何の苦労も疑問もなく、次の日を迎えられること。朝になれば日が昇るのが当たり前で、好みの朝食が食べられて、コーヒーを飲めること。
東京の二度目のオリンピックよりも、お金持ちが自分の孫のために使う贈与が1千万まで非課税になることよりも、住みもしない邸宅やマンションを転売のためだけに売買する贅沢よりも、普通の市民がスイッチを入れれば部屋を照らせる電気や、蛇口をひねれば出てくるお茶が沸かせる程度の水や、深呼吸をして遠くを見れば目にはいる木々の緑。
お金持ちが自分の人生の最後をよりよく締めくくる豪華な自伝本よりも、ひとりの市民が安心して思いを綴れる普通のノート。言いたいことが安心して言える世の中。
当たり前だと思っているものを失ったとき、人の思いはどこへ向かうのだろう。怒りか、あきらめか、絶望か。
翌日も、前の日と同じように、暮らしていきたい。それはけっして贅沢な望みではないはずだが、いまなぜか、涙が出てくる。
日曜の晩、選挙の結果発表のあと、わたしはどんな思いをいだいているだろうか。