら、次は少し相手に対してやわらかな応対をしたい。

長かった…。IEの終焉。

 Internet Explorerがようやく終わる。長かった。

 なにかを統一させることが大好きな日本社会ではとくに顕著だったが、必然性があるとは思えない些末な事例でも「このホームページはIEでご覧ください」という表示を出したり、故意にIEでのみ正常動作するようなタグをひとつふたつ入れておいたりと、それ以外のブラウザを使うのはおかしいといわんばかりの傾向が強かった。

 それに反発して「Operaを使おう」やら、○○を使おうといった抵抗運動も多く、何を隠そうわたし個人もIEを自分の意思で使ったことは一度もない。Windows時代はよけるのがたいへんだった。2005年ころからMac使用率が高くなり、さらにウェブでのIEのシェアが下がってきたためこの10年くらいは考えずに済んでいたが、それもようやく終わる。26年の長きにわたり、わたしは逃げ切ったのだ。

 さしてよいブラウザでもなく、バグやセキュリティも悩ましく、Macで言うところのFinder(ファイル管理)がExplorerであったためOSに食いこんでいて、その延長線上にあったInternet Explorerはアンインストールするわけにもいかなかった。

 さようならIE。さようなら〜。

病院の待合室にて

 14日は以前から予約してあった大腸検査の日だった。順調ならば午後2時くらいには病院を出て買い物をし、帰宅するつもりだったが、朝からついていない。けっきょく病院を出たのは4時半、帰宅は5時半ころだった。

 顛末は、こうだ。

 朝の9時に家で大腸洗浄剤を飲みはじめた。このところ数回連続で吐いてしまい、腸がきれいにならず、検査しながら水で洗ってもらうという面倒なことをお願いしていたので、今回はきっちり飲もうと、時間配分をゆっくりにして、できるだけ気持ちを追いつめないようにしながら、リラックス…していたつもりが、うまくいかず。

 なんと、普通の人なら薬剤を最低は1リットル飲んでそのあと水またはお茶を飲むのだが、今回のわたしは600mlに到達した瞬間に胃が全力で拒否。もどしてしまった。洗浄剤と一緒に胃液もたくさん出て「えー、空腹でも胃液ってこんなに出るんだ」と妙なところに感心。
 ただ、洗浄剤を飲みながらもあまりのまずさに途中で水も飲んでいたので、多少は水のせいでかさ増しされていた可能性もある。

 ぜいぜいしながら、病院に電話。病院にたどり着くことはできるだろうが、こんなに少量しか飲んでいなくては腸がきれいになっているとは思えない。今回こそはと心の準備を整えていたというのにそれでも失敗したのが精神的につらく、なんだったらもう検査そのものをやめて家で寝ていたいと、そう告げるのもいいなと思っていた。

 だが(吐く人というのは)それほどめずらしくないのか、あるいは検査そのものをキャンセルする人などいないと思ったのか、電話の向こうからは「病院には来られそうですか」との問いかけののち、当たり前のように「残りの薬剤と水またはお茶を持ってきてください、お気を付けて」と。

 唖然とした。こんなにつらいのに、病院でまだこれを飲ませるつもりなのかと。

 だが家に置いておいても捨てるのが面倒であるし、以前も「残っている薬剤を持ってきて」と言われたことがあるので、持っていくことそのものはかまわないと考え、出かけると伝えた。

 それから出かける準備がたいへんで、ぜいぜいして、やはり行くのをやめたほうがいいのかとも考えたが、すると今度は「検査のあとに出してもらえるはずの今後の処方箋」やら「次の診察の予約をどうやってとるのか」やら、考えると頭がぐるぐるしてきて、これなら這ってでも出かけるかと、どうにか到着。大腸洗浄液と持参の茶が重く、ほんとうに「なんでこんな目に」と思ってしまった。

 ようやく到着し「たいへんでしたね」と言ってくれたスタッフだったが、すぐさま洗浄液を飲むためのワゴンを持ってやってきたので「マジでこの人わたしに飲ませるつもりなのか」と、気持ちが引く。到着できるかどうかにも不安があったのだ。いまからでもキャンセルして帰りたい(それなら医師に頼んで処方薬と次回予約だけは取れる)と思った。だが先方も悪気があるわけではなく「気分が落ちつくまでは、洗浄液は飲まなくてもいいですが、水分をとって、腸の活動をうながしてみてください」という。これはいままでも言われたことで、結果として追加は飲めずに腸を洗ってもらいながら検査したのだが、今回はここまでつらい上に精神的にもぼろぼろで、目の前にワゴンがあるだけで泣きたくなる。

 水分をとって院内を少し歩いてみると、腸が動いた。トイレに出かけてみると、飲んだ洗浄液の量が少なかったわりには腸がきれいになっているようだ。
 だが以前にもそう思って「きれいになりました」と告げたのちに腸内の汚れがわかったことがあったので、今回もそうかもしれない。
 もう1回、ごく少量だがきれいな液が出て「あんなに洗浄液が少なかったのに、きれいになったなんてことがあるのだろうか」と悩んだ。

 その後、最初と同じスタッフの方が声をかけてくださって、いちおうその説明をした。やはり表情が「あんなに少なくしか飲んでいないのに、大丈夫か」と語っている。わたし自身も疑っているくらいだから、無理もない。
 そして「次にトイレに行くときは、スタッフが液の色を確認できるように、声をかけてください」という。さらに、強制ではないが、やはりあと1杯くらい飲めると安心なんですがと言う。それは聞こえないふりをして、ワゴンも見ないように体の向きを変えて、その後はうつむいて過ごした。

 それからが、たいへんだった。

 もう1回くらいトイレに行けたら、色を見てもらえる(予約は早い時間だったので色を見たあとならすぐ検査に呼んでもらえる)と思ったのだが、自分の気持ちがもう限界で、動き回ることもできなかったこと、うつむいてばかりいたことで、腸は活動しなかった。
 そしてスタッフの方々もわたしよりあとだった人たちを先に検査にまわして、さらに(あとから聞いた話だが)そのうちひとりふたりが時間のかかるポリープ切除をしていたこともあって、忙しくしていた。

 そうして放置されているうちに「検査をやめて帰りたい」も、言えない状態になった。
 タイミングを完全に逸して、それを言う相手もいなかったのだ。

 泣きたくなってきて、ずっとうつむいていた。

 すると、周囲がだいぶ減ってきたとき、最初のスタッフとは別の方が、わたしについて話しているのが聞こえてきたので、思い切って、「こんな時間になって申し上げるのも失礼かと思うんですが、検査をやめて帰りたいとか言ってもいいですか」と声をかけてみた。

 わたしの顔色を見たのか、すぐさまその人の表情がいたわりに変化し、何でも話してよさそうだなと感じられたため「ほんとうは朝のうちにやめたかったけれど、来たほうがいいと思って、がんばって来てみた」、「この下剤のことを考えただけで気持ちが悪くて泣きたくなる」、「帰りたいと言えるタイミングがなくて、遅くなってすみません」と、すらすら、口から出てきた。

 話を聞いてもらえて、なんだか気が抜けて、涙が出てきた。

 すると、わたしの担当医がいま処置が終わっていないから話はできないけれど、少し待っていてもらえば、処方箋だけ持って帰るか、腸を洗いながら検査するか、その先生と相談ができますから、もうちょっとだけ待てますかと言ってもらえ…

 けっきょく、医師の処置が終わらないため、いったん着替えませんかという話に。
 検査をすることになればそのままできるし、やはり気分が悪いなら処方箋だけ持って家に帰れるようにしましょうと勧めらた。その後に医師が出てきて、丁寧に「嫌がることを無理にはしませんが、(持病があるからいつかは検査をしなければいけないですし)今日はせっかくここまで来たので、検査ができそうならしてみませんか」と、「気分が悪くなったら作業を途中でやめてもいいんです」と。

 やってみることになった。

 そこから先の手順は慣れている。もう何回も経験していることだ。それに、何よりも、検査台で横になっていられることがありがたかった。横になりたかった。

 カメラを入れてみると、意外や意外、満点ということはないけれども腸はきれいになっていたことがわかり、検査もスムーズだった。いつもと同じくらいの時間か、あるいはもっと短くカメラが終わった。

 その後、しばらく点滴をして様子を見てから帰宅。

 午後2時ころに出られるはずだった病院から、わたしが出たのは4時半だった。

 それでも、異常がなかったことで、この先また1〜2年のあいだは、やらなくて済む。
 それに、次回は大腸洗浄剤を事前に相談して、変更できそうならしてみたい。今回の製品のように「袋を見ただけで味と香りが再現されて吐き気がくる」ものは、もう体調がどうのとかそういう問題ではなく、わたしに合わないのだろう。

 今回は、最後に笑顔でみなさんにご挨拶できて、無事に帰宅できてよかった。

 ただ、こういうときにつくづく思うのは「強く出られない性格」というものがあるということだ。担当医が「さっき検査した人は、腸内がドロドロで、時間もかかって、本人もたいへんだったでしょうが時間をかけてやりました。だから、自分(医師)としては、もし腸内がきれいでなくても、あなたが嫌でなければやります」と言ってくれた。

 そして、検査が終わってから。
 わたしが事前に「最後にトイレに行ったときは、たまたまかもしれないがきれいな液が出た。でも腸内はまだ汚れているかもしれない」と話したことを受けてだろうが、医師が「もっと自信を持っていいんですよ」と——。つまり、わたしが「もうきれいになりましたから検査をしてください」と言えば、順番を変えられることもなく、そのまま普通に検査して、帰宅できた可能性があったのかもしれない。だがわたしには、それは言えなかった。これは性格なのだろうと思う。

 これでしばらく、やらずに済む。それだけは確かだ。

iPhoneの容量 (その2)

 つい先日こちらに書いたばかりだが

iPhoneの容量がぎりぎりだった件

 あいかわらず、容量が不安定である。その後もいろいろ消したので、理論上は50GBを下回っていなければいけないのだが、各アプリのキャッシュでも溜まっていくのか、52~54GBくらいを推移している。それだけの量が減ったり増えたりしているのに自分としては原因がよくわからないのも歯がゆい。

 その点、AndroidならばSEカードを買ってきて挿せば済む話だし、「今後はデータをSDカードに保存しますか」的なことを勝手にやってくれるわけだが、iPhoneではそういう容量追加方法がなく、各アプリも何を何百メガまで本体に溜めるのかなど自分たちが決めているようでユーザ側に設定欄が見あたらず、いざというときに融通が利かない。

 たとえばiOS純正の「メール」だが、データ容量をやたらと食っている。実際に本体に保存されている量より多いように思うが、いったん取りこんだものをキャッシュとして溜めこんでいるのだろうか。設定欄が見あたらないので、あとで調べてみよう。

 FacebookやTwitterは、キャッシュをクリアという方法がそれぞれのアプリで見つかったが、iPhoneが保存している「データ」なるものよりも小さそうに思える。いったいiPhoneが保存している各アプリの「データ」とは、なんなのか。このあたりも頭が痛い。

 だいたい、SNSというのは同じデータを何回も目にすることは少ないので(あっというまに流れていってしまうので)、それほどのキャッシュが必要とも思われないが。

 とりあえず、iPhone (現在のところXR) の容量には、今後も気をつけていきたい。

Duolingo: ダイヤモンドリーグに昇格

 最後のダイヤモンドリーグに到達した。この先は、気を抜かないかぎりはダイヤモンドでいつづけられそうだが——ここに上がる直前の「黒曜石」がすごかった。上位の5人のみがダイヤモンドへ昇格だったのだ。

 それ以前は、だいたい「10位以内が昇格」というリーグが多かったので、仮にトップグループにいられなくてもいいやという、ゆるさがあった。だが5位以内だとそうもいかず、必死にこなして、どうにかダイヤモンドに。

 iPhoneのアプリ版でやると発音問題があるので、家にいて人の目も気にしないときはiPhoneでやろうかと思う。Fire 8にも入れてみたのだが、普段これはKindle読書用端末として使っているためわたしがキー入力に慣れていないことと、iPhone用とはまたアプリの詳細が違うようなので、慣れることが難しい。使うことは、あまりないかもしれない。

 iPhone用はフランス語キーボードを入れておくとフランス語入力の場面でスペルの推測をしてくれるため時間が短縮できるし、さらに文章を書く問題では、すべてではないが音声入力に対応している場合ならば、声で入力できる。スペリングを間違える危険性が減って、なかなかよい。ただし発音が悪いと似ている別単語を入れられてしまうので要注意だ。

 7カ国語をやっているが、ここまではダイヤモンドまで登るのに気を取られていたので、言語を増やすというよりは、本来の目的であったウクライナ語、そしてロシア語を、がんばろうと思う。

ATOMの開発が終了(予定)

 ATOMエディタが開発を終了するとのことである。今年の12月15日をもってアーカイブ化されるという。

 去年の初夏までの時期は毎日のように使っていたが、それから今年の春まで、ウェブページを手作業でチェックする作業をさぼっていたため、起動させることもほとんどなかった。HTMLエディタを渡り歩いて、やっと見つけた究極の環境と思っていたので、終了はとても残念なのだが——1年も触れずにいていまさら何を言うかという心境でもある → ITmwedia 2022.06.09 GitHub、テキストエディタ「Atom」の開発終了 12月に全プロジェクトをアーカイブ

 自分にしても、一般の更新はCMS系でオンラインで書くのが便利であるし、今後もHTMLエディタの使用は減るかもしれないが、ATOMのあとはどうしたらいいのか、早めに考えておくことも必要かもしれない。